「おっとこんな時間か、そろそろ料理が来ると思うよ」


 そう言いつつ、クラビスは懐から小さな小瓶を取り出しそれを一気に飲み干した。その様子が気になったロザリアはクラビスに訊ねる。


「先生、なんですかそれ? もしかしてお薬?」

「はは、違う違う。これ、エリクシルを模した栄養ドリンクなんだ」

「エリクシルをですか?」


 エリクシルとは魔力ふんだんに含んだ液体であり、並みの魔術師なら一口で魔力を全快させてしまう程の代物である。


「どうしてそれを?」

「製薬会社に勤めている知り合いがいてね。これはまだ開発中の物なんだけどモニターとして、疲れている時、起床時、就寝前、お酒を飲む前と、色んなタイミングで飲んでみるよう頼まれているんだよ」

「エリクシルを模しているってことはそれを飲んでも魔力は回復するんですか?」

「流石に本物には劣るけどね。けどこれも中々の物だよ。あ、これはとても重要な事なんだけど、この事はうちの妻には絶対内緒にしてくれ」

「何故ですか?」

「妻の家は昔、蜂を使い魔にしていたらしいんだ。今の時代使い魔という文化は無くなったけど妻は蜂が好きでさ……このドリンク、原材料にレモン、ハチミツ、ローヤルゼリーの他に、粉末状にしたハチノコも使用されている事を後から知らされてね……大きな借りがある知り合いだから、断るに断われないんだよ」

「ああ、それは奥様に知られるわけにはいきませんね」

「バレたら離婚ね」

「離婚ならまだいいさ。へたすりゃ殺されるよ」


 おどけたようにクラビスが言い、周りは笑いに包まれた。

 そんな時に、メイドの二人とクラビスの妻であるアンナが部屋に入ってくる。アンナはブラウンの髪をギブソンタックでまとめ上げ、ワインレッドのカジュアルドレスに身を包んでいる。彼女はクラビスよりも年上で既に五十歳を超えているのだが、自身が保有している大量の魔力の影響で二十代後半から三十歳くらいの外見を保っていた。

 ロザリアとモニカは立ち上がり手を貸そうとしたが、アンナはすぐに「いいのよ、座ってて」と、二人を制した。メイド達の手によって、ワゴンカートからテーブルへ料理が次々と移されていく。


「これ、全部奥様が?」

「違う違う。殆どがうちの料理人に予め用意してもらったもので、私が作ったのはほんの一、二品ね」

「えー、それでも嬉しいです!」


 料理を並べ終わった二人のメイドはそれぞれにワインの用意をする。それが済むと二人はさっと退室した。アンナがモニカの隣に座り、それを確認したクラビスがグラスを片手に簡単な挨拶を始めた。


「みんな、今日は急なお誘いにも関わらず来てくれてありがとう。今回はそれぞれの近況報告だったり、在学生は卒業生たちに聞きたい事を聞いたり、楽しく過ごしてもらえればと思ってます。では、乾杯!」


 クラビスの乾杯の音頭の後、グラスを打ち鳴らす音が部屋に響いた。

「──そういえば、カールはデニスとうまくやっているかい?」

「ええ、とてもよくしてもらっています」

「デニスさんって?」

「僕の学生時代の同級生さ。デニスはクラビス合金を使った製品の開発をしている企業に勤めていてね、カールは今年そこに入社したんだよ」

「もしかして、あの大手の? すごいじゃない!」

「そうでもないさ。同期は優秀な奴らばっかりだし、ここで気を抜いてはいられないよ。そうだ、デニスさんも先生に会いたがっていましたよ」

「本当かい? それなら、今度大学で行う企業説明会に来た時にでも飲みに誘ってみるか……モニカ君は最近どうだい?」

「うーん、そうですね……相変わらずって感じで」

「モニカ先輩は今どちらにお勤めなんでしたっけ?」

「魔法製品の卸売会社で事務員を……ぱっとしないでしょう?」

「事務員っていっても君の所も大きな会社じゃないか」

「会社に対してとやかく言うつもりはないんです。でも、人によっては「せっかくクラビス先生に勉強を教えて貰ってたのに……」なんて思われてるんじゃないかって……もちろん自分の力不足が一番の原因なんですけど」

