最終話
愛歌さんの卒業式の日、学校行事は粛々と進められて、特に問題もなく終わりを告げる。
先輩達は同級生や先生、下級生や部活動のメンバー等との別れを惜しみ、涙を流したり感極まって抱き合ったり、胴上げをされている人もいた。
そんな様子を僕達は遠くから眺めていた。吉沢も文乃も、特に分かれを惜しむような相手はいないようだ。かくいう僕もそうだが。
「皆、ここにいたのか」
愛歌さんが卒業証書の入った筒を片手に僕達の所へ来た。
「三上先輩、改めて卒業おめでとうございます」
「ありがとう吉沢君、ご両親からもメールでお祝いのお言葉を頂いてしまったよ。私からも言うが、君からも礼を言っておいてくれ」
吉沢は愛歌さんと握手を交わした。
「愛歌さん、私からもおめでとうございます」
「ありがとう文乃、文芸部の部長の方へは行かなくていいのかい?」
「そちらは後で行きます。お世話になりましたから、個人的に会ってお礼をしたくって」
文乃も愛歌さんと握手した。
僕達の別れの言葉は簡素だが、これでいい。愛歌さんが卒業したからと言って、ずっと会えなくなる訳じゃない、僕達はいつでも会えるし絆で繋がっている。
「私はこれから立花先生に挨拶に行こうと思っている。よかったら皆も一緒に来てくれないか?」
「いいですね、行きましょう」
僕達は同意すると、先生が居る準備室に向かった。
愛歌さんが扉をノックすると、中から先生の声が返ってくる。
「失礼します」
「おや、これはまた皆一緒にどうしたんだい?」
先生はいつもの柔和な笑顔で僕達の事を迎え入れた。
「先生、改めて本当にお世話になりました。あの時、私の無茶な要求を聞いてくれてありがとうございます」
「何だそんな事かい?いいんだよ。僕も力になる事が出来て嬉しく思っているんだから」
僕も愛歌さんに続いてお礼を言った。
「僕からもお礼を言わせてください、先生の指導があったから僕は歌う事や自分の声に自信を持つ事が出来ました」
「高森君も本当に立派になったね、僕は「空」を聞いた時に本当に驚いたよ。プロ顔負けの実力だった」
それもこれも先生の指導あってこそだ。先生がいなかったら僕はここまで歌が上手くなれなかったと思う。
ここにいる皆先生から多くの事を教えてもらった。先生という立派な柱があったから僕達は瓦解せずにここまでいられたと確信している。
「僕もね、君達にはお礼を言いたいんだ」
先生が言い出した事に僕達は驚いた。
「こうして君達の音楽作りに関わる事が出来た事は、僕にとっても大きな財産になったよ。君達は自分達に足りないものを自分達で考えあって、補い助け合って音楽に向き合い続けた。それは教育の在るべき姿の一つだと知ったよ」
「君達は僕に教え導いて貰ったと言うけれど、僕もまた君達の姿から教えてもらったんだ。互いに教え合うのが教師と生徒なんだろうね」
「三上さん卒業おめでとう、大学でも頑張ってね」
愛歌さんは先生と固く握手を交わした。中々手を離さないと思っていたら、愛歌さんの目からは涙がぽろぽろと溢れていた。
僕達はその様子を静かに見守っていた。
「では皆さん、私はそろそろ部長に会ってきます。では!」
先生との挨拶を済ませると、文乃はそう言って小走りで駆けて行った。文乃とあの部長さんがどんな会話をするのか、少し気になったが、二人の間だけにある積もる話もあるだろう。
吉沢のスマホの通知が鳴った。
「あー、本田さんだ。ちょっと俺外します」
本田さんとは、CDデビューの時にお世話になった会社の担当についてくれた人だ。あれから僕達の活動は止まっているけれど、吉沢は本格的に音楽活動を始めて、そのまま本田さんにお世話になっていた。
「吉沢君、本田さんに私からもよろしくと伝えておいてくれ」
「分かりました。だけど本田さん三上先輩の名前出すと、次の曲についての話を延々始めちゃうので、それとなくにしておきます」
「相変わらずだね本田さん、でもよろしく」
吉沢は愛歌さんに軽く手を上げて、スマホを片手にその場から離れて行った。
期せずして二人きりになってしまった僕と愛歌さんは、どうしようかと考えていた。僕は一つ思いついて愛歌さんに言った。
「愛歌さん、屋上行ってみませんか?開いてないとは思いますが、思い出の場所ですから」
僕の提案を聞いて愛歌さんは言った。
「是非行こう、私ももう一度あそこでしっかり葦正君と話がしたいと思ってたんだ」
二人で屋上に向かうと、驚くことに扉が開いていた。
そっと様子を伺うと、どうやら誰もいないようだった。僕と愛歌さんはこっそりと屋上に忍び込むと、手を繋いで座った。
「まさか扉が開いているなんて思いもしませんでしたね」
「まったくだ。どうして開いていたんだろう」
理由は分からないが、僕達にとっては好都合だ。二人が初めて出会った場所、特別な場所だ。
