月白ナイト

 純真無垢の擬人化のような少女は、耳が隠れる程度のボブヘアーをさらりと揺らして、天女のような微笑みを向けてくる。

 驚きが混じっているが、確かな安堵も見え隠れしており、庇護欲を掻きたてられた。


「守さんは、会社の帰りですか? お仕事お疲れ様です」


 ぺこりと頭を下げる彼女は、どこか新妻めいていて、幼い顔立ちながらもふっくらしていて豊満なスタイルを前に、なぜか背徳感を感じる。大人ぶった清純なワンピースを着ていても、まだ女子高生であることを知っている俺の目には余計に魅惑的に映った。


 いやいや、女子高生に手を出すとか、犯罪にもほどがある。

 いくら可愛くても未成年だ。


「真城は……? 家がこの近くってわけじゃないよな」

「ええ、ちょっとアレなんです……」


 真っ白な頬を少し紅潮させながら、恥ずかしそうに言う。


「これからデートなんですよ」


 照れているのか、自分の髪をくしゃりと握る。ふわりと甘い香りが漂い、今の彼女の装いが、彼氏のためだと気づいた。少し丈の短いワンピースも、同じ白でも少し色味が強い胸元のリボンコサージュも、肩に掛けたおしゃれなポーチも、明るいリップとナチュラルメイクもすべて、愛しの彼のため。


 俺が声を掛ける前の彼女が、どこか不安そうな雰囲気を纏っていた理由も察せられた。


 しかし、はにかみながら嬉しそうにしている真城に水を差す必要もないだろう。


「そっか。デート、楽しめよ」


 なるべく自然に。茜から聞いた悪評を忘れながら軽く声を掛ける。

 お世辞にも女子高生を連れ回すのに適しているとは言えないホテル街の方へと目を見遣る。残念なことに、真城の彼氏とやらはまだ来ていないようであった。


「約束は何時ごろなんだ?」

「えっと、一応、16時とは言ってたんですけど……」

「……1時間以上も過ぎてるな。連絡はしたのか?」


 少し心配になって尋ねると、真城は小さく頷いた。しかし、LINEは既読にもならず、仕方なく駅前のコンビニで時間を潰していたという。この様子だとまだ来そうにない。

 小さく、けれど拭いきれない不安感を胸に、コンビニのイートインスペースで待とうと提案した。


「帰らなくていいんですか?」

「ん~、実は俺も暇なんだ。ちょっと話すの付き合ってよ」


 俺が感じる不安や危うさが、ただの杞憂であるのならそれでよし。そうでないのなら……。


「早く来るといいね。その彼氏」

「そうですね。根気よく誘ってたから、来てくれるって言ってくれた時は、すごい嬉しかったんですよ!!」


 茜が言うには夏祭りの日もデートに誘っていたがドタキャンされたと言っていた。おそらく今回もそのパターンなのではと考えているが、集合場所を決めたのは向こうだという。わざわざが多い駅前を指定したということは、来るつもりなのだろうか。


 いや、だとしても喜べることではないのか。


「それより、お兄さんは、どうしてこのコンビニに? 会社、近いんですか?」

「いや、別に近くは無いんだけどさ。イカの姿焼きがめちゃくちゃ美味いって同僚から聞いて、気になったからコンビニ中探し回ってたんだよね」


「へぇ~。そんなに美味しいんですか? 私も食べてみようかな」


 先ほど買った袋を見せると、興味を惹かれたのか財布を持って立ち上がろうとした。しかし残念、ここでも大人気商品だったイカの姿焼きは、俺が買ったもので最後の一つである。

 まぁ、飲み屋も多いところだし、飲み足りない飲んだくれが買うよなぁ。


「ごめん、これが最後の1つみたい」


 一生懸命、酒の補充やおつまみの品出しをしているようだが、この商品の追加は無さそうだ。

 あいにく酒はまだ買っていないが、ここで少し食べてみてもいいだろう。


 袋を開けて真城に1枚渡した。もう1枚取り出したものを齧ってみるが、確かに美味い。

 甘辛く味付けされたイカは、薄っぺらいが少ししっとりしている。下処理がしっかりしているのか、皮が生臭いということも無く、適度につけられた焦げの苦みが酒を進ませそうだ。


