第37話

 立花先生から思いもよらない事を告げられた。


「三上さんは暫くここには来ない」


 僕達は皆ざわめいた。


「先生、それはどういう意味ですか?」


 吉沢が聞いた。


「僕の判断で、作曲から暫く離れる事にさせた。彼女は進路について考える大切な時期だし、苦痛を増やす事もないだろう」

「苦痛だなんてそんな!」


 愛歌先輩が、作曲を苦痛に思っている?そんな事を僕は信じられなかった。


「高森君本当なんだ。彼女は今作曲を苦痛に思っている」

「でも!先輩は誰よりも音楽が好きで、音だって自由自在に、まるでおもちゃで遊ぶ子供のように、夢中で…」


 吉沢が僕の肩を掴んで止めた。


「やめろ高森、まずは先生の話を聞こう」

「吉沢、だけど」

「先輩心配に思っているのは皆同じです。それは先生もそうだと思います」


 吉沢と文乃の言葉で、僕はようやく落ち着きを取り戻した。


「すみません先生」

「いいんだ。君の気持ちは痛いほど分かる。だから僕から君達に提案があるんだ、聞いてくれるかい?」


 僕達は先生の提案というのに耳を傾けた。




「僕達だけで曲を作る!?」


 先生からの提案はこうだった。


 近くある文化祭に向けて、先輩を混じえず作った曲を披露する。今まで先輩の力を借りてやっていた作曲を僕達の力だけで作り、作詞して歌をつける。


 さらにそれを皆の前で披露すると言うのだ。


「む、む、む、無理です!」


 僕は断った。皆の前で歌うなんて出来ない。


「それに、作曲も問題ですよ。俺達皆初心者です。作詞は何とかなりますけど」


 吉沢も難色を示した。


「そうですよ!まして歌なんてそんな」


 先生はまあまあと手で僕を制して言った。


「高森君の気持ちは分かるよ?吉沢君の懸念も勿論。だけどね、三上さんを元気付ける方法はこれ以上ないと僕は思うんだ」


「この曲は三上さんの為に作って欲しい」


 先生は真剣な顔で僕達を見た。僕は言葉を失って、吉沢は考え込んでいた。


 真っ先に口を開いたのは文乃だった。


「やりましょう」


 その言葉に僕達は驚く。


「やりましょうってそんな簡単に」

「簡単に言ってませんよ。ほぼ不可能だと思っています」

「なら!」

「先輩は!愛歌さんがこのままでいいんですか?」


 文乃が僕の事を睨みつけた。


「愛歌さんは最低です。先輩の思いを踏みにじって、弄んで。でもそれは本当の愛歌さんじゃない。悩んで迷って、道が見えていない迷子なんです。なら私達がもう一度連れ出さなくっちゃ駄目です。仲間なんですから!」


