クレルモン=フェランの南にある郊外住宅地に向けて走行していたバスが停車し、「ビーッ」というブザーを鳴らした後扉を開ける。

 そのブザーの音で目を覚ましたロザリアは、慌てて停車したバス停の名前を確認した。そこは自分の目的の場所とはまだまだ離れていたので彼女は安堵する。バスを降りる人たちを眺めつつ、さっきまで見ていた夢を思い出した。


(久しぶりに大学の時の夢を見たわ。久しぶりと言っても、大学を卒業してまだ3年しか経っていないからそれほど懐かしさは感じないけど)


 大学によって様々ではあるが、大抵は三年になるとそれぞれ自分が所属している学科の、どこかのゼミに配属することになる。そこでそのゼミが専攻している分野の勉強や実験を行い、大学卒業に向けて論文の完成を目指すのだ。

 ロザリアが所属していたのはクレルモン=フェラン魔法大学・魔法工学部・魔法材料工学科という所だった。優れた魔力の持ち主であるロザリアは周りから「何で魔法学部じゃなくて魔法学部なの?」とよく聞かれ、それに対して彼女はいつも「知識の幅を広めたくて」と答えていた。

 

 それ自体も嘘では無いのだが、本当の理由は魔力操作のを隠したかったからである。彼女の魔力を放つ力はとても強く、尚且つ所有している魔力の量もかなりのものなのだが如何せん魔力の操作が昔から苦手であった。単純な魔力のぶつかり合いならほぼ負けなしの彼女ではあったが、その反面、細かい魔力の操作をとても苦手としておりよく周りから『剛速球を投げることが出来るけど、変化球を一切投げることが出来ない投手の様だ』と言われていた。


 小学校の頃からそれを克服しようと努力してきたのだが、ついに高校卒業後の進路を決める時期になっても彼女の不器用さは変わる事は無く、彼女は『不器用な代わりに、この魔力の強さがあるんだ』と逆に考えるようになった。

 それでも将来は魔法に関係する仕事に就きたいと考え、彼女は魔法大学への進学を希望した。工学部なら魔法を披露することは少ないと考え、その結果選んだのがクレルモン=フェラン魔法大学の魔法工学部だった。そこで彼女はクラビス准教授と出会うこととなる。


(当時は魔法工学に全然興味が無くてとにかく卒業する事しか考えてなかったわ。あのゼミを選んだのも単純に先生の名前を知っていたから、ってだけだったし。それが今でもこうやって交流が続くくらい仲良くなれるなんて……当時は全然想像してなかったな)


 クラビスはとにかく生徒たちと話をするのが好きで、クリスマスや年末年始にパーティを開くのはもちろん、関係者の誕生日、ゼミ生の就職内定祝い、それだけでは飽き足らず花見・暑気払い・紅葉など、些細な理由を見つけてはよく生徒たちを家に招待して食事会を開いていた。

 その食事会には在学生だけではなく卒業生も招かれる事が多い。大学時代と変わらず今もクレルモン=フェランで暮らしているロザリアにはよく声が掛かり、彼女は卒業後も頻繁にクラビスの家に招かれていた。最近は忙しくて中々顔を見せることが出来なかったのだが、先日ちょっとした用事で電話で話した際に「久しぶりに来ないか」と誘われ、今日こうしてクラビスの家向かっているのだった。


 ロザリアが窓の景色を眺めつつ昔を思い出しているとバスはまた停車した。そこで、銀縁メガネを掛けきちっとしたスーツにきちっとした七三分けの、絵に描いたような『真面目なサラリーマン』風の男性が乗り込んで来た。その男性はロザリアの姿を見つけると、まっすぐ彼女まで近づいて来て声をかけた。


