第41話
文化祭はつつがなく終わりを迎えて、日常はあっという間に戻ってくる。祭りの熱は熱しやすく冷めやすい、それはある意味でいいことでもあると僕は思う。
祭りの熱に浮かされて恥をかくこともあるだろう、しかし冷めやすい空気がそれを一掃してくれる事もある。
だが、それは小さな恥に限るんだなと僕は思った。それは僕の置かれている状況に起因する。
文化祭のステージの上で、しかも最高潮に注目を集めた場面で、生徒間で言い伝えられていた噂の三上チャレンジを成功させた男として、僕はとんでもなく目立ってしまった。
学校の生徒間というのは噂話が広まるのが早い、噂に様々な尾ひれを付け足されながら、話を知らない人が殆どいない状況になってしまった。
どうしようもない居心地の悪さに囲まれながら、僕は逃げ込むようにいつもの教室に飛び込んだ。
「おっ噂の人が来た」
「お前までやめろよ吉沢!」
けらけら笑いながらからかう吉沢に、僕は非難の視線を向ける。
「まあまあ、先輩は甘んじて受け入れるべきだと思いますよ。なにせ私を振って愛歌さんに告白したんですから!」
文乃にそれを言われてしまうと、僕は何も言えない。それを分かっていて文乃はニコニコと笑顔を浮かべている。
「み、みんな、葦正君をいじめないでくれ。わた、私の、その、か、彼氏なんだから!」
「ちょっと愛歌さん、いいですよそんなフォローしなくて」
顔を真っ赤にして僕の事をかばう愛歌さんを僕は宥めた。
「おいおい、いつの間にか呼び方まで変わってるよ。知ってたか柴崎?」
「これはこれは、先輩は奥手かと思いましたが、中々手が早いようですね」
今度は僕が顔を真っ赤にして慌てる。
「呼び方は私が頼んだんだぞ。いつまでも先輩と呼ばれていては距離を感じて寂しいからな」
先輩はあっけらかんと言い放った。その様子を見て二人は肩をすくめてからかうのを諦めた。
流石は愛歌さん、僕が得意げな顔で席に座った。
「では皆、今日も始めようか」
あの出来事を経てから愛歌さんの作曲は絶好調だった。それどころか、次々に前の曲を越える作曲をしてくる。
皆も文化祭での曲作りで、自主的に動いた事で学んだ事が生かされて、曲のクオリティはどんどん引き上げられていた。
特に成長を見せたのは吉沢だと僕は思う、今では先輩と共同で作業する事も増えてきて、録音や編集技術だけでなく、唯一この中で楽器が弾けるというポテンシャルを遺憾なく発揮されていた。
文乃も自信の詩の執筆も順調な様で、表現の幅が広がったように感じる。複雑なものもシンプルに分かりやすいキャッチーなものも、八面六臂の活躍ぶりだ。
僕はその中でも、唯一特に変化らしい変化がない。ありがたい事に歌の評判はいいが、自分で自覚出来る事でもないので成長とは捉えにくいのだ。
僕一人冴えないながらも、僕達皆で見れば快進撃と言っていいほど活発に活動している。動画の数も三十を越えた。
どれも再生数の方も順調で、ネットで話題に上がっているのを目にする事も増えた。そうは言っても狭い界隈だと思うが、愛歌さんの曲が評価される事が僕は素直に嬉しい。
作曲の方も順調だが、もう一つ愛歌さんを悩ませていた進路も解決に向かっていた。
愛歌さんは進路を進学に決めた。県内の国公立大学に進むことに定めた。成績は申し分ないし、担任の谷先生からはもっと上をと勧められたが、愛歌さんが頑なに断った。
愛歌さんはより広く勉学に励む事を決めた。そしてそこに偏差値の高さを求めてはいなかった。
どちらかと言えば人との繋がりを求めたのだ。愛歌さんは遠く離れた土地へ向かうよりも、近くの人を知りたいと願った。それは彼女にとって大きな一歩であった。
少しずつではあるが、愛歌さんは周りの人に積極的に話しかけるようになっていた。大抵は突然の事に戸惑い、はぐらかされてしまうが、友人とまでは言えずとも話を聞いてくれる人が出来たと喜んでいた。
彼女を勝手に遠ざけていたのは周りだが、彼女もまた周りを遠ざけていた節もあった。これはとても大きな変化だと思う。