「うわ、ビール飲みてぇ……!!」

「えっと、じゃあ、いただきますね。ありがとうございます」


 柔和な笑みを浮かべて、小さな口でイカに齧りつく。こういうものを食べ慣れていないのか、どこかぎこちなく、噛み千切る力も弱い。モグモグと口を動かす姿はまるで小動物のようだ。


「……んッ!! ゲホッゲホッ」

「うわ、ど、どうした!? 大丈夫?」


「あ、大丈夫です。ちょっと味が濃くてびっくりしちゃって」


 一口食べた瞬間にむせた真城に驚いていると、目の端に涙を浮かべながらイカの姿焼きをティッシュに吐き出してしまう。味の濃い食べ物が苦手だと言っていたが、ここまでとは思わなかった。

 いや、冷静に考えれば酒飲みのバカ舌に合わせて作られているのだから、相当濃い味付けなのだろう。


「変な物食べさせてゴメンね? 大丈夫? 水飲んだ方が良いよ」

「あ、こちらこそ、吐き出しちゃってごめんなさい。お、美味しかったですよ」


 余りにバレバレな嘘を吐いていた。残ったイカをどうしようかで迷っていたが、捨てるのももったいないので、頑張って一口で食べきった。え、なんで無理して一口で食べたかって?

 ……まぁ、気にしないように努めても、無理だよねって話だ。


 なんやかんやで2時間が経とうとしていた。

 それでも、彼氏が来る様子はない。

 先ほどから店員の目も鋭くなってきたし、真城の不安そうな顔も強くなっている。コンビニには何度も客が来ているが、その度にがっかりとした表情を浮かべる彼女を、これ以上見ていられない。


「なぁ、真城。今日は来れないようだし、また別な日にしたらどうだ?」

「でも……。……いえ、そうですよね。多分、忙しくて忘れちゃったのかな……」


 痛々しく取り繕った笑顔を向けられた。

 どうしてこの娘はこんな顔をしているのだろう。それを見る俺の胸は、どうしてこうも締め付けられるような思いを抱いているのだろう。


「さっき、変な物食べさせたお詫びに、飯でも奢るよ。ファミレスでいいか?」


 なんとなく、このまま彼女を1人にして帰すのも嫌だったので、適当な理由を付けて誘う。ただの欺瞞にすらならないが、少しは心が安らいだのか、真城の笑みに明るさが見えた。

 きっと、その明るさも心配させたくないという偽物かもしれないが。


 彼女を連れて車に乗り込もうとすると、見覚えのあるジャージ姿の少女が勢いよく近づいて来た。微かに怒気を孕み、今にも飛び掛かりそうな様相に驚く。


「真城をどこに連れていくの!!」

「あ、葵ちゃん!?」

「葵!? どうしてここに……」


 怒り。悲しみ。憎悪。不安感。恐怖。失望。

 俺の手に痣が出来るほどに強く握りしめた葵の感情が痛いほどに伝わってきた。


 ああ、まただ。苦しそうに歪んだ2人の顔を見ていると、背中から刃を突き刺されたかのような痛みを感じる。


「お兄さん、真城をどうする気?」

「落ち着け葵!! ちょっと飯に行くだけだ。信じられないなら葵も来ればいい」


「まって葵ちゃん。お兄さんは、私を心配してくれてるんだよ……」


 冷静さを失っている葵と泣きそうな顔のままオロオロしている真城を連れてファミレスまで車を走らせる。その道中で、真城が事情を説明してくれている間に落ち着いてくれたようだ。




