第8話

 アマテラスのもとに家族が揃った。スサノオは甲冑を着こみ、腰には太刀を、手には弓を持っていた。場合によってはツクヨミも槍を持たねばならない。末っ子が物を鳴らして胡坐をかいたところで、どうするかという話が始まった。

 色々と提案したものの、最終的にはスサノオの案を通す事になった。相手は未知の存在、それに閻魔殿が連れ去られているとなると大きな力は使えない。なので随時状況を確認しつつ、広範囲に攻撃をしかけて炙り出す事になった。

「然し黒い山のなかに残っているかも知れん。一度検めさせよう」

 イザナキが言って三人の子は肯いた。御所内の兵を集め、大将をスサノオに決めた。何人かで黒い山に閻魔がいないか確認する事になり、柄に手をかけ弓に矢をかけた状態で掘り起こした。

 然し土のなかまで検めても人影の欠片も見えなかった。スサノオは兵を退かせ、そのあいだにアマテラス、ツクヨミ、イザナキは御所の外へ出た。

 他の神々に守られた状態で中心部へと向かう。相も変わらず空は暗く、湿った空気が肌を撫でて不愉快な気持ちを覚えた。

「力は最小限に抑え、もし人が降って来たりどこかに現れたりしたらすぐさま保護をしろ」

 イザナキが大きな声で伝える。はいという統一された返事によしと肯き、アマテラスを一瞥した。彼女の合図で一斉に広範囲攻撃をしかけるのだ。

 暗雲を見上げ、アマテラスは両手を翳した。呼吸を整え、そしてぐっと睨みつけるように眉根を寄せた。すると雲を上から焼き切るようにして太陽光が広がり始めた。と同時、八百万の神が一斉に力を使いはじめた。

 アマテラスは太陽を自在に操る、ツクヨミは月を自在に操る、イザナキは時間の進化を自在に操る、スサノオは神力を自身の力に変える。じわじわと広範囲に広がっていく力に、暗雲のなかから邪神と思しき手や翼の一部が見え始めた。

「いいぞその調子だ!」

 イザナキが周囲を鼓舞する。アマテラスの太陽光を中心に、暗雲が割れ始めた。その時だ、割れ目から一つの人影が降ってきた。ざわめきがわっと広がる。

「閻魔殿だ!」

 ツクヨミが指をさして言った。すると一陣の風が吹く、それは神力を自身の力に変換したスサノオが走ったあと、凄まじい速度で屋根を跳びはねると閻魔の下まで来た。

 彼は内心嫌っていた。恐らく似たような力を持っているからだろう、本能的に相容れないと思っていた。然し嫁や他の家族が被害に遭う可能性がある、手を伸ばして帯の辺りを掴むと一気に引っ張った。

「スサノオ! 戻れ!」

 イザナキの裏返った声が響く。閻魔を米俵のように担いだ彼の頭上に、巨大な鬼のような手が伸びていた。はっと見上げた頃にはもう遅く、すぐそこまで迫っていた。

 然し一秒早く目覚めた。閻魔は担がれた状態で上手い事身体を支え、飛び出すように蹴りを放った。大きな掌の中心に当たる。幾ら不安定な体勢で放たれた蹴りであろうとも、彼の力は易くない。雲のなかから唸り声が聞こえ、瞬時に引っ込んだ。

 ほっと胸を撫でおろす暇もなくスサノオの腕から強引に離れた。屋根のうえに着地する。殆ど身長差もなく、獣のような赤い瞳が互いに睨み合った。

「閻魔! 早くそこをどけ!」

 またイザナキの声が轟く。すぐさま屋根を伝って退いた。スサノオもその場から消える。

「みな、眼を閉じて」

 アマテラスの静かな声が自然と耳に入ってくる。誰も彼も瞼を閉じて俯いた。閻魔はざっと周囲を見たあと同じようにした。

 彼女は両手を翳したまま眉根を寄せる。橙色の瞳は光って黄色に近くなった。

「この国に足を踏み入れた事、存分に後悔しなさい」

 瞬間、巨大な太陽が空を覆った。ごうごうと輝き、灼熱地獄のように炎が荒ぶる球体が、顔を出すように空を覆った。

 殆どの邪神はなすすべがなく瞬時に焼かれ、逃げのびた者も身体を半分程消失し無作為に落ちてくるだけだった、この国の最高神に彼らは屈したのだ。

「いやあ、流石は俺の娘だ!」

 日本の神はとにかく酒と宴に弱い。邪神を打ち負かしたという事で早速騒いでいる。その席には“勿論”閻魔もいた。酒が入ってやかましいイザナキを横目に、彼は肩を落とした。

