コバルトバースデー

 8月15日、当日。

 茜から教えてもらった集合場所は駅近くのカラオケ店だった。俺が学生のころからカラオケ以外の使い方をする人たちが増えていた印象がある。実際俺も、友人の誕生日パーティーをカラオケ店でやった覚えがある。


 個室にしては値段が安く、ある程度なら騒げる。

 人気の理由も納得だ。


「すみません、10号室で待ち合わせをしているのですが」


 レジに立っていた女性店員に声を掛けると、にこやかに笑いかけてくる。この店舗には来たことが無かったので部屋の場所を尋ねると、2階にあると教えてもらった。


「お客様、少々お待ちください。念のためお部屋の方、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい……?」


 階段を登ろうとして、後ろから声を掛けられる。振り返ってみれば、先ほどの女性店員の隣に立っていた店長らしき男が俺を呼び止めた。

 どこか疑念の混じった不愉快な視線。態度の悪い店員だなと思いかけて、冷静になる。


 女子高生4人の部屋に遅れてはいる180cm越えの男……。

 怪しくないわけが無い!!


 彼の怪訝な表情の意味を悟って、大人しく待つことにする。さすがに客の前で確認の電話をするわけではないようで、レジの後ろに引っこんでいってしまった。2分ほど待つと、男の店員はレジを出て、俺の傍へと寄ってきた。


「恐れ入ります。お客様のお名前、平野様でよろしいでしょうか?」

「ああ、そうです。平野守です。身分証出しましょうか?」

「いえいえ、そこまでは大丈夫です。大変失礼いたしました。ご案内いたします。ごゆっくりどうぞ」


 おそらく茜辺りが上手いこと言ってくれたのだろう。

 店長らしき男の疑念に満ちた表情は綺麗さっぱり無くなっており、疑ったことを詫びるような低姿勢に変わっていた。まぁ、俺が逆の立場でも怪しいと思う気持ちはわかる。


 考えてみれば、俺とあの娘たちでは住む世界が違いすぎる。

 未来溢れる18歳の女子高生4人。社会人3年目になる23の成人男性。普通に考えれば、一緒に居るだけであらぬ疑いをかけられることがあるだろう。


 今まで言い訳をしながら見ないようにしてきたこと。

 そろそろ夢を見る時間は終わりだ。


「プレゼントだけ渡して、帰るか」


 部屋の前に立つと、心臓の音が聞こえそうなほどに早鳴る。チリチリとした首筋を撫でて心を落ち着かせるが、口が渇いてしょうがない。


 ……これで、最後だ。


「遅くなってごめ……

「あ、お兄さん。待ってたよ……!!」


 扉を開くと同時に、葵の満開の笑顔が目に飛び込んだ。心が沈んだ今の俺には、その笑顔はあまりにも眩しくて、身を焦がすようでもある。

 部活も休みだったためか、見慣れたジャージ姿ではなかった。

 ベージュのゆったりとしたパンツに、シンプルな白シャツ。その上からデニム生地のカジュアルなジャケットを羽織っていた。全体的にボーイッシュではあるが、可愛らしく着けられた青いヘアピンと、高い位置で結ったポニーテールが可愛らしい。


「葵、誕生日、おめでとう」

「うん。ありがとう」


 慈愛と尊敬に満ちた優しい笑顔。普段は無表情で、笑みを見せることだってめったにないクールな彼女は、今日は、今日だけは、笑顔を浮かべている。

 他の3人に向けてではなく、俺に対して。


 ……それはズルいだろ。


 思い出すのは、先週の金曜日の出来事。デートをドタキャンされた真城と、それを心配した彼女が追いかけていたあの日。

 あのとき、別れ際に彼女が言った言葉。


『……いろいろ言ってるけど、私、お兄さんのこと好きだよ』


 何度も忘れようと思った。気にしないように言い聞かせた。

 けれど、今の葵の笑顔を見ていると心が揺らいでくる。もう、彼女達とは関わらないようにしようとした決意が、鈍って撤回したくなる。


 大人として、望んでいいはずがない希望に、手を伸ばしたくなる。


「お兄さん、気にしなくていいんじゃない? は楽しもうよ」


 部屋の前で立ち尽くす俺の手を、茜が引っ張ってくれる。

 優しくて暖かくて、抱いていた不安を消し飛ばすような手。


 必死に警告を出す理性の声は聞こえないふりをして、4人に迎えられる。

 やかましい音楽と、膝ぐらいの高さしかないテーブルには山盛りのポテト。香ばしい油の匂いと、4人の甘い香りが混ざり合って、頭がクラクラする。


 いちばん角の席にはゲーム機を抱きしめているクロエ。その隣には真城が座っており、2人の間には大きな紙袋が置かれていた。ただプレゼントを入れているというわけではないようで、おそらくだが、ケーキが入っているのだろう。


 向かい側には茜が1人で座っており、わざとらしく空けられたスペースが、暗に俺の座る場所だと言われているようだった。当然、本日の主役である葵は、扉のすぐ正面に座っていて、文字通りお誕生日席である。