「先輩……」

「そんなの気にすることないと思うけどね。でも、どうしても気になるんならもう一度大学においでよ。退職して再度大学院で学びなおす、って話は結構聞くだろ?」

「確かに私たちの先輩の中にもいましたね」

「そ、そうですよ!」


 カールはグラスの半分程のワインを一気に飲み干すと、顔を赤らめつつ熱弁をふるった。


「先生の言った通り周りの事なんか気にすることありませんし、もう一度大学に行くって選択肢はアリだと思います! なんならご一緒してもいいですし……」

「あんたは入社したばっかりでしょ」

「ははは。そうだな、最低五年は続けないとな」

「先生、ありがとうございます。カール君も……」

「あ、いえ……」カールは照れ隠しするようにハンカチで眼鏡を拭いた。

「ロザリア君はどうなんだい?」

「え、私ですか?」

「クレルモン=フェランの魔法研究所だったよね。今は何の研究をしてるんだい?」

「あー、いや……」


 ロザリアは気まずそうにフォークで取り皿の上の料理を弄んだ。


「それが、最近研究課からフィールドサービス課へ異動になっちゃって……」

「フィールドサービス?」

「確か、魔法トラブルの現場に行って事態を収拾したり、研究のためのデータを持ち帰ったりするのが仕事だね」

「へえ、現場の仕事……ロザリアにピッタリじゃないか」


 そんなカールの言葉に対して、ロザリアは口を尖らせジトッとした目つきで彼を睨みつける。その様子を見ていたエリックが「どうしてロザリア先輩にピッタリなんですか?」と質問を投げかけてきた。


「先輩って学年トップクラスの成績だったんですよね? それに、個人的なイメージですけど研究課の方が似合うと思うけどなぁ」

「教えてやれよ。最初は隠したがってたけど二年の時には全然気にしなくなってたじゃないか」

「確かに今はもうそんな気にしないけど……まあいっか。じゃあエリック君、『魔力くらべ』してみようか」

「は……?」


 そう言ってロザリアはスーツの上着を椅子に掛け、シャツの第一ボタンを外した。「魔力くらべ」とは杖を使わずに互いの魔力を競い合う遊びで、腕相撲だったり手を握り合って競う握力勝負みたいなものだった。


「え、いいんすか? 俺学年でも上の方で結構自信あるんすけど……」

「いいよ、本気で来てね」


 そう言って二人はテーブルから少し離れた広いスペースまで移動し、二メートル程離れて互いに向き合う。エリックが腰を落として肩幅くらいまで足を開き臨戦態勢を取っているのに対し、ロザリアは手を後ろで組んでまっすぐ立ったままだった。


「えっと、本当に……?」

「いつでもいいよ」

「じゃあ、行きますよ!」


 エリックは覚悟を決めて自らの魔力を腕のように模りロザリアを押し倒そうとした。しかし、彼女に触れた瞬間エリックは異変に気付く。相手にしているのは自分よりも背の低い女性なのに、押した感触はまるで地面に埋まった大岩を押しているようだった。

 そんなエリックからの魔力を涼しい顔で受け止め、ロザリアは彼の上にゆっくりと自分の魔力を覆いかぶせていった。その荷重はどんどんと大きくなっていき、ついに耐え切れずその場に膝をつく。エリックの額から汗が流れ落ちた。


「はい、終わり」

「……っはー! すげぇ、ハンパねぇ……美人で勉強もできてこんなにすごい魔力を持っているなんて完璧じゃないっすか! あれ、でもこれが何の……?」

「まだ続きがあるんだよ」


 そういってカールは手のひらの上に魔力を集中させ形を変形させる。やがてその魔力の塊は、鳥の形に変形した。


「魔力のコントロールを上達させるために小学校の頃よくやっただろ? これをもっと上手い人のを見せたいんだけど……先生、お願いできますか?」

「いや、僕よりも妻の方が数段上だよ」

「あら、そんな大した事は出来ないんだけど……」


 そう言いつつも、アンナは手のひらの魔力を彼の半分以下の時間で鳥の形に変形させた。しかも、その鳥は羽根の一つ一つがしっかりと作られており、手から飛び立たせるとその魔力の鳥はアンナの周りを本物の鳥の様に羽ばたいて見せた。


