瑠璃色の彼女

「お兄さん、私達のこと、ナンパしてみない?」


 挑発的な笑みを浮かべる赤い浴衣を着たお姉さん。俺のすぐ後ろには無表情の海色の髪をした女性が進路を阻んでおり、その背に隠れるような黒いチョーカーの女の子はこちらの様子を窺っている。

 儚い雪のような佇まいの少女が俺の袖を掴んだままだというのに……。


 4人を相手にしろって?

 勘弁してくれ。


 普通に考えたら適当にあしらってその場を離れるのが得策だろう。4人とも毛色は違うが美少女というにふさわしい容姿だ。彼氏がいることが予想できるし、たとえいなくてもこの状況では、どうこうできるものでもない。美人4人を侍らせて酒を飲むのはさぞ楽しいだろうが、終わった後の気苦労は4倍以上だ。


 断ろうとする理性とは裏腹に、口を突いて出た言葉は羽のように軽いものだった。


「じゃあ、皆で楽しく花火でもみようか? 大丈夫、終わったら全員車で送っていくからさ」


 余りに信用できない軽薄な言葉。しかし赤髪の少女は期待を込めた表情で俺を一瞥すると、他の3人に声を掛けて俺の後ろを歩こうとする。


「案内してよ、お兄さん。?」


 見たことがないラベルの缶ビールを軽く掲げて、意味深に笑った。


 友人から教えてもらった、花火が良く見える公園までは駅とは逆方向に歩く必要がある。せっかく屋台が並ぶ大通りを歩くのだから、もう少し雰囲気を楽しんでいきたい。色とりどりの浴衣で周囲を魅了しながら少女たちは虹色の綿あめに夢中になっている。


「カワイー!!」


「けど、食べる気にはならないよね」


「あ、お兄さん、私と気が合うね。こんなの食べるのは頭お花畑の奴だけだよね」


「いや、そこまでは言ってないんだけど……」


 赤いピアスを付けた少女の後ろに隠れていた背の低い女の子が目を輝かせながら毒を吐いた。先ほどまでは借りてきた猫のようにおとなしかったというのに、突然、目を輝かせて同意を求めてくる。その変わり身に面食らっていると、青い浴衣の少女と白のリボンコサージュを付けた少女は虹色の綿あめを買っていた。


 そのゲテモノみたいなやつ、食べるんだ……。


 奇しくも、俺と黒髪の女の子の苦笑いはそっくりだった。


「あ、てかお兄さん、私たち名乗ってすらないじゃん」


「ホントじゃん!! アタシ、赤崎あかさき あかね。茜って呼んでいいよ」


「私、青峰あおみね あおい。お兄さん、よろしくね」


「し、白澤しろさわ 真城ましろです!! よ、よろしくお願いします……」


 立て続けに3人が名乗ると、黒いチョーカーの少女は茜の背中から飛び出して、俺の正面へと立った。あまりに綺麗な仁王立ちに呆気に取られていると、浴衣の袖をわざとらしく音を立てて翻す。何をするのかと思いきや、奇妙で滑稽なポーズを取り始める。


「我が名は幽世かくりよの悪魔!! 根源的恐怖の末席を預かり、超特級呪霊も同時に努めている。実は神の呼吸が使えることは秘密だ。そう、私こそが……


「コイツ、黒谷くろがや クロエ。たまに変なこと言うけど、無視していいから」


 黒髪の少女が仰々しい名乗りをあげようとしたところを、茜が遮って彼女の名前を言う。

 突然、痛々しい名乗りを上げた少女は顔を真っ赤に染めた。周りを歩く人たちがくすくすと笑いながら通りがかっていく。葵は無表情だがそっぽを向いており、真城も共感性羞恥で俯いている。花火のように美しい緋色の少女は、呆れたように頭を抱えてため息を吐く姿さえも美しかった。


「……俺は、写真の悪魔。D級の無害な呪霊でうつしの呼吸が使える一般人。まぁ、72通りの名前があるが、今は平野ひらの まもるって名乗ってる」


「……『そんな装備で大丈夫か?』の人ですか!?」


 彼女一人に恥をかかせるのもかわいそうだったので、気恥ずかしいのを必死にこらえながら名乗り返した。咄嗟のことだったのでわけがわからないことを口走っていたが、どうやら伝わったらしい。


