第8話 夢のような
「いやあ、怖かったね」
「そ、そうですね……」
「助けに来てくれてありがとう!」
「い、いえ…… それより手が……」
わたしはさっきからずっと一色さんに手を握られているままだった。しかもなんと恋人つなぎ。
「あ、ごめん!繋いだままだったね」
そう言って一色さんはわたしから手を離す。
これ以上握られているとわたしの心臓が耐えられなかったので手を離してくれたのは助かったが、もっと握られていたかったという気持ちも少しはあった。
「それにさっきは変な嘘ついちゃってごめんね?」
変な嘘とはわたしが一色さんの彼女だという嘘のことだろう。確かに変な嘘だ。わたしが一色さんとなんてそんなことあるわけがないのに。
それでも一瞬だけでも一色さんの彼女になることができて良かった。これ以上にない役得だ。
「大丈夫です!わたし、結局何もできなかったし……」
「そんなことないよ!南雲さんが来てくれなかったらどうなってたことか…… あ、そうだ。何かお礼したいんだけどこれから時間ある?」
「へ?」
(一色さんがわたしなんかにお礼を? このあと時間ある? ってことはわたしはこれから一色さんと一緒にいれるってこと!?)
「どうかな?」
(もうちょっとくらい一緒にいたい!でも……)
「この後は恋と一緒にわたしの家で勉強する約束がありまして……」
一色さんからのもう二度とないかもしれない夢のようなお誘いをわたしごときが断ってしまうことは身を切るような思いだった。
それでも恋と先に約束をしてしまっていたので、わたしはこのお誘いを断る他なかった。
「あ、そうなんだ。じゃあわたしも南雲さんの家にお邪魔してもいいかな?実は一人で食べようかと思ってケーキ買ってたんだ。南雲さんのお家でみんなで一緒に食べよ!」
「え!?」
確かに一色さんは手にケーキが入っているであろう箱を持っていた。
(南雲さんのお家でって…… え!?それってわたしの部屋に一色さんが来るってこと? え!? というか一色さんってそんなにフットワーク軽い人だったの!? いやそういうところも好きだけど!)
「ね、いいよね?」
「うーん……」
「ほら、行こ?」
「あ、はい」
わたしは一色さんに腕を引っ張られて、すんなり一色さんをわたしの家に招待することを決定してしまった。
わたしの家はすぐそこだったのでそんなに会話に困ることはなかったが、一色さんがわたしの家に来ることへの緊張と不安で心の中はいっぱいいっぱいだった。
そのせいで一色さんとの会話を噛み締められないのを残念に思いながら、五分ほど経過して、わたしの家に到着した。
わたしはすぐに自分の部屋へと案内する。
「ど、どうぞー……」
「おじゃましまーす」
(落ち着けわたし。焦るなわたし。いつも通りいつも通り……)
わたしは緊張をぐっと押さえつけ、冷静を装う。
「じゃあここに座ってください」
「はーい」
そう言って一色さんがわたしの指定した場所に座る。
一色さんがいるだけでいつもの殺風景な部屋に温かみが増し、特別華やかになったように感じた。
(これは例えるならば砂漠に咲いた一輪の花…… いや一輪どころか百輪くらい咲いてるよこれは…… 恐るべし一色さん効果)
「児玉さんはまだ来ないの?」
「先生と進路の話するって言ってたから遅くなるっぽいですよ」
「そっか。そう言えば、南雲さんは進路どうするか決めた?大学行くの?それとも就職?」
「わたしは大学に行くつもりです」
これと言って大学でやりたいことがあるわけではないが、大学を出ておいて損はない。それに両親が大学に行くことを強く勧めているので、就職という選択肢は自然と消えたのだった。
「へー、そうなんだ」
「一色さんは?」
「わたしは就職かな」
「え、そうなんですか!?」
それは意外だった。一色さんはテストで学年一位をとるほど頭がいい。それなのに進学ではなく就職。
「大学には行かないんですか?」
「うん、別に大学でやりたいことないし。それなのに大学に行って高い学費払うくらいなら早く働いた方がいいかなーって」
「そうなんですね……」
なんだかわたしは自分が恥ずかしくなった。やりたいこともないのに大学に行って親に高い学費を払ってもらう。まさにわたしのことだ。
「まあこのままモデルを続けるっていう選択肢もあるけどね。けど……」
一色さんが話している途中で家のチャイムが鳴る音が聞こえた。
「あ、恋かも。ちょっと行ってきますね」
「うん!」
わたしは二階に降りてインターホンを確認した。わたしの予想通りそこに映っていたのは恋だった。わたしは急いで玄関に向かう。
「恋!」
「おまたせー。結構長引いちゃった。あれ。優良ちゃん来てるの?今日部活行くって言ってたのに……」
わたしのものではない靴が玄関に置かれているのに気がついたようだ。
「いや、それが実は来てるの優良じゃないんだよね……」
「え?」
「まあとにかく入ってよ」
わたしはとりあえず恋を中に引き入れて、扉を閉める。
「誰なの?」
「実はさ、一色さん来てるんだよね」
「え!?」
恋は目を丸く見開いて驚いているようだった。
それはそうだ。二年生になってから一色さんと話したことはこれといってなく、一年生の時ですら委員会以外で話すことはほとんどなかった。
わたしと一色さんはちょっとした知り合いくらいで友達という関係にすら至っていないのである。その一色さんがわたしの家に来ているのだ。驚くのが普通だろう。
「いや、いろいろあってさ。恋が迷惑なら帰ってもらうけど……」
わたしの本音を言うと本当はまだ帰って欲しくはないけれど、恋と先に約束をしていたので恋の意見を優先することは当たり前だろう。
「うーん、じゃあ帰ってもらって」
「え?」
「迷惑だから帰ってもらって」
恋ならそんなの大丈夫だよと優しく笑って言うものだとばかり思っていたわたしは思わず驚きの声が漏れてしまった。
「わ、わかった。じゃあとりあえずわたしの部屋行こっか……」
わたしは若干混乱しながらも、恋と一緒に部屋に向かった。
「あ、児玉さん!来たんだ!一緒にケーキどう?」
「ううん。申し訳ないけど、わたしこれから凪ちゃんと一緒に勉強するから帰ってもらってもいいかな?」
「え、そ、そっか…… うん、わかった!じゃあこのケーキは二人で食べてね!」
「え、それは悪いよ。やっぱりケーキは一色さんが食べてよ」
わたしにとっては一色さんがわたしの部屋に来てもらったこと自体がお礼のようなものだ。夢のような時間をもらっておいて、そこにケーキまでもらってしまうなんてそんな欲張ることはできない。
「いいのいいの、わたしの気持ちだから。それに家にケーキいっぱいあるし!じゃあわたし帰るね!」
「え、あ、ちょっと!」
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