「ロザリアじゃないか」

「えっ……あ、カールじゃない! 久しぶりね!」

「ああ、君とは卒業後、先生の家で何度か会っていたけど……そういや最近は見かけなかったな」

「忙しくてね。でも今日はこれから先生の家に行く所よ。もしかしてカールも?」


 カールは通路を挟んだ隣の座席に座りつつ、「もちろん」と答えた。


「あなた、大学院修了後の進路はどうなったの?」

「ああ、就職したよ。何年か経験を積んだ後大学に戻るつもり。まあ今の仕事は楽しいし、やっていく中でまた考えが変わる可能性もあるけどね……」

「ふーん、先生と同じ道を歩みたいのね」

「そうさ、僕は先生に憧れているからね」


 カールは右手で眼鏡をくいと上げ、誇らしげにそう答えた。


「そういえば、今日は君の為の食事会なんだってな」

「え、なんで? 私何もやってないけど」

「詳しくは聞いてないけど、先生は「ロザリア君が来るから開く」って言ってたぞ」

「私は電話で食事会があるから来ないかって言われたのよ」

「じゃあ、その電話をしている最中に思いついたんだろ。突発的に食事会や飲み会が開かれるのはよくあった事じゃないか」

「相変わらずと言うか何というか……ちっとも変わらないのね。他に誰が来るの?」

「さぁね、行けばわかるだろ。僕は先生の家に行けるのならそれで充分だから特に聞かなかったよ」

「あなたもあなたで相変わらずよね……」


 二人はそんな会話を続けていると、バスは目的の停留所に到着した。そこから徒歩十五分程の位置にクラビスの家があり、二人はそこを目指して歩きだす。その途中にある商店街の通りを歩いている時、丁度店から出てくる所の女性を見つける。ダークブロンドのナチュラルボブに丸眼鏡、ブラウンを基調としたおとなしめの服装のその女性は、二人の良く知る人物であった。


「モニカ先輩!」

「わっ! びっくりした、ローザちゃんじゃない。それとカール君も」

「どうも、お久しぶりです」

「モニカ先輩もこれから先生の家に行くんですよね?」

「ええ、だから飲み物とつまめる物を……先生には気にしなくていいって言われてるんだけどね」

「ゼミ室での食事会はワリカンだったけど、先生の家での食事会はいつも自腹でしたもんね。私もこれを持ってきました。そういえば、カールは手ぶらじゃない。先生へのが足りていないんじゃないの?」


 ロザリアは緩衝材で包まれたワインが二本入っている紙袋を掲げた。一方、彼女に冗談めいた口調で指摘されたカールは眼鏡を指で押し上げつつ、得意げな顔で答えた。


「フッ、甘いな。僕は電話でお誘いを受けたその日に送っているんだ。着いてからお渡しするのだと、既に用意してある物とどう組み合わせようか……と考えさせてしまうだろう? 僕はそれを見越し、差し入れは前もってお渡しするよう心掛けているんだ。どうだ、驚いただろ?」

「え、ええ。驚いたわ。色んな意味で」


 そんな雑談をしつつ、三人は商店街を抜け住宅街へと踏み込んだ。比較的新しい家が並ぶエリアを通り過ぎ一番奥へと向かう。しばらくすると、今までの建物とは全く違う雰囲気を放つ『お屋敷』が姿を現す。クラビスの妻であるアンナは名家出身の魔法使いであり、この屋敷もアンナの親が持っている屋敷のうちの一つを結婚する時に貰った物だった。その屋敷の前に三人が立つと門がひとりでに開く。その先には広い中庭が広がっており、彼女らは驚く様子もなく中へと進む。


「初めてここに来た時はびっくりしましたよね」

「ええ、自分の人生の中でこんな絵に描いたような豪邸に来る機会が訪れるなんて夢にも思わなかったもの」


 中庭を通り抜けると屋敷の入口が見えて来る。入口に着く前に扉が開いて、中から執事服に身を包んだ白髪オールバックの、いかにも『執事』という雰囲気の男性が三人を出迎えた。