 まぁ、茜はさらに深いため息を吐いていたし、葵と真城は反対側の屋台でチョコバナナを買っていた。俺だって今すぐ逃げ出したい気分だ。しかし、クロエは目をキラキラ輝かせて俺を上目遣いで見つめている。幼げな印象を与えるが艶やかに潤んだ黒瞳と目を合わせていると吸い込まれてしまいそうになる。


「お兄さんもゲームとかするの? ダクソやった? 黄金指輪は? ヴァロ一緒にやろ!!」


「ちょ、ちょっとまて、フロムは見る専だし、ヴァロやるならジェットは絶対にやらないぞ」


「え、クロエのオタトークに付き合えるんだ。お兄さん、優しいんだね」


 失礼な。最近は筋トレが趣味のオタクだっているんだぞ。というか、大学時代は写真サークルに入ってたんだから、ゴリゴリのオタクだぞ。ただちょっと、背が高くて体格がいいだけで。


 先ほどまでの怯えた表情とは一転したクロエは、俺の腕を掴みながらゲームやマンガの話を始めた。知っている作品なら返してやれるが、ときたまニッチな作品が混じってくる。忙しさにかまけて追い切れていないライトオタクにはついて行けない。まぁ、気になる作品の話ばかりで興味は引かれるが……。


「僕、お兄さんと趣味合う気がする!! 今度、映画見に行こう!!」


「ク~ロ~エ~。私が誘った時は家から出たくないって言ったわよね?」


「茜が誘ってくるの3次元の恋愛映画じゃん。そんなの見たくないよー」


「だから、何とかってマンガの実写映画に誘ったでしょ!!」


「「実写化はクソ」」


 俺とクロエの声が重なった。オタクの厄介な部分が前面に押し出された主張に、茜はさらにうなだれた。いっそ何を言っても無駄だと悟ったのか、俺たちの会話を無視して葵たちの方へと歩いて行く。ちなみに、クロエと今季アニメの話をしている間に、葵と真城はかき氷を食べていた。


「……2人は甘い物ばっかりだな。俺のたこ焼き一つ食べるか?」


「もうすぐ8時だから、炭水化物は抜きたい」


「私、あんまり味濃いのは苦手なんです」


 あっさりと断られてしまい、寂しく感じながらも茜とクロエに顔を向ける。見惚れてしまいそうな赤い髪を耳に掛けてレジ袋の中を覗き込んだ。『明太子』とシールの張られたプラスチックのパックを取り出すと、太陽のように茜は微笑む。


「私、明太子めっちゃ好きなんだ。お兄さんセンスあるね!! 食べて良い?」


「明太子好きとかおっさんかよ。まぁ、良い酒のつまみにはなるよな。箸使っていいよ。もう一つ貰ってあるから」


 新品の割りばしを小気味良い音を立てて割ると、かつお節の踊るたこ焼きを一つ口に放り込んだ。片手に持っている見慣れないパッケージの酒の缶を口元で傾けると、ぐびぐび喉を鳴らしながら飲み始めた。仄かにグレープフルーツのような香りがした。


 歩きながら飲み食いするのは行儀が悪いが、祭りだからこそ許されるのだろう。

 たくさんの人がいる中で、彼女の笑顔だけが輝いて見える。大通りの真ん中でキラキラと輝く少女は周囲の人間を虜にしていた。


「お兄さん、次、リンゴ飴食べたい。行っていい?」


「炭水化物は抜くのに、甘い物は控えないんだな!?」


 雰囲気をぶち壊す葵にツッコミを入れると、真城が口元に手を当てて上品に笑う。


「甘い物は炭水化物じゃない。脳にとって必要なエネルギー」

「花火見たら寝るだけだろう!! 脳じゃなくて脂肪に行くわ!!」

なんて、いやらしい……」


「真顔でそんなこと言うな!! そんな意味で言ったわけじゃないしな」

「じゃあ、今夜は寝かせないぞって意味?」

「小首傾げて可愛く言っても誤魔化されないからな!? あと、どうしてそっちにつなげるんだ!?」

「可愛いだなんて、そんな……。いやらしいわ」


「誉めただけなのに!? 理不尽すぎねぇ……?」


「そのアホなコントはいつまで続く予定? 真城が笑い死んじゃうわよ」

「ふふ、ふふふ。ごめんね。いつもクールな葵ちゃんが、はしゃいでるのみたら、面白くって」


 全く表情を変えなかったこの少女がはしゃいでる?

