第4話 王子様登場です

 国境の検問を過ぎ、護衛がローゼルトの騎士からアルスフェルトのそれに代わったことに気付いたリュシエンヌが、馬車の外に出て優雅な所作でスカートをつまみ、膝を曲げて挨拶をする。


「皆さま、ご同行ありがとうございます。このたびアルスフェルトに参りましたローゼルト第四王女、リュシエンヌでございます」


 アルスフェルト騎士たちがざわめく。王族の姫なんてものは、宿場に着くまで馬車のキャビンに籠もりきっているものと思っていたのだから。


 リュシエンヌにしてみれば、ある意味必死である。人間らしい生活を勝ち取るためには、この国から追い返されるわけにはいかない。王族たちは予想に反して魔法が使えない彼女に失望するだろうけれど、そうなった時に少しでも同情して、味方をしてくれる人を増やさないと。やや能天気なくらい楽天的な彼女であっても、その程度の計算はするのである。


 すると騎士たちの中から、ひときわ美しい二十歳くらいの若者が進み出てくる。すらりとした体型だがその腕や脚には鍛え上げられた、弾力に溢れる筋肉が付いていることがわかる。切れ長の碧色した眼に秀麗な鼻梁、すっきりとした顎のライン、そして陽光にキラキラと輝く銀の髪。感情の乏しい冷徹そうな表情がちょっと残念だけど好みのタイプだわ、と心の中でつぶやいた瞬間に若者が口元に微笑みを浮かべ、考えていることが漏れちゃったかしらと不安になるリュシエンヌである。


 そして若者はおもむろに近づいてくると、リュシエンヌの前にひざまずいた。


「我が婚約者殿、迎えに来たよ」

「ええっ! それでは、あなた様は……」

「ああ、第三王子、マクシミリアンだ。末永く、よろしく頼む」


 氷の彫像の如き冷たい美しさを湛えた口元をかすかに緩め、碧の瞳で真っすぐに見つめてくるマクシミリアンに、顔を赤らめるしかない彼女であった。


 婚約者の手を取ろうと差し出されたマクシミリアンの手に、自らの手を乗せようとした瞬間、またさっきの魔力酔いが戻って来た。馬車にぶら下がっているカンテラ程度の容量では、膨大な彼女の魔力回復速度から見れば、幾らほども吸収できていなかったのだ。


 一瞬気が遠くなって倒れかかるリュシエンヌを、マクシミリアンのすらりと伸びた両腕が抱き止める。気分が悪くなったためとは言え、若い男に触れる経験など、あの小部屋に閉じ込められて以降まったくなかった彼女である。恥じらいに首筋まで紅に染め、身を縮める。


 しかし次の瞬間、初めて男に触れられた心理的なショックとは比べ物にならないほど大きな衝撃が、リュシエンヌを襲った。身体の中から何かが、ものすごい勢いで引っこ抜かれるような感覚……痛みではないが、何か狭いところを無理矢理広げられるような苦しさと、中味を吸い出されているような強烈な違和感に、思わず声を漏らしてしまう。


「ひゃあん!」


  自分が発したあられもない声に、また頬を真紅に染めるリュシエンヌ。同時に大きな不安が彼女を襲う。はしたない振る舞いをする娘だと思われて、いきなり婚約解消とかおっしゃられないかしらと。ここでまた、ローゼルトの王宮に戻されるのは、鷹揚で楽天的なリュシエンヌにとっても、ちょっときついのだ。


 だがその王子はその声など聞いていなかったかのように、普段は鋭い光を放っているであろう切れ長の眼をとろんと緩ませて、何かに陶然と酔っている風情だった。


「ああ、これだ……やっと、私のものになった……」


 何のこと?といぶかるしかないリュシエンヌであったが、体調が変化していることに、ようやく気付く。


「あら、気分がすっきりと……」


 先ほどまで溢れる魔力が重くまとわりついていた身体が、やけに軽い。挨拶をするのもやや大儀に感じるほど頭がぼぅっとしていたというのに、今は嘘のように晴れている。


「もしかして、殿下が魔力を吸収してくれたのですか?」

「うん、美味しい魔力を、たっぷりといただいたね」


 また碧の瞳でじっと見つめられて、またリュシエンヌの頬に血が昇る。


「触れていただくだけで、こんなに気分が良くなるなんて……」

「うん? ローゼルトでは、魔力を吸い取ってくれる人はいなかったのかい?」

「ええ、男性は元よりですが、六歳で魔法が使えないとわかった後は、侍女も遠ざけられて一人で住まわされておりましたので」


 意外そうな表情をするマクシミリアンに、彼女はさりげなく爆弾発言をぶちかます。ローゼルトの王族でありながら魔法が使えない……これからこの国に置いてもらうためには、最大の障害となる問題だ。


 もう少し伏せておくべきだったかも知れないが、言うなら今だと、リュシエンヌは思う。真実を告げるのが後になればなるほど、誠意が疑われるであろうから。もっとも、あの父親がこれまで前面に立っていたのだ、アルスフェルト側の印象はすでに最悪であろうが。


 そんな思いで勇気を出して口にした秘密だが、王子の反応は、あっさりしたものだった。


「そうか、リュシエンヌ姫は、苦労をしたのだな……」

「驚かれないのですか?」

「魔法が使えないことに? 私にとって、それは貴女の価値を下げる情報ではないけどな」


 そんなことを気にするのかという、意外そうなマクシミリアンの表情に安心したリュシエンヌの眼から、なぜだか涙があふれる。そして、初めての感情を抱いたのだ。


 ……頼って、いいのかな。

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