マオが事件の真相を明かした後、丸一日かけてクラビスの屋敷では再現実験が行われていた。その間、アンナやローランらはクレルモン=フェランにある高級ホテルで過ごしていた。

 

 ローランがそろそろ実験は終わる頃ではと思っていた所、丁度サンドリッジ警部が訪ねてくる。ただし、警部が「実験が終わりました」ではなく、「お話ししたいことが」と切り出したことに、彼は言いようのない不安に襲われた。


 「わかりました」と警部からの申し出に了承し自らの部屋に彼を招き入れた時、ローランの不安は一層大きなものとなる。そこには、警部だけでなくカレンとマオの姿があったからだ。


「実験の結果だけを伝えるのなら警部一人でいいはず」

「何を話すつもりなのだ」

「何故あの探偵が」

「事件は終わったのではないのか」


 そんな考えがぐるぐると頭の中を駆け巡るだけでローランにはどうする事も出来ず、言われた通りアンナを連れて来るしかなかった。




「──すみません、お待たせしてしまって」


 そう言ってアンナは、三人が待つローランの部屋にやってきた。


「いえ、こちらこそ突然申し訳ありません」

「お話ししたいことがあるとお聞きしましたが、どのようなご用件でしょう」

「ええ、まずはですね……昨日から行っていた再現実験の結果なんですがね。ピーター氏の部屋にてブリキ人形にエリクシルを瓶の三分の一程の量を与える実験を行い、人形がヌシ化することを確認できました」

「まあ、実験成功ということですね。ということは、私たちはじきに屋敷へ戻れるのかしら?」

「はい、まぁ……それと、もう一つ」

「なんでしょう?」

「こちらのドーソン君がお話ししたい事があるみたいでしてね。じゃあ、頼んだよ」

「先日の事件に関してなのですが……」

「失礼します」


 マオが話を切り出そうとした時、ローランがティーセットをカートに載せて部屋に入ってきた。


「紅茶の用意が出来ましたので……皆様も如何ですか?」

「いえ、結構です。君たちはどうする?」

「結構です」

わたくしも遠慮させていただきますわ」

「承知いたしました。では、奥様。

「……ええ、


 ローランはアンナにカップとスプーンを渡した後、カートを押して部屋から出ていった。


「ごめんなさいね、話を中断させてしまって」

「いえ」

「それで……事件に関してと言いかけていましたけど、何か新しい事でもわかったのですか?」

「いいえ、間違いを訂正するために今日は来ました」

「間違い……昨日のあなたの推理は間違っていたの?」

「はい。あれは事故ではなく、殺人事件でした。単刀直入に申し上げます。犯人はアンナさん、あなたですね」


 彼女は事前に察知していたのか、平然とスプーンで紅茶をかき混ぜていた。


「……もし私が犯人なのだとしたら、どうやって夫を殺害したのかしら?」

「ご説明します。まずあなたはモニカさん、ロザリアの二人とお茶会をする前にクラビスさんの部屋に行っていますね? 二人が証言しています。あなたはその時に隙を見て棚に飾ってある人形にエリクシルを掛けた。これだけで準備は完了です。あとは自分がお茶会をしようが何をしようが、殺害は人形が行ってくれます。最後に死体を発見した後ロザリアとモニカさんが来るまでの間に、さりげなく使用した瓶を机の下に落として事故に見せかけた……これらが一連の流れですね」

「確かにそれなら可能でしょうけど……私がやったという証拠はあるのかしら」

「あります。それは、事件に使用されたエリクシルが違うという事ですね」

「エリクシルが違う……?」

「普段クラビスさんが飲んでいたエリクシルは、ハチミツやローヤルゼリーが入った特別な物。先日私が推理した通りクラビスさんが仕事中飲んでいたエリクシルをこぼしてしまった末の事故だというのなら、そこに付着していたのはハチミツ入りのエリクシルのはずです。しかし、机や人形に飛散していた水滴や、机の下に落ちていた瓶は通常のエリクシルでした」


 それを聞いたアンナは初めて動揺を見せ、スプーンを持つ手に力が入った。


「……何故ハチミツ入りのエリクシルを飲んでいたクラビスさんの部屋に、通常のエリクシルがあったのか。それは、クラビスさんが特製エリクシルを飲んでいるという事を知らない人間が、今回の事件のトリックに通常のエリクシルを使用したからです。あの屋敷の中で特製エリクシルの事を知らなかったのは……アンナさん、あなただけです」