 何かの冗談かとも思ったが、こんな下らない話をしているということは、少しは気を許してくれたということなのだろう。ただ、話題のチョイスはよろしくないが……。


「お母さん、娘さんの教育どうなってるんですか?」

「私を勝手にお母さんにしないでくれる? この娘、勝手に覚えてくるムッツリだから、知らないわよ。あと、私はお兄さんがボケてもツッコんであげられないからね」


 ツッコまないと茜は言っているが、それなりに返してくれている。まったく相手にされないよりはマシだ。


「突っ込まれるのは……」

「葵、それ以上言ったら、友達止めるから」

「葵ちゃん、あんまりはしたないのは良くないと思うな」

「葵、キモいぞ」


 本当に危ない発言をしようとする3人が必死に止める。

 うん、俺もその先を言われたらナンパを諦めて速攻で帰ろうと思っていたところだ。

 ションボリしたまま小さな声で謝る少女を見ていると、可哀想に思えてくる。うなだれる青髪に手を掛けると、軽く指を滑らせた。あまり良くないことだとは思っているので、セットした髪形を崩さないように細心の注意を払う。


 170cm近い女の子の頭を撫でるとなると、それなりに腕を上げる必要がある。けれど、どうしてもそうしたかったのだ。

 葵はガバリと顔を上げると、妙に熱っぽいような表情を向けてくる


「お兄さん、私、クレープ食べたい!! 屋台探して!!」


「お前は本当にぶち壊してくるな……。でも、俺もクレープ食べたい。イチゴのやつな」

「あ、僕チョコソースが良い!!」


「わ、私は太っちゃうから遠慮しようかな」

「真城の場合は全部胸に行くでしょ!! 私はお腹が空いたわ。それにもうすぐ花火も始まるし……」


 ヘラヘラとふざけている内にいつの間にか花火が打ちあがる時間が近づいて来た。

 俺と葵とクロエが食べる分のクレープと茜が食べたいと言ったオム焼きそばを買って、公園までの道を歩く。屋台の並ぶ大通りから離れると、人通りは一気に閑散としていき、公園近くのコンビニにはほとんど人が居なかった。


 それぞれが好きなジュースを買って、公園のベンチへと座る。

 周りにあるのは至って普通の民家。花火大会の会場側は一階建ての建物で空を見上げる視界は晴れている。木組みの屋根の下には苔の生えた腐木のテーブルと微かに湿っている木製の長椅子がある。4人はそれぞれの席に分かれて座ったが、俺だけがお誕生日席だった。


 そりゃ、そうなるんだが、なんだか主役めいていて気恥ずかしい。


「コンビニでタオル買っておいて正解だったな」

「それね~。おかげでお尻ぬれずに済んだ」


 ベンチに座ると、遠くから破裂音が聞こえる。どうやら、花火が始まったようだ。少し遅れてから、さらに高くへと打ち上げられた花火が見えた。あの独特の『ヒュー』という音を聞くと一気に夏を感じる。


「そういえば、お酒、飲まないんだな? 俺が車で送っていくから、飲んでも良かったのに。それとも、俺に気を遣ったの? 気にしなくていいのに」


 どこか幼くあどけない雰囲気を纏っているから年下だろうとは思っていた。しかし、せいぜい2,3歳下なだけだろう。彼女たちの蠱惑的な魅力を見ていると20歳は超えていると予想していた。


「お兄さん、勘違いしてるみたいだけど、私達、全員高校生だよ? 今年で、18」


 茜は、先ほどまで持っていた不思議なパッケージの缶ビールをこちらに向けてくる。見たことがない色のラベルには『FAKE BEER』という表示がされている。俺の胸ポケットに入っている『FAKE CIGAR』と書かれた、煙草を模したチョコ菓子と同じような色合いだ。


「あーあ、お兄さん、高校生に手出しちゃったね~?」


 ペロリと舌を出して、茜は薄く微笑んだ。

 その天使のような笑みは……、いや、小悪魔のような笑みは、俺の理性を惑わせるに十分だった。

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