 全てやったのなら、自分は元の世界に戻ってもおかしくはない。なのに何も起こらない。夜になっても何も起こらない。嫌な予感がまた湧き上がって来る、クトゥルフは本当に死んだのだろうか……。

「閻魔殿、酒は好きじゃないのか?」

 隣にいるイザナキが問いかけてくる。顔を赤らめてやけに大きな声で絡んでくるから、彼は少し迷惑そうな態度で「いや」と曖昧な返事をした。その様子を見ていたアマテラスが助け舟を出す。

「お父上、今からスサノオが見世物をしてくれるそうですよ」

 興味がふっとそちらに向いて解放された。閻魔は溜息を吐いたあと席を立ち、庭のある方に出た。冬の静かな夜がそこに広がっている。

 ややあってアマテラスが「少し席を外すよ」と傍にいる少女に言って腰をあげ、彼の隣にやって来た。身軽な看板娘のような恰好で長い髪は下の方で括っていた。一瞥をやり腕を組む。

「何か、気になる事でも」

 遠くを見つめる横顔を見上げ問いかけた。不安にさせる気はないが、彼は素直に答えた。アマテラスは眉根を寄せて俯く、考える素振りに息を吐いた。

「まだ終わっていない」

 独り言に近い言葉に彼女は顔をあげた。

「これ以上は混乱を招きかねない……私達兄弟と父上だけで進めましょう。それと地獄にも一度報を入れねば……」

 そう言うや否や、思いついたように駆けていった。閻魔は最高神とは思えない身振りの女を見送り、ややあってその場から立ち去った。

 地蔵菩薩を経由して大王のもとに話が行った。特別な反応は見せなかった。それもそのはずだ、イザナミはまだ目覚めていないし、目覚める気配すらない。

「恐れながら、邪神共を倒した時、身体はどうなったのでしょう。大王の事ですから抜かりはないとは思いますが……もしかしたらクトゥルフだけ……」

 窺うような声音に大王は深く肯いた。深い眉間の皺に更に皺を寄せて、痰の絡んだような声で呟いた。

「身体はどれも煙のように消えてしまった。然しクトゥルフだけは少々消えるのが早かった気がするな」

 その場にいたヤミーも「我もそう感じた」と証言した。沈黙が流れる、もうそうなら残っているのはクトゥルフ……大王でさえ気配を感じ取れず、彼が駆け付けなければやられていた相手だ。緊張感が空気を支配した。

 大王は一先ず地蔵菩薩に天界へ行くよう言い、こちらも混乱を避ける為主要な者だけに事を伝えた。いざとなれば大王の力で裁判所から先、地獄の部分を鉄のような岩で塞いでしまう……無駄な犠牲は払いたくないし、彼の為にもそれは避けておきたい。

 話を聞いたアマテラスは深く息を吐いた。直接閻魔のもとに行って事を伝える。やっと落ち着いて煙草を吸えるようになった彼は、白煙をぽっかりと吹かしながら「そうか」と呟いた。

「然もどこに現れるか全く分からない、か」

 一番厄介なのは大王やアマテラスらが下手に行く事が出来ない現世に現れる事だ。被害は確実に出る、然も並みの大戦か、それ以上の犠牲が出るだろう。そこは出来れば避けてほしいところだが、相手は精神的に追い詰めるのを主な力とする邪神だ、願い通りにはならない。

「例の僧侶にもこの事は伝えておくのか」

 唯一人間で事を理解出来るのは彼だけだ。アマテラスは肯いた。

「ええ。地蔵菩薩様にそうお願いしました」

 儚い表情がより一層暗く、憂鬱に見える。閻魔は溜息を一つ吐き、暫く天界に留まる事になった。

「それは、誠でございますか……」

 山の中腹にある寺のなかで、名も無き坊主は深く眉根を寄せた。地蔵菩薩は眼を閉じたまま神妙な面持ちを浮かべる。

「誠でございます。現世に来ないとも限らない、そうなれば……」

「かなりの被害が出る」

 坊主が言葉を代弁する。しっかりと肯く菩薩に手を額に当てた。顔色が悪く、冷や汗が首筋を撫でた。

「閻魔様をもう一度現世に呼び戻す事は可能なのでしょうか。きっとそちらの方が被害は少なくなるかと……とてもわたし一人では」

 眼を伏せる人間に菩薩は少し考えたあと頭をさげた。

「天界に行ってまいります。もしその間に奴が来たら、遠慮なくわたくしをお呼びになってください」

 いつもなら丁寧でゆっくりとした所作なのだが、今回は急を要する。返事も聞かずにさっと立ち上がると足音静かに消えていった。坊主は肩を落とし、また禿げた頭に手をやった。その丸くなった背中を襖の陰からくのいちが見ていた、何かが起こると感じ取った彼女はすぐさま退いた。