 マオの言葉を聞いたアンナ小さく溜息を付き、しばらくの間目を閉じて黙っていた。そんな彼女に、サンドリッジ警部はおそるおそる声を掛けた。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ええ」

「あなたは何故ピーター氏を?」

「そうですね…………今、この国ではいくつかの派閥があるのはご存じよね?」

「ええ……所謂、『魔法派』『科学派』って奴ですな」


 アンナは窓の外を眺め、昔を懐かしむ様にゆっくりと話していった。


「そうです、私の家系は代々完全なる『魔法派』でした。それに対しクラビス家は魔法使いでありながら科学の研究をしていた『半魔法派』……いえ、科学に寄っていたから『半科学派』ですね」


「魔法派の家で育った私は将来魔法派の人間と結婚するものだとずっと思っていました。しかし、そんな私の考えをかき消してしまったのがピーターです。彼の前では、家柄や職業なんて問題は全く気になりませんでした。それから結婚をして数年、幸せな生活を送れたと思います。しかしある日……一緒に生活をしてみるとそれまで気づかなかった細かな所作が気になるようになり、彼は科学派の人間なのだと少しづつ再認識することになります」


「そんな想いをなんとか抑えて過ごしてきましたが、それは日を追うごとに大きくなっていき……抑えきれなくなったきっかけは半年ほど前、昔の知り合いと会った時の事です。その人は魔法派同士で結婚をしていまして、話を聞いて私はとても羨ましくなりました。魔法を中心とした考え方、生活……それはまさに、私が小さい頃に思い描いていた理想の家庭だったからです」


「それ以来ピーターへの想いはすっかりと枯渇してしまい、科学派のあの人との生活は苦痛に感じるばかりでした。そうしてそのストレスが抑えきれなくなって……」


 そこまで言ってアンナはしばらく黙った後、警部に声を掛けた。


「私からも一つお聞きしてもよろしいかしら?」

「ええ、もちろん」

「夫は何故私に特製エリクシルの事を黙っていたのでしょうか」

「あー、それはですね。その特性エリクシルにはハチミツやローヤルゼリーの他に、粉末状のハチノコが使用されていたらしく、ピーター氏はそれをあなたに知られないよう周りに口止めしていた、とのことです」

「そうでしたか。うちの使い魔の話なんて随分前に一回しただけなのに、あの人は覚えていたのね……もう一つ、今度は探偵さんにお聞きしたいのだけれど」

「探偵ではありませんが、なんでしょう」

「あなた、昨日の時点で私が犯人だという事に気が付いていましたね? 何故あの時言わなかったのですか?」

「その理由は、それです」


 マオはアンナが持っているスプーンを指さした。


「私は先日とある殺人犯と対峙しまして、犯行を暴いた時犯人は手にした杖で魔法を使い抵抗してきました。今回の事件におきましても、先日私が広間で話をしている時、あなたはそのスプーンを手にしていましたよね? 同様の事が起きると戦闘に慣れていない人たちに被害が及ぶ可能性があると考えたので、あの場で犯人であることを告げるのをやめました」

「どうしてこのスプーンが杖だとわかったの?」

「……過去に魔法使いの人とよく対峙していた時期がありまして、魔法使いが杖を構えた時の雰囲気はなんとなくわかります。昨日犯人の名前を告げようとした瞬間、あなたの警戒心と手元への集中力が高まっているのが伝わってきたので、それが杖であると推測しました」

「そうでしたか…………ローラン」


 アンナは観念したかのようにスプーンから手を放し、ローランに声を掛けた。そうすると部屋の扉が開きローランが現れる。そんな彼の後ろには、アネットとピサも立っている。


「あなたたち、聞いていましたよね? これから私は警部さんと一緒に警察へ行ってきます。ローラン、申し訳ないけどあとの事は頼みましたよ」

「……かしこまりました。二人とも、お出かけの準備をお手伝いし……」


 ローランが指示を出す前に、二人はアンナに駆け寄り抱き着いた。


「お出かけの準備は済ませてあるから大丈夫よ……二人とも、ごめんなさいね。ちょっと行ってくるわ」


 彼女は二人の頭を撫でた後、サンドリッジ警部に付き添われ弱弱しい足取りで部屋を出ていく。その歩く様子は、外見がとても若く見えるアンナにはとても似つかわしくないものだった。

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