第4話 証拠隠滅
鉄製扉を体当たりする勢いで開け、おれは自分の寝床に踏み入った。扉を閉め、簡素な部屋の中を見回し、藁のベッドの上に置かれた毛布を見つける。
それを前足で掴みあげ、ここに持ち帰った時と同じように、ワイヤーで腹の下に括りつけた。こうすれば、誰かとすれ違っても見られることは無い。
また扉に体当たりして、外へと飛び出した。
急げ。
“処分場”はそんなに遠くない。
兵隊居住区から連絡通路で食用人収容区へ。処分場はその端の施設だ。
6本脚で、素早く歩く。はやくこいつを捨てに行くぞ。
毛布の中に入った赤ん坊からすれば、藁の上に放置されていたと思ったらいきなりぐるぐる巻きにされ揺らされることになるが、知ったことではない。
締め付けが強すぎて窒息しているかもしれないが、もうどうでもいい。
こいつを食おうなんて考えていたおれが馬鹿だった。
おれは女王の子だ。女王の手足となって動くことが唯一の存在意義だったのに。
それを忘れて、一時の食欲に身を任せた結果がこのザマだ。
連絡通路に通りかかると、検問に二人の兵隊蟻が立ち塞がっていた。
「止まれ」
「どこにいく」
睨むような目を向けてくる。
「収容区へ」
「配給時間はもうとっくに終わっている。今日はもう店仕舞いだ」
「食事じゃない。急用だ」
「ダメだ」
「離れろ。報告するぞ」
くそ。それはまずいな。
識別番号をとられるようなことはなるべく避けたい。
……こうなったら。
「実は……食用人がひとり脱走したかもしれないとの情報が入った。その真偽を突き止めに行くところだ」
なるべく私情を見せないよう、事務的な口調で言う。
真っ赤なでまかせだが、仮にもおれはここの中隊長の階級を持っている。違和感はそこまでない……と思いたい。
「……? そんな話は聞いてない」
「ああ。だが別によくある話だろ、それで、たまたま近くにいたおれがちょっと確認してこいって話になったんだ」
「……なるほど」
通じた、か?
「少し待て。確認してくる」
「いや待て、その必要は無い」
兵隊蟻が怪訝そうな顔で振り向く。
「なるべく内々に済ませたい。おれたちが連れてきた“餌”の不備が女王に知れれば、我が部隊の信用に関わる」
兵隊蟻二体は顔を向き合わせて、しばし静止する。もう一押しか。
「おまえたちに迷惑はかけない。おれが全責任を持つ。おまえたちは、ここで何も見なかった……いいな?」
一歩踏み出し、念押しするように付け加える。
しばしの沈黙の後、二匹は道を開けた。
というわけで、おれは連絡通路を渡り、無事収容区へやってきた。
あの脳無しのバカども。まんまとおれの嘘八百を信じやがった。
ただ、こうしている間にもやつらが気付いて追いかけてくる可能性というのもないわけでは無い。
とっとと済ませよう。おれは腹に抱えた毛布を持ち直し、処理場へ急いだ。
収容区は現在、完全封鎖状態だ。建物という建物の扉が施錠され、道には人っ子一人、蟻っ子一蟻いない。
そんな中を歩き、処理場にやってきた。
建物という建物はなく、だだっ広い更地に、大量の肉塊が積み立てられている。病気を患っていたり、痩せすぎていたり、なんらかの理由で食用にならないと断された連中だった。
文字通り、ゴミ捨て場だ。
さすがに腐臭が酷いな……ここにはあまり長居したくない。
さっさと済ませよう。おれはその一角に毛布を下ろし、それを解いた。
「ぁ……う……」
「え?」
赤ん坊は、ほとんど死にかけていた。脱水症状を起こしているのか、げっそりして、肌の色が明らかに悪い。荒い息を吐く度に、土気色の唇の端で唾の泡がぷくぷくとなっている。
そりゃそうだ。一日中ケツを糞で濡らしたまま放置され、水も食料も与えられなかったら当然こうなる。
「……」
おれは赤ん坊に背を向け、そのまま立ち去ろうとした。
だが──一歩を踏み出そうとした前脚は、気づけばもう一度赤ん坊を取り上げていた。
「……あ?」
全くの無意識だった。まさに、身体が勝手に動いた。
なにをやってる、こんなことは初めてだ。神経接続の不調……アクチュエータがおかしくなったのか?
「あぅ……ぅ……」
冷や汗を浮かべながら、苦しそうに呻く赤ん坊を見る。
このままこいつを置き去りにして帰れば、全てから解放される。
もう相棒に通報される不安にも、女王に処刑される恐怖にも怯えずに済む。
自由が手に入る。
「ぁ……?」
だというのに、てこでも赤ん坊を手放そうとしない自分がいた。
わからない。なんだっていうんだ? 今さら、こいつを食いたいというわけでもないくせに。
……いや、まだ、食いたい……のか?
再び赤ん坊を毛布に包んだ。今度は背中に、優しく乗せる。
頭をフル回転させ、こいつの食料がありそうな場所を推測する。
──この収容区には、食用人に与える飲食物を保管する倉庫があった。
位置はうろおぼえだが、なんとなくはわかる。
おれは歩き始めていた。なるべく背中の赤ん坊を揺らさないように。
すぐに食い物を用意してやる。
もう少しの辛抱だ。だからまだ、死ぬな。
「諦めろ。お前は、おれに食われる運命だ」
ただでは死なせないと、あの時約束したからな。
なにもかもわからないことだらけだが、これだけは揺らぎようがない事実だ。
おれは、こいつを食いたい。たとえ何をしてでも。
あった。保管庫だ。
掘っ建て小屋のような建物が数軒並んでいる。その一番端の扉に前脚をかけ、こじ開けようとする。
「────ん?」
鍵がかかっているのはわかっていた。だから、ぶち壊すつもりで、思い切りやった。
だが──扉は、思いのほかすんなりと開いた。
勢い余って、たたらを踏む。危ない。赤ん坊を落としそうになる。
施錠されていなかったのか……。
いや、違う。
部屋に入った瞬間、おれの熱探知センサーは捉えていた。
奥の棚の影に、あわてて隠れた“人影”を。
二本足。間違いなく人間のシルエット。
体型と体温からすると……女だ。それも若い。
向こうも、おれが何者か気づいたようだった。
棚の隙間から、ブロンドの長い髪がちらと見える。ふたつの潤んだ青い瞳が、こっちを覗いている。
あ、目が合った。
「……」
「……」
見つめ合ったまま、数秒が経過する。
なんなんだこの状況は。
「………………おまえが、脱走者だな」
わけもわからず、ただこの気まずい空気を変えようと、おれはとりあえずそう問いかけた。
背中の赤ん坊が、「……あぅ?」と鳴いた。
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