 僕は文乃の真っ直ぐな言葉に狼狽えた。


「そうだな、やるか」

「吉沢!?」

「お前、このままでいいのか?三上先輩、このままだともう曲が作れなくなるぞ。あんなに作曲が好きだったのに、お前先輩の夢どうするんだ?諦めるのか?」


 先輩の夢、それは「空」の完成だ。


 だけど今、先輩は文乃の言う通り道を見失っている。それはきっと僕のせいだ。色んな要因が重なったけど、元を辿ればきっと僕の告白のせい。


 それにあの夜の出来事は皆が同じように責任を感じていた。僕だけじゃない、吉沢も文乃も気持ちは同じなんだ。


 吉沢の言う通り、今のままでは先輩は作曲活動に戻れないだろう。このまま進路を決めて、僕達の事も忘れて、思い出の中に仕舞われて忘れ去られてしまうかもしれない。


 それは嫌だ。


「僕は、先輩の夢を叶えたい」


「必要だって言ってくれたんだ。僕の声、特別だって」


「その言葉が嬉しかったんだ。先輩が作る曲の完成を一緒に感じたいって思った」


 僕は腹を決めた。


「出来るかな?僕達に」

「俺も全力で手伝う、仲間だからな」

「私もです。仲間外れなんて嫌ですから」


 先生の顔を見た。ゆっくりと力強く頷いてくれた。


「やろう。僕達で先輩に思いを届ける為に」


 僕の宣言に二人共頷いてくれた。




 僕達の曲作りは始まった。威勢よく宣言したが、作曲部分については僕の出来る事は少ない、勿論文乃もだ。


 となると必然的に吉沢が担当する事になる、だが吉沢も先輩を手伝っていたとは言え、一から作った事はない。


 僕達はまず伝えたい事をすべてホワイトボードに書き出した。兎に角僕達にはアイデアが足りなかった。


 思いつくままに言葉を出しては、文乃がボードに書き留めていく。しまいには書ききれなくなってノートを開いて書き始めた。


 五ページが文字でびっちり埋まって、ようやくアイデアを出し切った。今度はこの中から使えるものを探し出していかなければならない。


 僕らは数日をかけてこの作業を行った。皆ヘトヘトになりながらも、ようやく使えそうなものをピックアップする事が出来た。


「吉沢、何とかなりそう?」

「正直分からない、やってみるけど」


 僕達は後の事を吉沢に託した。




 俺は家に帰ってからスタジオに籠もってギターを弾いていた。


 しかしそれはただただ音を出しているだけで、作曲ではない。三上先輩は一体どんな発想であれほどの曲を作っていたんだ。


 俺は途方に暮れていた。高森と柴崎から託されたノートをめくり、イメージを膨らませる。


 だが、そこから先指が動かない。どの音を鳴らせば、どう奏でれば、一体俺は何を目指している?一つも分からない。


 大きくため息をついてギターを置く、キーボードを触ってみたがそれでも駄目だった。万事休すかと俺が頭を抱えていると、スタジオの扉が開いて思いがけない人が入ってきた。


「親父、帰ってきてたのか?」

「久しぶりだな海人!お前が悩んでるって母さんに聞いてな、何か聞きたい事あるんじゃないか?」


 父はミュージシャンだ。ギターを手に何処にでも行って音楽活動をしている、作曲も勿論しているし、楽曲提供も頻繁に行っている。様々なバンドに呼ばれて世界中を飛び回っている人だ。


「悩んでるって何で分かるんだよ」

「じゃあ悩んでないのか?それなら俺久しぶりに母さんの飯食べたいから行くけど」


 父はそう言って帰ろうとする。俺はまたやってしまったと思い引き止めた。


「ごめん!待ってほしい!困ってるんだ」


「友達の力になりたい!だけど俺にはその力が足りないんだ。親父、いや父さんの力を貸してほしい!」


 俺の言葉を聞いて父は満足そうに笑った。


「大切な友達か?」

「そうだ。初めて出来た親友って言ってもいい。あいつはそう思ってないかもしれないけど、俺はそう思ってる」


 父はギターを取り出すと、俺の隣に座った。


「なら力になってやらないとな。どんな事を知りたいんだ?」


 俺はノートを父に見せて言った。


「前に聞かせた曲があるだろ?あの曲を作っていた人が今、曲が作れなくなって悩んでる。俺達はその人を元気づける音楽を作りたい、その為のイメージがここに詰まってるんだ」


 父はノートをぱらぱらとめくり目を通す。


「だけど俺、作曲なんてしたことない。ここにある機材は動かせても、俺に一から音を鳴らすなんて事出来ないんだ」


 無言でノートを捲っていた父が突然それを閉じて置いて、ギターを構えて音を鳴らし始めた。


「海人、俺の音に合わせてついてこい」

「でも」

「いいからこい、鳴らすだけでいい」


 俺は仕方なくギターを構えると、父の音に続いて音を鳴らした。


 コード進行は単純だった。見て、真似するだけでついていける。そしてどこか聞いたことのあるような音の組み合わせ、似た旋律の繰り返し、俺は置いていかれないように必死で父の音を真似た。


 弾き終わった後、父はギターを置いて言った。


「どうだった?」

「どうって?」

「今の曲だよ、即興で作曲したけど何が分かった?」


 あれが即興だったのかと俺は驚いた。きちんと纏まっていたし、音楽として完成していた。父の音楽家としての実力を伺い知れた。


「それで、分かった事は?」


 聞かれて俺は考えた。鳴らした音、ついていったメロディー、組み合わせ、それらを巡って考えていくとある一つの結論に辿り着いた。


「これ三上先輩の作った曲の組み合わせか?」

「そうだな、印象的な部分のいいとこ取りだ。三上さんの才能はすごいな、これだけでいい音になる」


 俺は納得した。だからついていけたのだと、何度も繰り返し聞いてきた。曲の完成の為に三上先輩と話し合って作り直しもした。頭でなく体が覚えていたんだ。


「いいか海人、三上さんと同じ物を作ろうとするな。それは誰にも出来ない、彼女の才覚は彼女だけの物だ。代わりにな、真似をしろ。今まで彼女から教わってきたものを組み合わせて、模倣から始めてみるんだ」


「お前が親友達と過ごした時間は、お前にとってとても大切な物になっている。ギターだって、俺の知る限りここまで弾けるとは思わなかった。貰った物を大切にしていけば、自ずと道筋は見えてくる筈だ」


 父はそれだけ言うと俺の頭をくしゃくしゃと撫でて、スタジオを出ていった。


 俺は今の感覚を忘れまいと、そのままスタジオに籠もって音を出し続けた。父の言う通り、何かが少しだけ見えた気がした。それを探して俺はがむしゃらに音を出しては楽譜に書き込んでいった。




「繁さん、海人はどうだった?」

「そうだね、どうやら心配なさそうだ。いつの間にかあんなに成長していたんだなあ」

「そう、よかったわ。海人の成長はね、信じ合える友人との出会いのお陰よ」

「そのようだね、良い人達と巡り会えたようだ。良かったな海人」


 吉沢家の夜は更けていく、スタジオの光はいつまでもついていて、奮闘が続いていくのを、両親は静かに見守るのだった。

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