「皆様、ようこそいらっしゃいました」

「ローランさん! お久しぶりです。これ、よろしかったら」

「これはこれは……恐れ入ります。ピサ、アネット」


 ローランに呼ばれ、エプロンドレスに身を包んだ二人の少女がやってきた。ピサと呼ばれた黒髪ショートカットの少女は、「ありがとうございまーす」とメイドらしからぬ砕けた口調と明るい笑顔でロザリアとモニカの差し入れを受け取ると、小走りで駆けていった。アネットと呼ばれた赤毛の三つ編みの少女は、三人のコートを受け取り黙って一礼したあと、近くの部屋へと消えていく。そんな二人の姿を見て、ローランは「はぁ……」と小さく溜息をついた。


「申し訳ございません……あの二人は皆様方の前だとどうにも気が緩み過ぎていけない」

「いいんです、むしろあれくらいの方が気が楽ですから」


 ロザリアがここを訪れたばかりの頃は、慣れない執事やメイドからの扱いに緊張や息苦しさを感じていた。しかし、ローランは基本的な執事としての態度はそのままに、時折その場の空気に合わせた冗談を言ってくれるような柔軟な対応をしてくれたので、クラビスのゼミ生たちはすっかり打ち解けることが出来たのだった。そんな彼の姿を見てメイド少女の二人もマネをし始めたのだが、いつも「調子に乗り過ぎだ」とローランに小言を言われていた。


「さあ、旦那様と奥様がお待ちです」


 

 ──三人が案内された広間は小宴会場程度の広さがあり、中央には十人は楽に使用できるほどの大きさのテーブル、壁際には暖炉や食器棚が設置してあった。そこには、クラビスの他に学生と思われる男子二名が座っていた。


「失礼します。旦那様、お客様がいらっしゃいました」

「やぁ、みんないらっしゃい! 久しぶりだね」

「お久しぶりです先生、お変わりありませんね」

「そんなことないさ、もう五十も目前だからね。あちこち影響が出始めているよ」


 大きな変化は見られないが、よく見るとロザリアが学生だった頃に比べると白髪と顔の皺は少し増えていた。それでも、元気の良いはきはきとした喋り方が彼を変わっていないと思わせるのだった。


「まーみんな座って。これで今回の参加者は全員揃ったから始めよう」

「あれ、意外と少ないんですね」

「何せ急だったからね。ゼミ生も卒論で忙しいし……ああ、ロザリア君は初めてだったよね。こっちの二人はうちのゼミの四年生。エリックとジミーだ」


「どうも初めまして、エリック・ダウエルです!」

「ジミー・デニスです……」


 明るい金髪マッシュヘアのエリックが明るく挨拶をし、その後目元が隠れるくらいの黒髪のおとなしいジミーが続いた。

 長方形のテーブルの内、部屋の出入口から遠い方の長辺にクラビス、エリック、ジミーと言う順で座っていた。三人は彼らと向かいの席に、ロザリア、カール、モニカという順で座る。


「ロザリア・バーナードよ。先輩とカールは二人に会ったことあるの?」

「ええ、以前食事会とか大学に遊びに行った時に……」

「エリックは今日モニカ君とロザリア君に会うのを楽しみにしてたんだよな?」

「ちょ、先生……!」


 クラビスにそう言われ、エリックは慌てて誤魔化そうとする。


「えー、何で?」

「いや、そりゃ……俺ら、お二人と同じ研究テーマだから……何かお話聞ければなーって……なぁ?」

「おいおい、いつも言ってただろ。「ここは良いゼミだけど、俺たちの代は華が無いのが唯一の欠点だ」って」

「先生!」

「華って……ああ、女の子がいないのね。そんなの工学部に入った時点でわかりきってる事じゃない! 魔法材料工学科なんて特に少ないのに」

「いや、そうなんですけどね……というか、俺も本気で言ってたわけじゃないんで! ちょっとした冗談ですよやだなーもう」

「エリック、もう諦めろ」


 ジミーがツッコミを入れた瞬間、柱時計がボーンという音を六回鳴らし現在の時刻をしらせた。

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