第19話 勝者
「ねえ、凪ちゃん。今日久しぶりにカラオケ行かない?」
「カラオケ?」
「うん。今ものすっごく歌いたい気分なの!」
これからもう学校を出ようと靴箱から靴を取り出していると、急にわたしは恋からカラオケに誘われた。
(確かにカラオケなんて当分行ってなかったなあ)
最後に行ったのはいつだったか。特にこれといった理由はないけれど、もう何年もカラオケには訪れていなかった。
そんなふうにカラオケのことを頭に思い浮かべると、なんだか自分まで歌いたい気分になってきた。
「うん、いいよ。わたしも行きたくなってきた」
「やったあ!」
「ちょっと待って、二人とも!」
わたしたちが靴を履いて学校を出ようとしている時にわたしたちの足を止める声が聞こえた。この声は優良だ。
「わたしも一緒に行く!」
優良が少し顔に汗を滲ませながら言う。わたしたちを追っかけてでも来たのだろうか。
「うん、じゃあ優良も一緒に行こ!」
「えー、わたしは凪ちゃんと二人で行きたかったんだけどなあ」
「え!?」
「はあ、恋はすぐに抜け駆けするからね。わたしがちゃんと見張ってないと」
「むう、優良ちゃんだって抜け駆けしてるのわたし知ってるんだから!」
また二人の言い合いが始まってしまった。この二人はもともとそんなに言い合いをするような仲ではなかったのだが、最近は特にこんなことが多い。
その原因がわたしにあるのだと思うと罪悪感と変な高揚感を覚える。
「あー、いいからとりあえず行こ!」
だんだんと周りがわたしたちに注目し始めたので、わたしはとりあえず二人を引っ張って学校を飛び出した。
「あ、そうだ、凪。侑依が凪にどうしても会いたいって言ってたんだけど」
「え、侑依ちゃんが? わたしも会いたい!」
わたしも会いたいとは思っていたけれど、侑依ちゃんの方から会いたいと言ってくれるのはとても嬉しい。
一年も会っていなかったら少し侑依ちゃんも変わっているだろうか。きっとさらに可愛くなっていることだろう。
「この前会えなかったもんね」
「それで侑依に怒られたよ。なんで凪さんが来るって教えてくれなかったの!って」
「あははっ、あの日は急だったからね」
わたしも侑依ちゃんに会えなかったのは残念だった。ちょうどわたしが泊まりに行く日に侑依ちゃんも友達の家に泊まりに行ってるなんてあまりない確率だ。
「侑依って優良ちゃんの妹だよね?」
「うん。あれ、恋は会ったことなかったっけ?」
「ちょっとだけならあるよ。でも……」
「でも?」
「……ううん。なんでもない」
「そっか」
侑依ちゃんの話やわたしたちの昔の話で盛り上がっていると、わたしたちはすぐにカラオケに到着した。
「全然変わってないねー」
久しぶりに訪れたカラオケ館は外装も内装も全く変わっていなかった。まあそんな数年では変わらないか。
わたしたちが店員さんに通された部屋は十人用の部屋かと思うくらい大きく、三人ではもてあますほどの椅子が並べられていた。
やはり放課後には学生客が多く集まるのか、他に空いている部屋がなかったのかもしれない。
「ねえねえ、優良ちゃん」
「ん?」
「勝負しようよ」
「勝負?」
「歌った曲の点数が高かった方が勝ちで、勝った人は凪ちゃんのほっぺにちゅーがもらえるの」
「ちょ、恋さん!?」
恋がとんでもないことを言い出したのが聞こえて、わたしは慌てて恋を二度見する。
「わたしの意見は!?」
「じゃあわたしたち三人で勝負しようよ。凪ちゃんが勝ったらわたしたちがなんでも一つ言うこと聞いてあげる!」
(なんでも一つ……)
特にお願いしたいことはすぐには思いつかなかったけれど、ここは一つ、恋の提案に乗っておくのも悪くはない。わたしはそれならいっかと納得した。
わたしは最近の曲があまりわからないので、何の曲を歌おうか悩んでいるうちに二人とも思い思いの曲を予約して歌い始めた。
(うわあ…… やっぱりいつ聞いても上手いなあ)
二人ともとても歌が上手だ。
優良は綺麗な低温ボイスが心に響く。恋に聞くと、優良が歌っているのは最近若い人たちの間で流行っている曲ならしい。
恋は優しくて甘い声が耳に心地よく、わたしでも知っている定番の恋愛ソングを歌っていた。わたしとよく目が合ったのは気のせいだろうか。
そしてついにわたしの番が回ってくる。わたしは少し緊張しながら喉を震わせる。結局わたしが選んだのは誰も知らないようなアニソン。
アニソンをオタクでもない二人の前で歌うのもどうなのかと悩んだが、他にフルで歌えそうな曲が思いつかなかったので仕方がなかった。
「ふう……」
なんとか一曲歌い終えた。わたしはマイクを口から遠ざける。久しぶりのカラオケはなかなかに気持ちよかった。
「わたし凪が歌うの一生聞いてられるわ」
「ええ? なんで?」
「凪が一生懸命歌ってるのが可愛くて」
「なっ……!」
そんな普通ですけどみたいに言われるとちょっと照れる。
そんな話をしているとわたしの歌った曲の点数が表示された。
こうして三人の得点が出揃った。
優良は93点。恋は95点。
そしてわたしは…… 69点。
わたしは自分が歌が下手だということをすっかり忘れていた。
なんとなく歌いながら二人に勝てないのはわかっていたのだ。画面に映っている音程バーはよく外すし、室内に反響する自分の声は耳に突き刺さるような声だった。
二人と育ってきた環境は同じなのに、どうやったらあんなふうに上手く歌えるようになるのだろうか。
「やった! 勝った!」
「はあ…… あと二点だったのになあ…… 恋に負けるなんて……」
「凪ちゃん!」
恋が目を輝かせながらわたしに目を向ける。そして頬をわたしの方に突き出す。
「え、今やるの!?」
「うん!」
「優良も見てるのに……?」
「凪…… いいからやっちゃって…… 負けたわたしが悪いんだから……」
そう悔しさを含んだように優良は両手で目を覆う。
恋も目を閉じてわたしがキスをするのを待っている。
(はあ……)
わたしは覚悟を決めて恋の頬にキスをする。思っていたよりも恋の頬は熱くなっていた。
(よしっ。わたしももうキス経験済みの猛者なんだ。このくらい……)
そんなことを考えながらわたしは恋の頬から唇を離す。
(ん?)
すると恋がわたしに近づいてきた。なぜか恋の顔がまたわたしの目の前にある。気づけばわたしの唇に恋の唇が重ねられていた。
わたしがそのことをはっきりと認識した頃には恋の唇はわたしから離れていた。
「内緒」
恋は人差し指を口の前にあてて、声を出さずにそう言った。
わたしはぶわっと顔が熱くなる。
(ちょ、ほっぺだって言ったのに!)
「終わった?」
優良が手を顔から外して、こちらに視線を向ける。
「って凪ものすごい顔赤くなってる…… 恋、なんかしたでしょ!?」
「してないよー。ね、凪ちゃん!」
恋が上機嫌そうに言う。
「絶対してるじゃん! なんかめっちゃ笑顔だし! はあ…… もう早く帰ろ!」
「そ、そうだね! もう終わりの時間だし早く出よっか!」
もうそろそろ終わりの時間も迫っていた、というのは建前でこの状況のまま恋と一緒にいるのが耐えられなかっただけだ。
カラオケをあとにしたわたしたちは他にどこにも寄り道をせず、それぞれの帰路についた。
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