アスファルトデイ
無機質でうるさいアラームの音で起こされる。シーツはほんのりと濡れており、首筋から垂れる冷たい雫に不快感を抱いた。シャツを洗濯機にほおり込むとそのままシャワーで寝汗を流す。
冷水を頭から被ると、一気に目が覚めて昨日のことも思い出した。
風呂から出てスマホのアルバムを開く。そこには夕日に照らされた4人の美少女がカメラ目線で微笑んでいる。夢のようなフワフワとした2日間だったが、紛れもない現実だった。
「さ、仕事行くか~!!」
少し伸びをしてスーツに着替える。
3年経っても着慣れないスーツに袖を通しながら仕事に行く準備を整えると、昨日までの夢見心地から気分は一転、少しはまともな大人として会社に向かった。
「おはよーざいまーす」
「はよー」
適当な挨拶を呟きながら自分のデスクに座る。隣の席ではすでにパソコンを開いて仕事を始めている男がいた。俺の同期で社内で一番仲が良い
怒られない程度に茶色に染めて、パーマで毛先を遊ばせた彼は、椅子に濃紺のスーツを引っ掛けて腕まくりをしている。細身ながらも少し日焼けしていてゴツゴツとした腕からは、昨日までの休みも十分に満喫していたことが窺えた。
インスタの投稿では山に登ってきたと言っていたな。
「おい、食品のパッケージ偽造のニュースだとよ。この会社、聞いたことあるか?」
「……知らねぇ会社だ。どっかの下請けか?」
佑のパソコンの画面にはどことも知れない無名の中小企業が食品のカロリー表示を偽造していたとして、営業停止処分を受けたと報道されている。俺たちの勤める会社も食品関係の業種であるし、俺と佑の部署はパッケージデザインを主な業務としている。
他人事として片づけられる話じゃなかった。
「朝から嫌なニュース見ちゃったよ……。もっと明るいニュースは無いのか~。どっかの動物園でパンダが生まれたとかさ」
ぶつくさと文句を言いながら、他の記事を探し始める。まだ業務開始には時間があったのでTwitterを見始めた。パンダ出産ではないが、新たな動物を迎えるということで話題になっている動物園はあった。
残念なことに少し遠いので気軽に行ける場所ではないが。
「へぇ、日本一可愛い女子高生グランプリだってよ。うわ、その下のニュース、女子高生と売春容疑で30代男を逮捕だって。皆、女子高生好きだねぇ~?」
「んぐっ!?」
持参していたペットボトルのコーヒーを吹き出しそうになる。実にタイムリーであまり耳に入れたくない嫌な話題だ。
誤魔化したような笑みを浮かべるが、内心では焦っていた。
何もやましいことなんてないけど。……た、多分?
4人の女子高生を思い出しながら、誤魔化すようにアイスティーを口に含んだ。
「平野、不破、おはよう」
「おはようございます」
「おはようございまーす」
俺たちの後ろを颯爽と歩き去ったのは、俺たちの上司であり頼れる良き先輩でもある
高級そうな黒のスーツにきっちりとした白のブラウス。ブランド物のローファーをカツカツと鳴らしながら、長い髪を風にたなびかせる。ヒラヒラと宙を舞う美しい黒髪に見とれていると、蘭花課長と目が合った。
「平野君、ちょっとこっちに」
「はい? なんでしょう」
俺を呼びつけた彼女は、パソコンを立ち上げながら社用のスマホで社内メールをチェックしている。出社したばかりだというのに忙しそうにしている課長を見ていると、あまり出世はしたくないなと消極的な考えが浮かんでしまった。
それはそれとして、黒のロングパンツから分かる太ももの色気に目を奪われる。茜たちも若々しくて健康的なスタイルだったが、蘭花課長は大人の色香と言った感じで全く毛色が違う。
社内に男女問わずファンがいるのもうなずけた。
「今日の午前中、手は空いているかしら。
「午前中ですね。空いてます。あ、自分からも一ついいですか?」
「先週、私が頼んだ議事録と営業部への報告書の件? 今日中に提出してもらえれば、それでいいわ」
