第3話 地味に旅立ちます

「リュシー、元気で。王子様と幸せになるのよ」

「字を書くのは苦手だけど、がんばって手紙を書くわ!」

「アルスフェルトは乾燥地域じゃからな、喉に気を付けるんじゃぞ」

「善良なるリュシエンヌの身に幸あらんことを、神に祈るとしよう」


 めいめい思うままにリュシエンヌとの別離を惜しむ言葉を掛けるのは、城に勤める使用人たちだ。庭師に薪割り人、お針子に掃除婦……皆、使用人の中でも身分の低い者たちである。彼らは日々この哀れな王女と食卓を共にするうちに、その穏やかで優しく、どこまでも明るい性格を愛するようになっていた。


 彼女は下級使用人たちの愚痴や苦情に嫌な顔一つせず、少しだけ目尻の下がった大きな眼を柔らかく細め、ただうなずきながら聞いてくれるのだ。使用人たちも、酷い待遇を訴えたとて、この王女にそれを正す権限がないことを知っている。しかし、本来緞帳の内にいるべき高貴な少女が自分のちっぽけな不満を聞いて、共感してくれているという事実だけで、満足してしまうのが常であった。


 そしてこの少女は、何かにつけ使用人たちを手伝っては、その仕事を教えてくれとせがんだ。彼らは驚きながらも、身体を使う仕事も汚れ仕事も嫌がらない王女に、どんどん心を開いていったのである。


 だが、リュシエンヌに暖かく接してくれるのは、こうした身分の低い使用人だけ。侍女や家庭教師などの上級使用人や、城に出入りする多くの文武官は、直接虐めぬまでも魔法の使えぬこの異端姫に、冷淡な視線を向けるか、いないもののように無視するかのいずれかであった。


 かくして一国の姫が輿入れする旅立ちであるというのに、それを見送るのは庶民階級の者が十数人だけ……という、実に粗末な仕儀となったのである。


「まったく王様も、王子様王女様たちも薄情なことだねえ、見送りにも来ないのかい」


「いいのです。来て頂いても、酷い言葉を掛けられるか虐められるだけですもの。優しく旅立ちを祝ってくれるみんながいてくれれば、満足ですよ」


 そう言って王女がまた、ふわりと微笑んだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇


「うっ、こんなに苦しいなんて……」


 馬車に揺られて三日。国境を前にして、リュシエンヌの体調は最悪だった。


「はぁ~っ。車酔いなら、ちょっと馬車を停めさせて休みますか?」

「いえ、これは『魔力酔い』なので……」


 侍女が仕方ないとばかりに声を掛けるが、その申し出を断るリュシエンヌ。ジョゼと言う名の侍女は鼻をふんと鳴らし、ぷいと反対側を向く。たった一人だけアルスフェルトに連れていく侍女と言えど、実際は監視役のようなものだ。侍女はきっと、ハズレの職務を引いたと思っているのだろう。王都を出てから、ずっと冷たい視線を浴びせられているような気がする王女である。


 リュシエンヌが言ったことに、嘘はない。外の空気を吸おうが、傍らの木陰で休もうが、彼女の体調は、決して回復しないのだ。身体に収まりきらずあふれ出る膨大な魔力が、彼女を苦しめているのだから。


 魔法が使えないことが鑑定で明らかになった六歳の時、同時にもう一つの事実も明らかになった。リュシエンヌの身体に貯め得る魔力の容量は常人はおろか、王族の誰と比べても二桁は上だということ。そして魔力を使ったあとの回復速度も、数十倍であることだった。


 おおよそ魔法使いと称する者にとって魔力容量と魔力回復速度は、死命を制する重要能力だ。いくら強力な魔法を使えたとて、一発撃てるだけでは戦えるものではない。持てる魔力を使い切った魔法使いは失神するのが常であり、戦場でのそれは死を意味する。しかして魔法使いたる者には自己の持てる魔力を正確に把握し、決して切らさぬよう管理することが求められるのだ。


 リュシエンヌの飛びぬけた魔力容量と回復速度は、全ての魔法使いにとって垂涎の能力であるはずだ。しかし魔法が使えぬ彼女にとって、それは無用の長物、いやむしろ生活を脅かすものであった。


 魔力というものは、一定以上溜めると身体のバランスを崩してしまうのだ。倦怠感、頭痛、またある時は吐き気……特に魔力が容量一杯になって身体からあふれ出すとき、その症状はより酷いものとなる。


 しかも彼女は、あふれ出す余分な魔力を魔法を撃つことで放出することができない。仕方なく彼女は、城内にある魔法灯や魔法竈に触れてはそこに魔力を注ぎ込むことで、辛うじて健康を保ってきたのだった。


「お願い……そのカンテラを、こっちに」


 リュシエンヌの哀願にまた鼻を鳴らした侍女が、魔力で動作している馬車のカンテラを、不機嫌を隠そうともせず半ば放るように押し付けてくる。だがリュシエンヌにとっては侍女の姿が天使に見えた。今にも嘔吐しそうな気持ちの悪さが、カンテラに魔力を注ぎ込むことで、すうっと引いていったのだから。


「ありがとう、楽になりました」

「そうですか、ようございましたね」


 侍女は相変わらずの塩対応だが、王女はようやく安堵のため息をついた。


 国境は、すぐそこであった。

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