「おや、今日も一人かい」

 城下町、七、八歳前後の少女が店の前で立ち止まっていた。いつも買いに来る店で、女将はにこにこと接客しながらも眉を八の字にさせた。

「こんな小さな子に遣いをやらせるなんて、可哀想だねえ」

 少女は自分を可哀想と呼ばれる事に慣れていた。女将と奥にいる旦那の会話を遠くの景色のように感じながら何気なく空を見上げた。

 見えたのは白い雲が流れる青い空。然し小さく一点の汚れがあった。じっと見ているとじわじわと広がっていくのが分かる。

 彼女は名も無き坊主程ではないけれど、小さな妖怪や付喪神程度なら眼に見える。あれもそれの類だろうと瞬きをし視線を戻した。瞬間、がっと首に黒い紐がかかったと思えば一瞬にして引き上げられた。

 野菜を纏めた女将が「お待たせしてしまったねえ」と言いながら店頭に戻る。然しそこに少女の姿はない。あるのは彼女が懐に忍ばせている、名も無き坊主のお守りだけだった。

 くのいちがそこに到着する。幾ら忍びと言えども妖怪のような動きは出来ない、あがる息に眼を見張った。

 地面に落ちているお守りを見つけるとそろそろと近づいて拾い上げた。親指で軽く撫でて土埃を拭う。大層な飾りもない、小豆色の布で何かを包んだようなそれにくのいちは顔をあげた。

「お客さんかい?」

 声をかけられ、はっと視線をやった。いつも野菜を買っている店だ、立ち上がるや否や問い詰めるように訊いた。

「あの、ここにこのぐらいの無口な女子が来ませんでしたか?」

 焦った様子に面喰い、すぐには答えられなかった。然し女将は素直に「品を渡そうとしたらどっか行っちまったんだよ」と困った顔をした。くのいちは更に詰め寄って問い詰める。

「どこに行ったか分かりますか!?」

 女将は身を退いて顔を半分背けた。

「そんなの、分かってたらとっくの昔に探して渡してるよ」

 瞬間、眼前の女は消えた。正確には瞬時に屋根に飛び乗っただけだ。女将は眉根を寄せて首を傾げた。

 屋根から屋根へ飛び移りながら少女を探した。誰にも気取られず、その前には姿を消す、そうして忍びとしての能力を最大限使って探したものの、それらしき人影も痕跡も見つからなかった。

 天守閣の頂上でくのいちは手中のお守りを見下した。名も無き坊主が少女に渡した物、見える体質の彼女には勿論寄って来る者も多い、それを跳ねのける為の一種の結界が袋に入っている。

「まさか」

 地蔵菩薩と名も無き坊主が話していた内容を思いだす。クトゥルフ、そう呼ばれる何かが彼女を連れ去ったのかも知れない。くのいちは城の屋根から素早く降りると寺に戻った。

 修羅道の崩れた門の前で地蔵菩薩は唖然としていた。地獄よりも荒々しい景色が広がっている、菩薩は自身の掌を見つめた。

「なにゆえ……確かに天界へ向かったはず」

 震えた声。彼が六道を自由に行き来できるのはそれだけの力があるという事、逆に言えばその力に干渉されると思い通りの場所とは別の場所に飛ばされる……。

 初めての経験だがいずれは辿り着くはずだ、地蔵菩薩は何度も何度も願って移動を繰り返した。そうして何十回目かに天界へ到着した。はあと全身の気が抜けて崩れ落ちる、大きく何度も息を吸って吐き出した。

「こうはしておられません……」

 ぐっと膝に手をついて身体を持ち上げる。ふらふらとした足どりで御所へ向かった。

 やけにぐったりとした地蔵菩薩に閻魔は腰をあげて近づいた。膝をついてそれ以上歩まなくていいと制した。

「名も無き坊主殿より、もう一度現世へ来てほしいと。そちらの方がよろしいとの事でございます……」

 彼から感じ取っていた柔らかな光が薄れている、何者かに攻撃を受けたのか訊いた。

「いいえ、攻撃ではありませんが、」

 消え入るような声でかぶりを振る。然し言葉が途切れてふわりと横に倒れた。小さな鈍い音を起てて伏せる菩薩に、閻魔は「おい、大丈夫か」と何度も声をかけた。

「やりやがったな、あの野郎」

 返答のない地蔵菩薩を前に強く拳を握り締める。現世や地獄を飛び越えて行き来出来るのは名も無き坊主と地蔵菩薩のみだ。然し坊主は現世と地獄のみ、唯一全てを回れる地蔵菩薩は眼前で倒れてしまった。彼は、閻魔大王は天界に閉じ込められたも同然だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る