第2話 テイクアウト品
「遅いぞ、なにをしていた」
「排泄だ」
「人間の家でか? ……たしかにお前、なんか臭うぞ」
家から出たおれは、相棒と合流し、速やかに隊に戻った。仕事を終え、巣に帰還したおれたちは、まず女王のねぎらいを受けた。
『こたびの戦い大儀であった! また今日も人間をとらえ土地を奪取し! 征服に一歩近づいたぞ!!』
王座から脳に直接語りかけてくる女王の声を全員が傾聴する。約一時間ほどのそれが終わると、
「本当に行かないのか?」
「ああ、おれはいい。先に休む」
だがおれは、相棒の誘いも断ってまっすぐ自分の寝床に帰った。いつもなら任務終わりには必ず“食堂”に通うので、かなり訝しまれたが、仕方ない。
おれの部隊──A中隊は一応、精鋭だ。そこの隊長であるおれは、下っ端と違い個室の寝床が与えられている。
狭く薄暗い部屋に入り、まずはしっかりと戸締りを確認。
おれは捕獲用ワイヤーで腹の下に隠して来た毛布の塊を取り出した。
藁のベッドの上に置き、毛布を広げると、テイクアウト品が顔を出す。
あの家の寝室で見つけた時と同じ、無邪気な目が、おれを見つめ返していた。
井戸から汲んできた水を釜に注いだおれは、さっそく“下処理”に手をつけた。
赤ん坊は毛布に包まって、不思議そうに部屋を見渡している。
まずその毛布を取り除き、裸にする。そして釜で温めたぬるま湯に、この糞まみれの尻をひたした。
赤ん坊は特に抵抗もせず、ぽけーっとした表情で湯に浸っていた。おれは赤ん坊の背中を前脚で支えながら、もう片方の前脚に引っ掛けたタオルで尻を洗った。
湯があっという間に茶色に汚れていく。
「手間を掛けさせやがって」
糞を残さないように、入念に拭っていく。数十分かけて洗い終わった。おれは赤ん坊を釜から取り出し、タオルで身体を拭いて、再び毛布にくるんだ。
さて、ここでおれはしばしの熟考に入る。
おれの口内で脱糞したこのクソガキをどう食ってやろうか。
一思いにかぶりつく、というのはナシだ。もう楽になど殺してやらん。こいつが恐怖と痛みで喉を枯らすほど泣き叫び、ぐちゃぐちゃになったところを見なければ気が済まない。
なにか、もっと突拍子もなく残虐な手法はないものだろうか。
「おい、いるか?」
鉄戸の向こうから相棒の声がして、心臓が飛び出しそうになった。
なんで来やがった!?
「飯を持ってきてやった。入るぞ」
「ま、待て」
まずい。
赤ん坊を奴に見られるわけにはいかないが……どうする。この簡素な部屋のどこに、こいつを隠す?
奴の目は熱源探知ができる。藁の下なんぞに隠しても意味は無い。
ダメだ、どこも思いつかない。
「何故だ。中でなにかやっているのか?」
奴は隊の中でも一際女王への忠誠心が強い蟻だ。女王に献上する肉をおれがくすねたと知れば、議論の余地もなく、すぐ上に報告するだろう。
そうなれば、おれは厳罰に処される……。
おれと同じようなことをして連れていかれた“裏切り者”を過去数度見たことがあるが、どいつも生きて戻ってきた試しはない。
噂では、廃棄場で生きたまま全身を一パーツ単位にまでバラされるとかなんとか。痛覚神経を鉄板の上に引きずり出され、ハサミで繊切りにされるという話もある。
どっちにしろ御免だ。
なんとしてもバレるな。奴を部屋に入れるな。
なんとか誤魔化さなければ。
「ああ。いま……たったいま、部屋中に排泄物をぶちまけてしまったんだ」
「──何故だ。また
「そうかもしれない。メンテナンスしておく」
「そうか」
「そうなんだ。それで、いまは掃除をしているから入らないでくれ」
「そうか。私も手伝おうか?」
「それはやめておいた方がいい。またいつ
「そうか。それは困るな」
「ああ、そうだ。お前も汚れたくはないだろう。だから入るな」
相棒の返答が止まる。戸を一枚隔てた間に沈黙が降りる。
長い……。
体感ではもう三十秒は立っている。
奴はなにを考えているのだ。
おれを怪しんでいるのだろうか。おれが奴だったら絶対に怪しむだろう。こんな無茶苦茶な言い訳、怪しむ要素しかない。
奴がもし戸を開けて、入ってきたら……。
そのときは、どうする。どうすればいい。
奴にこのことを気付かれず、おれが赤ん坊を食うには……。
どく、どく、どく。
と、自分の
くそ……なぜこんな目に合わなければいけないのだ。
「──そうか」
体感にして一分の沈黙のあと、相棒は答えた。
「たしかに、部屋の外まで臭いが漏れだしている。早く掃除を済ませろ」
そう言ったあと、戸の前から奴の気配が消えた。
帰ってくれた。ああ……危なかった……ん?
安心した途端、おれの嗅覚が背後からただよう汚臭に気がつく。
これは、まさか。
振り向くと、赤ん坊はまた糞を漏らしていた。すまし顔で。
つくづく呆れる。なんて奴だ。たったいま洗ったところだぞ。
「意地でも食われたくないようだな」
だが、今回ばかりはこのクソガキに感謝しなければならない。
この最悪な臭いのおかげで、奴を撃退することができた。
よし。
邪魔者も去ったことだし、このクソガキを今度こそ食ってやる。
ただしせめてもの慈悲を込めて、一息に丸呑みで、だ。
まずは水場で換えの水を組んできて、またこいつを洗ってやる。
おれはひとまず赤ん坊はそのままに、
その時だった。
『みなのもの、緊急事態だ!!』
脳に女王の声が響き、身体が硬直する。
緊急事態?
『我々の中に裏切り者が出た!!!』
脚の力が抜け、水汲み用の桶を落としていた。
おいおい、嘘だろ……?
『全兵隊蟻たち! 今すぐ玉座の間に集合せよ!!』
呼び出しを受けた身体は、自動的に動き始める。
ドクン。ドクン。
と、女王の命のままに
六本の脚が規則正しい動作で歩行し、おれの意志とは関係なく、主の元へ向かう。
おれは、玉座の間に入っていく兵隊蟻の長蛇の列の最後尾に加わる。するとそのすぐ後ろ、左右にも同じ仲間たちが並び、たちまちおれは群衆の中に閉じ込められる。
もう逃げられない。
数千、数万という規模の列がゆっくりと、しかし確実に歩みを進めていく。
裏切り者……おれのことか?
バレたのか。相棒の奴が報告したのか。
数々の疑念が渦巻く。もうなにもわからない。
おれは……今から死ぬのか。
おれはようやく、赤ん坊を持ち帰ったことを後悔した。
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