さすが課長。俺が言おうとしたことを先回りしていらっしゃる。4,5人に仕事を飛ばしていても、全部の進捗を逐一確認できる人は違うな。
社内メールに目を通しながら、取引先に電話を始めた課長に畏敬の念を込めながら、自分のデスクへと戻った。
あの大局観はどうやっても真似できる気がしない。
席に戻ると、すでに佑の姿はない。部内のスケジュール表には営業部と一緒に外出すると書かれていた。昼頃にはいったん戻るらしいが、午後から別件で打ち合わせらしい。
俺たちも3年目になって、少しずつ忙しく動き回る時期だからな。
仕事が増えた分だけ、それなりに給料も上がったし、文句は言わないでおこう。
別会社との打ち合わせは意外にも早くに終わった。予定では13時頃まで掛かるだろうと思っていたが、今はまだ11時半。会社に戻ったらすぐに昼になる頃だろう。
もっとも、蘭花課長はすぐに別な会議に出て行ってしまったが。
「平野君。タクシーで会社に戻っていいよ。経費で出していいから」
「マジですか? この前、本社出張でタクシー使った部長が経理部に怒られてましたよ」
先月ごろに見かけたゴタゴタを課長に告げると、青ざめたような顔をし始める。
「マジか。先週の打ち合わせ、思いっきりタクシー使っちゃったよ。しかも経理部に申請出しちゃったし……」
ウチはそこまでやかましく言われる会社ではないが、最近は少し方向性も変わっているらしい。接待やタクシー代などが経費で申請できなくなっているとかいないとか。
未だ思案する課長を前に苦笑いを浮かべると、途端に明るい表情へと変わった。
「うん。これは必要経費だ。……ということにして知らんぷりしておけ。この暑い中じゃ、駅まで歩くのも一苦労だろう」
ビルから外を見てみれば、サンサンと太陽が降り注いでいる。交差点で止まっているサラリーマンたちは、シャツを汗まみれにしながらハンカチやタオルで額の汗を拭っていた。打ち合わせ先である小鳥遊フーズが駅から10分ほど歩くことを考えると、タクシーで帰れるのは願ってもない幸運だ。
もちろん、来るときに乗ってきた会社の車は、蘭花課長が次の打ち合わせ先に向かうのに使う。ウチの会社と真逆の方向であることを加味すれば答えは一つである。
俺は余計なことは言わずに、タクシーで会社まで戻った。
いやぁ、涼しい車内は快適だね。
会社のエントランスを歩いていると、煙草を片手にランチに出ようとしている佑が居た。どうやら彼も営業部との外回りを終えて帰ってきたようだ。
「お帰り。メシ一緒に行こうぜ?」
「ただいま。俺、牛丼の気分なんだけど、いい?」
小鳥遊フーズでの打ち合わせで冷凍牛丼のパッケージ案について話していたら、完全に牛丼の口になっていた。たしか、この時期は味噌汁無料キャンペーンがやっているはずだ。
「いいね、牛丼!! 朝、パンだったから、腹減ったわ~」
これだけ猛暑と騒がれていても牛丼屋は賑わっている。佑は、暑い暑いと呟きながら首元の汗を拭って、大盛り牛丼の豚汁付きを注文した。ちなみに俺は味噌汁である。やっぱ、無料キャンペーンって聞くと頼んじゃうよね。
「あー、毎日クソ暑くてイヤになるな」
「まじでそれ。なんで向かいのカレー屋にも行列出来てるんだろうな?」
ビルと飲食店が立ち並ぶオフィス街では、サラリーマンだと思われる人たちが思い思いに短い昼休みを過ごしている。窓際で小さめの牛丼を食べる男もいれば、嵐のようなスピードで入店して雷のように昼食を済ませて出て行く小太りの男も居た。
「そういえば、コンビニに売ってるイカの姿焼きって知ってる? あれ、めちゃくちゃ美味いぞ」
「あー、会社で食ってる人、居たわ」
「安いのにマジで美味いから、絶対買った方が良い。めちゃくちゃ酒進むぞ!!」
それぞれ味噌汁や豚汁の熱さに悪戦苦闘しながら、適当な雑談を続ける。高校時代からの仲ということもあって、社会人になってからも気を置かずに話せる間柄だ。もちろん、上司の前ではそれなりの態度で接するが、昼休みの俺たちは高校時代と変わらないノリである。