 俺が席に着くと、クロエはゲーム機をしまう。

 それぞれの準備が出来たところで、代表して茜が全員に目配せをした。


「さて、お兄さんも来たところだし、改めて!!」


「「「「葵、誕生日おめでとう~!!」」」」


 声をそろえて葵の誕生日を祝うと、彼女ははにかみながらもお礼を言った。


「葵も18歳。法律上は成人よね」

「……そうだけど、あんまり実感ない」


 成人という区切り。一応18歳から成人として定められてい入るが、未だ高校生の彼女にはその自覚がないのだろう。茜も共感したように頷いていた。


「守さん、大人ってどういう感じなんですか? 20歳になったときは何か感じました?」

「いや、特に何も感じなかったなぁ。短大生の時だったから、誕生日の日に酒飲んでみたけど、飲み方が悪かったのか、吐いちゃったし。次の日は頭痛で起き上がれなかったし」


 友人たちとバカ騒ぎをしながら安い缶ビールを飲んだことを思い出す。20歳になったら大人になれると思っていたが、学生のうちは、そんなことはなかった。

 まぁ、社会に出れば嫌でも大人にならざるを得ないのだ。


「大人ねぇ。僕みたいな社会不適合者が大人になれるのかな?」

「クロエ~? アンタまた働きなくないとか言い出すの?」


「そ、そうじゃないよ!! ただ、僕が守さんみたいに働いてる姿が想像できないってだけ」

「はは。そう心配すんなよ。大人なんて、なりたくてなってるわけじゃないからさ」


 葵に勧められたフライドポテトを齧りながら気楽に笑う。少しでも安心させたくて笑ってみたが、効果はあるようで、クロエは硬くなった表情を和らげた。俺が食べようと手を伸ばしたポテトを奪っては、ドヤ顔でこちらを見てくる。


「……お兄さん、ポテト食べさせて」


 ポテトを巡った攻防をクロエと繰り広げていると、無表情の葵が口を開けた。


「食べさせてって、あーんしろってこと!? 恥ずかしいバカップルかよ……」


 躊躇いながらも小さいポテトを手に取ると、それを奪い去って口に運んだ。彼女は顔を真っ赤に染めながらそっぽを向いてしまう。


「まぁ、ちょっと調子乗った。さすがに恥ずかしい……」


 誕生日ということもあって、テンションが上がっているのだろうか。

 葵の口の端には薄くケチャップが付いていた。


「葵、口元拭きなさい。それとも、私が拭いてあげようか?」

「ふふ、また茜ちゃんと葵ちゃんはイチャついてる。まるで夫婦みたい」


 からかう様に真城が笑うと、つられて俺とクロエも笑ってしまう。葵はまたも恥ずかしそうに顔を染めながら俯いて知らないふりをしているが、茜は「か、勘違いしないでよ。そういうのじゃないわ」とムキになって否定していた。


 大変眼福なのでよろしいと思います。


「……お兄さん、顔キモいよ」

「絶対的に俺が悪いけど、ストレートに言いすぎでしょ。もっと優しくして」


 向かい側のクロエが、ゲームの画面から少しだけ顔をあげて言う。手厳しい意見に嘘泣きを見せると、隣に座っていた茜が距離をとった。


「えぇ、ドン引きなんだけど」

「君らは遠慮がないね!?」

「お兄さんに嫌いじゃないって言ったの、撤回しようかな」


 いい歳した大人の泣き真似が見苦しかったのか、茜も葵も侮蔑した目を向けてくる。微かな希望を胸に、真城を縋るような目で見つめると、表情をこわばらせて苦笑いを浮かべていた。

 いつもは上品な笑い声をあげる彼女も、今回ばかりはお気に召さなかったようだ。


 クロエがグラスに注がれたジュースを飲み干す。ドリンクバーがあるのに、未だ飲み物すらとってきていないことを思い出して、腰をあげようとすると、茜がクロエのグラスを取った。


「何飲むの? またコーラでいい?」

「さすが茜!! やっさしー。コーラでお願い」


「うるさいわね。べつに自分の飲み物のついでよ」


 ゲームから目を離すことなくクロエが言う。頬を染めた茜は、中身が半分以上残っているグラスと、空っぽのグラスを持っていく。部屋を出ようとする茜を引き留めると、葵は炭酸水を頼んだ。

 部屋の扉を開けると、どこからか派手な音楽と子どものような騒ぎ声が聞こえる。


「茜、俺も行くよ。3つは危ないでしょ」

「あ、ありがとう……?」


 葵が差しだしていたグラスを受け取って、茜と一緒にドリンクサーバーまで歩く。


「……ここ来るの初めてだったから、場所分かんないんだよね」

「ああ、そういうこと?」


 扉が閉まると同時に、首の後ろをさすりながら白状する。茜が少し目を細めて笑うと、指を差して場所を教えてくれた。俺たちの部屋からは若干距離があるようで、トイレと階段を通り過ぎた反対フロアにドリンクサーバーは置かれていた。


「お兄さん、方向音痴?」

「いや、そう言うわけじゃないけど、カラオケ店のドリンクバーって、分かりにくい場所にあること多くない?」

「……そう? ここしか来たことないからわかんない。学校からも家からも近いのここしかないし」


 言われてから気付いたが、茜を送り届けた時に近くを通った気がする。あの時は、彼女とカラオケに来るなんて想像していなかったから、欠片ほども気にしていなかったが。


「ショッピングモールにもカラオケ店あったよな? 確か地下だったけど」

「あそこ、狭いのよ。4人で行くのに都合のいい部屋ってないらしくて」


 まぁ、言われてみれば。

 ショッピングモールに併設されているカラオケ店は部屋が狭くなりがちな気がする。何の根拠もない偏見だし、そこまで頻繁にカラオケに行ったことがないので分からないが。


「それよりお兄さん、歌は得意?」

「……それなりってところだな。歌うのは好きだけど」


「ならよかった。午後は、ガンガン歌うわよ~!!」


 ドリンクバーでコーラを注ぎながら、ドヤ顔で言う。

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