第9話 侵略

「はあ、びっくりした……」


 わたしは一色さんを玄関まで見送って、一人心を落ち着けているところだ。結局一色さんはケーキをあげると言って置いて帰ってしまった。


 これ以上断るのは受け取ることよりも良くないことかなと思ってありがたく受け取っておくことにした。一色さんの優しさを噛み締めながら食べることにしよう。


 それにしても心臓のドキドキはまだ収まらない。


(夢じゃないよね?)


 わたしは頬をつねってみたけれど、ちゃんと痛かった。


 一色さんと会話を交わすどころかさっきまでわたしの部屋に一色さんがいたなんて夢だと思っても仕方がない。昨日までのわたしに教えてあげても鼻で笑われることだろう。


 冷静を装って話をしていたつもりではいるが、内心はものすごく緊張していた。


 会話をするだけで緊張するというのに急に一色さんがわたしの家に来て、しかも二人きりという状況に緊張するなという方が無理だ。


 ただ、わたしは緊張するだけでなく、一色さんに対して申し訳なさも感じていた。


 一色さんは本当にお礼の気持ちでわたしの家に来てくれたのだ。


 わたしがそんな一色さんの優しさに付け込んで、一色さんを変な目で見てしまっていることは気持ち悪いことだ。


(なんてダメな人間なんだろうか、わたしは)


 やはりわたしなんかが一色さんに釣り合うなんて無理なことを再確認したわたしはなんとか呼吸を整えて部屋に戻る。


「おまたせ、恋。一色さん帰ったよ」

「……うん」

「……?どうしたの?なんか元気ない?」

「そんなことないよ。それより早く勉強しよ」

「うん?そうだね」


 わたしは机に教科書とノートを広げて恋と一緒に勉強を始めた。


 恋はわたしに丁寧に勉強を教えてくれたが、やはり恋の様子がどこかおかしい。いつもより恋の声が低く感じる。なにより恋の纏っている空気が冷たいような気がしてならない。


(やっぱりおかしい)


 このままでは勉強に集中することはできそうにもないし、何より恋のことが心配だったので、わたしは恋に聞いてみることにした。


「それでこれが──」

「ちょ、ちょっと待って恋!」


 わたしは恋の説明を止める。


「どうしたの?」

「恋、やっぱり元気ないよね?」

「……」


 恋は俯いたまま口を開かない。


「わたしで良かったら話聞くよ?」


 恋が何かに悩んでいるのならわたしはできるだけ話を聞いてあげたい。力になってあげたい。一緒に悩みたい。


「……じゃあ凪ちゃん、わたしの今の気持ち当ててみて」

「ええ?」


(恋の今の気持ち?なんだろう……)


 いつもの恋と何かが違うのは確かだった。わたしは恋の気持ちを考えてはみたものの全く何かわからなかった。


「ご、ごめん、わかんない」

「ふーん、わかんないんだ。じゃあ答えね。わたしねえ、今ものすごーくイライラしてるの」


 恋はそうにこっと笑って言った。


(……!?イライラしてる!?何で!?)


 まさかこの恋の変な様子が怒っているのだとは思わなかった。今だってそんなに怒っているような感じではない。笑ってはいるが、どちらかというと悲しんでいるようにわたしには見えた。


「え、わたしなんかしちゃった?」


 わたしは恐る恐る聞いてみた。


「うん。しちゃったかなあ」

「え、ごめん!」

「それは何に対してのごめん?」

「そ、それは……」


 わたしは恋が何にイライラしているのかわからなかった。何か恋を怒らしてしまうようなことをしてしまった覚えはないのだが、恋が今こうして怒っているのは紛れもない事実だ。


「恋を怒らせちゃったこと。それに……」

「それに?」

「恋が何に怒ってるかわからないこと……」


 わたしは正直に恋に話した。


 本当にわからないので、恋から理由を聞いて謝るしかない。


「へえ、わかんないんだ」

「ごめん……」

「じゃあ教えてあげる」


 わたしはごくりと唾を飲む。


「それはね、一色さんがこの部屋に来たこと」

「え?」


 予想外の答えにわたしは首を傾げる。


 まさかここで一色さんの名前が出てくるなんて。


「なんで?」


 どういうことかよくわからない。どうして一色さんがわたしの部屋に来たことが恋の怒りの琴線に触れてしまったのだろうか。


「だってこの空間に他の女の子が来たんでしょ?なんかわたしと凪ちゃんの空間を侵略されたみたいですごい嫌だったの」

「え、でも優良も来てる──」

「優良ちゃんは特別。だから一色さんはダメ」


 別に一色さんはそんなんじゃないよと喉まで出かかって言うのをやめた。わたしにとって一色さんはそんなのだったからだ。


「一色さんだけじゃないよ。もう他の女の子を部屋にあげないって約束して」

「え」

「約束して」


 恋は本気だった。


「う、うん。わかったよ……」


 わたしにはこう答えることしかできなかった。


 まあもうわたしの家に一色さんが来ることなんてないし、他にわたしの家に招くほど親しい女友達がいるわけでもないので大丈夫だろう。


「うん!良かった!じゃあ勉強再開しよっか!」


 そう言うと恋はいつも通りの恋に戻ったようだった。わたしはそんな恋を見てほっと肩を撫でおろす。やっぱりいつもの恋の方が好きだ。


「凪ちゃん?」

「あ、ううん!教えて教えて!」


 こうしてわたしは当初の予定通り恋に勉強を教えてもらうこととなった。



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