「すご……こんなの初めて見ましたよ、なぁジミー」

「ああ、信じられない」

「じゃあ、次。ロザリア


 ロザリアも二人と同様、手のひらの上で魔力を変形させた。そこにはナマコのような物体に羽根が生え始め、エリックとジミーは「ここから鳥に変形していくのか」と予想した。

 しかし、その羽根ナマコはそのままふわりと浮き上がり、体をうねらせながらロザリアの周りをふらふらと飛び回る。そのあまりにも奇怪な動きを見て、モニカは思わず「ヒッ」という短い悲鳴をあげた。羽根ナマコを手に着地させると、ロザリザは真っ赤な顔で俯き「……はい、終わり」と、ぽつりと呟く。


「というわけで彼女は物凄く力強い魔力の持ち主なんだけど、その反面超が付くほどの不器用でね、こんな感じで細かい魔力操作がからきしなんだよ」

「何よ! 別にこれが原因で異動になったわけじゃないんだからね! ……多分」

「いや、でも、そういうの逆に良いっすよ! なんか……ロックな感じ!」

「エリック、あまり無理して褒めても逆効果だぞ」

「先生まで、もう! ていうか、モニカ先輩のリアクションが一番生々しくてショックだったんですけど……」

「あっ、ごめんね! でもあれはちょっと……」


 モニカがそう言うと、周りからどっと明るい笑いが巻き起こる。そんな風に盛り上がっていると、ノックと共にローランが入室しさっとクラビスの下へ近づいていった。


「旦那様、キバヤシ製薬のウッドマン様からお電話が」

「……ああ、あの件だな。わかった。みんな、申し訳ないけど少し席を外すよ。三十分くらいかかるかもしれないけど、自由にしてて構わないから」


 そう言ってクラビスとローランは部屋を出ていき、残された者たちはどうしたものかとざわついた。そんな様子を見たアンナは指をパチンと鳴らす。数秒後、メイド二人が部屋に入ってきた。


「じゃあ、一回仕切り直ししましょうか。二人とも、空いたお皿を片付けて飲み物のお代わりとデザートをお願い」

「かしこまりました」

「みんな食べたいもの、飲みたいもの好きなの頼んでね。あ、そうだ。モニカちゃんとロザリアちゃん、私の部屋で『魔女会』しない?」

「あ、いいですね! 是非お願いします!」

「あれ、行っちゃうんすか? じゃあ俺らどうします? 麻雀でもやりながら待ってるか……って思ったけど人数足りないしなぁ」

「そういうことなら……ピサ、片付けが終わったらお相手を。アネットは済んだら紅茶の用意をお願いね」

「はーい!」

「かしこまりました」

「え、ピサちゃん麻雀出来るの?」

「出来ますよー旦那様に習いましたからね」

「参加させるのならローランよりも女の子の方がいいでしょう?」

「あ、いや、そんな……」エリックはばつが悪そうに頭を掻く。

「私は先に部屋に戻って準備をするから、二人は十分後くらいに来てくれるかしら?」

「わかりました。後ほどお部屋にお伺いさせていただきます」




 ──その後。全員でテーブルの片づけを済ませ、広間に男子組とピサを残しロザリアとモニカはアンナの部屋を目指し二階へと移動した。二人が二階に上がった時、丁度クラビスの部屋から出て来るアンナと鉢合わせになった。


「あら、丁度良かった。準備はもう出来てるわ」

「ありがとうございます。あの、先生は……?」

「ダメね。折角生徒さん達が来てくれているのに仕事の話に夢中になっちゃって……二人からも言ってくれない?」


 そういってアンナはノックをした後扉を開け、二人をクラビスの部屋に入れた。


「あれ、どうしたんだい? これから魔女会するんだろ?」

「そうですけど、先生の方はまだ終わらないんですか?」

「ごめんごめん、うっかり忘れていた案件があってね……もう三十分くらいかかりそうなんだ。その間二人は気にせず楽しんできておくれ」

「……わかりました、先生もあまり無理しないでくださいね」

「ああ、ありがとう」


 部屋から退出した二人は、アンナに連れられ彼女の部屋を目指す。

 これが、クラビスと交わした最後の会話だった。

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