僕はそんな愛歌さんの事を応援すると決めた。と言っても、僕に出来る事は殆どないのだが、とても心強いと愛歌さんは言ってくれた。
閑話休題。僕は予てから考えていた提案を皆の前で話す。
「皆、ちょっといいかな?」
僕が手を上げて発言すると、皆は作業の手を止めて僕の方を見た。
「僕達今まで色々な事があったよね、それはもう目まぐるしい程に」
「それでさ、最近僕ずっと考えていた事があるんだ」
「愛歌さんの「空」の完成をそろそろ目指してもいい頃合いだと思う。どうかな?」
僕達はそれぞれの憂いを抱えていた。そしてそれらを皆の力で克服してきた。今なら経験を最大限に活かせる時だと僕は思っていた。
愛歌さんは改めて皆の前で「空」を流した。
あれから一度も手をつけられていない試作の曲は、やはり全体的にぼやけていて、意思が統一されておらず、着地点が見いだせていない迷子の様な曲だった。
「改めて聞いても酷い曲だな」
真っ先に愛歌さんがそう言った。僕と吉沢は頷いたが、文乃だけは違う事を言った。
「そうですか?私は前より違って聞こえます」
僕達が驚いて文乃を見ると、ノートとペンを取り出して、文乃は筆を走らせる。
「確かにこの曲、最初聞いた時は何も感じませんでした。でも、今聞いてみると、愛歌さんが伝えたかった事が所々にちゃんと残っているんです」
文乃は書きながら言葉を続ける。
「私がこれだけ言葉が浮かんでくるということは、愛歌さんはそもそも「空」には歌が必要だと感じていたように思えます。作詞ありきで作られたのかもしれません」
「だけどその時の愛歌さんには、私達がいなかった。だからどれだけイメージを膨らませてもたどり着けなかったんだと思います」
「そして、だからこそ先輩の声が必要だと運命めいたものを感じれたのかもしれませんね。歌声が必要だと、心の底ではそう感じていたから」
文乃はペンを置いてノートを僕達に見せた。
「どうでしょうか?今の私が拾い集める事が出来た最大限の成果です。何か浮かびませんか?」
文乃の作詞は見事だった。しっかりと伝えたいテーマを土台として、それを引き立たせる文言が散りばめられている。見ているだけでもメロディーが浮かんでくるような出来栄えだった。
「成る程、柴崎の言いたい事が何となく俺にも分かったぞ」
吉沢はそう言ってギターを取り出した。
「要するに試作品の「空」には無駄な所が多いんです。三上先輩が無意識の内に、ボーカルの部分を作っていて、そこが埋まらないから無理やり埋めようとした。だから全体的にぼやけて聞こえるんです」
吉沢は「空」の楽譜を取り出すと、ギターで一音一音確認しながら、必要な部分の抜き出しにかかった。
「俺達が今までやってきた事と同じ事です。高森の歌に合わせて曲を調節すればいいんです。そうすれば余計な雑音が削れて、全体像が見えてくる筈」
楽譜を修正し終えると、吉沢はギターで曲の主旋律を奏で始めた。
音楽が流れ出す。音がイメージを形作り、僕達の感覚を刺激する。広大な自然の中で澄んだ空気を目一杯肺に吸い込んだ時のような、爽やかで雄大な景色がまぶたの裏に見えるようだった。
「俺に出来るのはここまでです。三上先輩、どうですか?」
僕達は愛歌さんの方を見た。余韻に浸るように目を閉じて俯いていた愛歌さんは、スッと目を開けると言った。
「二人共ありがとう。私にもこの先がようやく見えた。ここからは私の仕事だね」
そう言って微笑む愛歌さんを見て、僕達三人は顔を見合わせて肩を抱いて喜びあった。
愛歌さんはすぐにノートパソコンに向かって作業を始めていた。とても楽しそうに転げ回る子供みたいに、無邪気に音で遊ぶ愛歌さんが完全に戻ってきた。
今頃きっと、愛歌さんの頭の中では無数の音が鳴り響いているのだろう。そしてそれを丁寧に繋ぎ合わせて音を紡いでいく、彼女の類稀な才能に限界はない。
僕は歌うのが楽しみになってきた。ドキドキと胸踊らせる期待感は、今まで経験した事がない程に僕の心に強く残った。
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