「そういえば、お前に朝のニュース見せたか? この日本一可愛い女子高生の写真」
スマホを操作してみせてきたのは、どこか計算めいた笑顔を浮かべる少女だった。女子高生というだけあって、セーラー服(多分、コスプレ用の衣服)を着こなしている。しかし、どこか笑顔が嘘くさく、全体的に可愛さも美しさも足りていない。
成人しているモデルに匹敵するほどのスラッとした体型、それに似合わぬ童顔。どこかアンバランスさを感じさせる高級ブランドのバッグやスニーカーが浮いていた。カメラマンの腕は当然一流であるが、どうにも彼女の魅力を引き出せている様子はない。
「意外とこんなもんなのか……?」
あの4人を思い出せば、佑のスマホに表示されている少女は明らかに劣っている。
容姿を否定するわけではないし、写真だからという問題もあるのだろうが、それを差し引いても茜の方が綺麗だったし、葵の方が美人だったし、真城の方が色気があるし、クロエの方が可愛かった。
どこかモヤモヤとした感情を抱えながら、牛丼屋をあとにする。
煮え切らない俺の態度に、佑は微かに違和感を抱いていたようだが、無理に触れてくることはない。多分、純粋に気にしていないのだろう。
空腹だったとはいえ、大盛りの牛丼と味噌汁というヘヴィな昼食は、眠気となって瞼にダメージを与えていた。報告書の記述と議事録作成という眠気を誘う退屈な仕事を何とか頑張りながら定時を迎えた。
先ほど戻ってきた蘭花課長に2つの書類を出したところ、OKをもらえたので大手を振って帰れる。
「佑、先帰るわ。お疲れさまでした~」
「うい。お疲れ様でーす」
デザイナーからの連絡を待っている佑を置いて車に乗り込む。なんとなく昼休みのことを思い出して、コンビニに売っているというイカの姿焼きを買いに行こうと考えた。
土日は飲まなかったし、1杯ぐらいなら楽しんでもいいだろう。
「……売ってねぇし」
会社近くのコンビニに寄ると、同じような格好のサラリーマンが缶ビールやら柿の種を買っていた。当然、酒飲みの間でプチ話題になっているイカの姿焼きは無く、品切れの札が提げられていた。一応レジ前にはイカゲソが置いてあるが、気分じゃない。
まぁ、万が一どこにもなかったら嫌だし買っておくけどね
更に車を走らせて、駅前の方まで来てしまう。道歩く人を眺めて見ればサラリーマンはわずかに減って、どこかで遊んできたのであろう中高生や、これから仕事にいくであろうホストやキャバ嬢が入り混じっている。
「チッ。失敗した……。もう一つ先の駅前にしておけばよかったか」
何も考えず近いコンビニで探していたせいで、歓楽街の雰囲気が漂う駅前に来てしまった。夏ということもあってまだ日が明るいので派手な客引きはしていないが、もう少し遅い時間になれば夜の仕事の人たちが熱心になるだろう。
まぁ、ちょっとコンビニに寄るぐらいだから。と自分に言い聞かせて見ないようにした。
なんか、いつもは気にしない女子高生のコスプレ衣装が気まずく感じるんだよ!!
「お、あるじゃん。ラッキー」
探していたイカの姿焼きを見つけて少しテンションが上がったせいか、意図せず独り言をつぶやいてしまう。なぜか静かな店内でいきなり声を発したせいで、品出し中の店員がチラリとこちらを見てきた。俺が勝手に感じている気恥ずかしさを無視するように「いらっしゃいませー」とやる気のない挨拶を口にした。
独り言を聞かれて恥ずかしいな。なんて考えていると、俺の後ろではどこかで見たことがあるような真っ白な髪の少女がドリンクコーナーで右往左往している。
清楚なイメージを与える真っ白なワンピースに、腰に巻いた薄黄色のリボン。肩から下げたポーチが可愛らしく揺れていた。
「……真城?」
「え、え!? あ、お兄さん!?」
純真無垢の擬人化のような少女は、耳が隠れる程度のボブヘアーをさらりと揺らして、天女のような微笑みを向けてくる。
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