「愛歌さん、改めて卒業と大学合格おめでとうございます」
「ありがとう葦正君、何度も言われているけど、君から言われると格別に嬉しいな」
愛歌さんはそう言って笑う、僕もつられて笑顔になる。
「実は僕も愛歌さんに報告したいことがあるんです」
僕の言葉に愛歌さんは訝しげに首を傾げた。
「僕も本田さんから歌手としてデビューしないかって誘われたんです。実力は申し分ないって強く言われてしまって困りました」
愛歌さんは顔をぱっと明るくして喜んだ。
「すごい話じゃないか葦正君!君の実力が認められたんだ!こんなに嬉しいことはないよ!」
まるで自分の事のように喜ぶ愛歌さんに、僕もとても嬉しくなった。
だけど、僕はもう答えを出していた。
「愛歌さんがこんなに喜んでくれた所で、こう言うのは申し訳ないのですが。その話は断ってしまいました。相談もせずにすみません」
僕は愛歌さんに頭を下げた。
「そんな、どうして?いい話だと思ったのに…」
愛歌さんはショックを受けていた。だけど僕はこれだけは譲れないと決めていた事があったのだ。
「愛歌さん、ちょっと僕の話を聞いてください」
「僕は本当に何の取り柄もない人間でした。特徴もないし特技もない、何をやっても平均的な人間で、夢中になれるものがある人を羨ましいと思っていた」
「だけど何の因果か、偶然が重なり合って今の僕は、夢中になれるものも特技も、そして大切な人まで出来ました。幸せ過ぎてどうしようかと思うくらいです」
僕は繋いだ手の力をちょっとだけ強めた。
「それもこれも、全て愛歌さんが隣にいたから出来た事です。そして吉沢と文乃が仲間になってくれたから、僕は僕に自信を持つことが出来た」
「皆がいたから僕は歌う事が出来た。皆がいたから楽しかった。先輩が隣にいたから僕は自分の持つ力を信じる事が出来たんです」
「僕がまた歌を歌う時、それは愛歌さんが隣にいる時です。愛歌さんの作った曲で、吉沢の力を貸してもらって、文乃が作詞する。その時こそが僕達の再スタートの時です」
「もし僕が本当にデビューする時があるとしたら、それは貴女が隣にいる時です。それだけは譲れません」
僕はいつの間にか愛歌さんの手を両手で包み込んで、跪く形で宣言していた。それはまるでプロポーズの様で、僕は途端に恥ずかしくなってきた。
「葦正君、やっぱり君には敵わないな」
愛歌さんの顔が急に近づいてきて、僕は思わず目を瞑った。唇に当たる柔らかな温かみに、驚いて目を開けると、自分が今愛歌さんとキスしている事が分かった。
急激に上がる体温に、高鳴る心臓の鼓動、どうしたらいいか分からずに、僕は兎に角時間が過ぎるのを待っていた。
ぷはっと息を荒げて愛歌さんは僕から顔を離した。
「初めてだから勝手が分からないな、いつやめればいいんだ?ずっとくっついていたい気もするし、不思議な感覚だ」
「でもやらずにはいられなかった。これが恋なんだな葦正君!」
敵わないのは僕の方だ、そう思いながら僕は力なく取り敢えず頷いた。
「君の素敵な提案を受けよう、私達はいつかまた自分達の音楽を沢山の人に届けるんだ!」
「はい、楽しみですね愛歌さん」
僕と愛歌さんは顔を見合わせて笑った。子供のようにはしゃいで無邪気で、いつまでもこうしていられると思った。
卒業式の空は青く澄んでいた。それは何処でも見れるような普通な景色だけど、心の奥に強く刻まれるように感じた。
きっとそれは二人で見上げる空だからだ、今隣にいる彼女と感じる美しさだからだ。
「愛歌さん、綺麗な空ですね」
「ああ、本当に綺麗な空だ」
「この空に一つ誓いましょうか」
「いいよ。何を誓おうか?」
「いつの日か、今日の日の空を歌いましょう。この先何があっても、どれだけ時が流れても、いつかきっと」
愛歌さんは立ち上がって天高く指さした。
「誓おう!いつかあの空を歌うと!」
「私達は空で始まって、今度は空に約束するんだ。変わらないものはないけれど、変えたくない想いはいつまでも胸の中にある。空を見上げる度にそれを思い出せるように、誓おう」
僕は愛歌さんの隣に立って「空」を歌い始めた。
未来の事は誰にも分からない、何が起きて、何が問題になって、良くなったり、悪くなったり、そんな当たり前を繰り返して時間は進んでいくのだろう。
だけど僕達は未来を変えていけると知った。それはとても小さな変化だけど、もたらした成果は大きなものだった。
いつかまた皆であの空を歌おう、どんな未来が待っていようとも、今日この日の誓いを胸に刻み込んで。
僕達は夢に向かって歩き出す。
思い出と沢山の作り上げた音楽達に背中を押されながら、一歩ずつ確かにゆっくりと。
了
あの空を歌う ま行 @momoch55
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