「……またあの男は!!」

「落ち着いてってば。私は大丈夫だから」


 ファミレスに到着し、ここまでの話を聞いた葵はドンとテーブルを叩く。必死に真城が宥めようとしているが、怒りが収まらないようだ。


「お兄さんは、どうして、真城を助けてくれたの? 下心?」


 微かに警戒心を抱きながら、上目遣いで聞いてくる。

 答えを間違えれば、思いきり殴られそうだ。


「まぁ、茜からうっすらとした話は聞いていたし、場所も場所だったからな。大人としてあんまり見過ごせない状況だったって感じだ」


 正義感。というよりは、真城の満点の笑顔を知っているからこそ、彼女が酷い目に遭うのが嫌だったのだ。自己満足と言い換えてもいい。


「……守さんは、いつも私を助けてくれますね」


 いつも助けられるわけではないが、ちょっとした知り合いなのだから、助けてやりたいと思うのが人情だろう。気にするなと言って微笑むと、葵と真城の間に暖かい空気が流れ始めた。


「それより、葵はどうして真城のこと追いかけてたんだ?」


「茜からデートのことは聞いた。そしたら、電車の中でたまたま真城を見かけて、追いかけた」


 どうやら今日も部活帰りだったようだ。昨日とは違う紺色のジャージと、大きなスクールバッグがそれを指し示している。真城を追いかけるのに夢中で暑くなったのか、下は短パンだ。


「とにかく、真城が無事でよかった」

「だ、大丈夫だよ~。葵ちゃんは心配しすぎ!!」


「そんなことない。真城は可愛いから、変な人が近づいてくる」


 少しだけ俺の方を見ながら、真城を守るように抱き着く。真城も恥ずかしそうに、頬を真っ赤に染めているが拒絶する様子はなかった。


「変な人ってのは俺のことか? 変で悪かったな」


「まぁ、ちょっと言いすぎた、かも」

「ふふ、クスクス。葵ちゃんと守さんって仲良しですね」


「「別に仲良くはない」」


 先ほどまでの張り詰めたような空気はなくなり、真城の優しい笑い声に癒される。葵もどこか安堵したような表情を浮かべていた。そんな2人の姿を見ていると、突き刺すような胸の痛みも無くなっている。


 そうこうしていると、ちょうどいいタイミングで店員が注文した料理を運んでくる。ディナーには少し早いこともあって、忙しくないのか、あまり時間がかからずに料理が来た。


「お待たせいたしました。ダブルハンバーグセットとパスタ、マルゲリータになります」

「ハイ、ありがとうございます」


 女子高生2人とスーツの男という異様なメンバーにファミレスの店員が怪訝な顔を浮かべる。


 葵の前には大盛りのご飯と2枚のハンバーグが乗せられた鉄板。俺の前には大きなマルゲリータ。真城の前には少し小さめのパスタが並べられている。

 あいかわらず葵は大食漢である。まぁ、決して口にはしないが。


「部活終わった後だし、夜だから。20時以降は炭水化物食べないからいいの!!」

「だから何も言ってないだろ。好きなもの食ったらいいよ」


 めちゃくちゃ食べるのに恥ずかしそうにしてるんだよなぁ。

 まぁ、そういうところが余計にかわいく思える。


 食事を終えると、時刻は19時半。先ほどよりも客も増えてきて、騒がしくなり始めた。大人っぽい格好をしている真城はともかく、学校指定のジャージ姿の葵を連れ回していると、周りからの視線も痛々しくなる。早々に店を出ることにした。


 真城のお父さんが迎えに来てくれるというので、お父様の会社の最寄り駅で真城を降ろすと、車内には俺と葵だけになる。後部座席に座ってスマホを弄っているので、特に気にせず彼女の家の近くまで向かう。


「お兄さん、真城のこと。本当にありがとうね。ううん、真城のことだけじゃない。たぶん、昨日、クロエのことも助けてくれたんでしょ? 嬉しそうに話してた」


 おそらく重要なこと葵の誕プレは濁したのだろうが、大まかな話をしているらしい。別に助けたというつもりはないが、出来ることをしただけ。


「まぁ、気にしなくていいよ。それより、コンビニ着いたぞ。夏祭りの日と同じ、ここでいいんだよな?」


 葵の家の近くだというコンビニまで到着すると、彼女はもう一度小さくお礼を言って車を降りた。


「……いろいろ言ってるけど、私、お兄さんのこと好きだよ」


 去り際に、その一言だけを残して。

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