第36話
夏休みは終わった。
僕達はいつもの日常に戻り、生活を送る。楽しい事も苦しい事も程々の普通の日々。
僕達の関係に大きな変化はない、いつものように皆で同じ教室に集まって、普段通りの活動を行っていた。
僕と文乃の間にわだかまりはなかった。普通に会話して、普通に笑い合う、僕もそれを望んでいたし、文乃もそれを望んだ。そもそもギスギスする事は本望じゃないし、文乃も仲が悪くなりたくて告白した訳じゃないだろう。
ただ愛歌先輩だけは違った。
どことなくぎこちなさが残り、誰と話していても目が泳いでいる。僕が話しかけると露骨に避けてくるし、上の空で外を眺めている事が多い。
そして何より作曲は殆ど進まなくなった。前にあったようなスランプとは訳が違う程、進捗が遅くて出来も悪い。テーマもイメージもバラバラで、自分でも分かっているのか、発表する前にボツにしてしまう事も多くなった。
その事を自覚しているのか、先輩は徐々に元気を失って教室に顔を出さなくなってきてしまった。
僕達は心配して、こっそり三年生の教室まで探りに行ったりもした。先輩の様子は変わりがなく、やはり元気がなかった。
上級生に話しかけるのは少々緊張したが、先輩について聞いたこともある。
「三上さん?確かに最近元気なさそうだよね」
同学年の女子生徒、三人組の集まりの中で聞き込みをした。僕と吉沢は嫌がったが、文乃がより多くの情報を得るには同性の集団がいいと主張して、押し通された。
「そう言えば何か谷センぼやいてなかった?」
「ああ、私も聞いたかも。進路の事で気をもんでるみたいよ」
二人の先輩から出た発言が引っかかって僕は聞いた。
「あの、谷センって誰ですか?」
「ああ、そかそか。知らないよね、うちらのクラスの担任。谷先生、あだ名が谷セン」
成る程、生徒間での先生に対するあだ名はよくある事だ。
「君達も言われてると思うけど、進路について考えろって先生達よく言うでしょ?まあ当然の事なんだけどさ」
「谷センも、自分のクラスの生徒の進路について相談に乗ってんの。だけど三上さん進路希望まだ出してないんだって」
それは先生が頭を抱えるのも分かる。三年生のこの時期に進路が決まっていないとは、ちょっと妙だ。
「三上さん、成績常に上位だし選び放題なのにね」
「何か予備校とか塾とか行ってないのにトップ取ってたりするもんね」
「だから谷セン余計頭痛いんじゃない?高校からいい大学行く人が出たら評判とか良くなるし」
文乃のサポートもあったが、先輩たち三人からは予想以上に多くの情報が集まった。
どうやら愛歌先輩は、スランプに加えて進路についての悩みも加わったようだ。しかし成績を落としたとかそんな話ではなく、むしろ成績がよくて周りが困っているようだ。
しかし、先輩の悩みが分かった所で、今回の事は僕達にはどうしようもない事だった。手が出せないというか、問題の方向性が違いすぎるというか。
兎に角僕達に出来る事はあまりなさそうだった。すっかり顔を出さなくなってしまった先輩を待ちながら、僕達は段々と理由もなく教室に集まる事を繰り返していた。
私は迷走に迷走を重ねていた。
葦正君に非道い事をしておいて、作曲の方はすっかり調子を落としてしまった。彼にしてしまった事を思い返すと、とてもじゃないけどイメージが湧いてこなかった。
非道、本当に私は非道だ。
自分の気持ちに向き合わず。彼を中途半端な形で拒絶して、あまつさえ作曲という取り柄さえもなくしてしまった。
私は皆に合わせる顔がなくって、教室に向かう足がどんどんと遠のいていった。葦正君には特に申し訳がないが、それ以上に他の二人にも合わせる顔がない。吉沢君にも大いに心配をかけたし、文乃は葦正君に告白して断られた。
葦正君は文乃に誠実に向き合って、その上でちゃんと答えを伝えた。そして葦正君は私に思いを伝えてくれたのに、私はそれを…。
やっぱり答えは出せないまま、私は担任の谷先生に呼び出されて、進路指導室に向かった。
「失礼します」
扉をノックして声をかけると、先生は先にいらしていた。中から入るように声で促されて私は入室する。
「来たか三上、そっち座ってくれ」
先生は手に沢山の資料を抱えている、私は対面の席に座ると、先生は話を始めた。
「呼ばれた理由は分かっているよな三上」
「分かっています」
言われるまでもなく進路についてだろう。
「まあ三上ならそうだと思ったよ、なら俺の言いたい事も分かるよな?」
「ええ、白紙の進路希望についてでしょう?」
先生は私の前にプリントを一枚置いた。自分の名前が書かれた白紙の用紙が目に入る。
「三上、進学にしても就職にしても、希望がなければ教師としては応援のしようがない。悩んでいるのなら話を聞く、お前はどんな未来を思い描いている?」
その言葉は、今一番私が答え難いものだ。何か一言でも声を出さないと、そう思っても一言も出てこなかった。
「そうか、答えは出ないか」
「すみません…」
「いや謝る事はない、デリケートな問題だからな」
先生に申し訳ない気持ちが私の心に積み重なる、先生は純粋に私の事を心配してくれているのに、それに応える事が出来ない。
「しかしな、やはり心配は心配だ三上。もう進路を決める時期としては本当に遅い。成績は申し分ないし、進学なら何処でも太鼓判を押せる。就職だってそうだ、要領のいい三上なら活躍の場は山ほどある。だがそれも展望あっての事なんだ」
先生の言っている事はよく分かっている。だけどやっぱり私には答えをだす事が出来ない、それが何故か私にも分からない。
「三上、少しずつでもいい。もっと関係のない些細な事でも相談に乗る。だからな、三上の将来についての事だ。真剣になれる事を一緒に探させて欲しい」
それだけ言うともういいぞと言って私を帰した。こうして時間を取ってくれたというのに、何の成果も上げる事が出来ずに申し訳ない。
私はどうするべきなのか、今本当に何も分からなくなっている。やるべき事、やらなきゃいけない事、それは分かっているのに踏み出せない。
いつもの教室に向かう、すでに皆が来ているようで中から声が聞こえてきた。私は足がすくんで、そこで止まってしまった。
やっぱり駄目だ。私があの中に入る訳にはいかない、壊したくないと言っておいて自分から関係を壊した私には、その資格がない。
私が踵を返して急いでいると、廊下で誰かとぶつかってしまった。
「あっごめんなさい!」
「いや、こっちこそ。って三上さん、どうしたの?」
ぶつかってしまった相手は立花先生だった。
「最近顔を見せなくなったから心配していたんだよ?皆もういるから一緒に行くかい?」
「あ、いえ、私は、その」
言いよどむ私の姿を見て、先生は一瞬だけ眉を顰めた。その後すぐに笑顔になって、私に言った。
「じゃあちょっと僕と話そうか?三上さんの話を聞きたいな」
先生に連れられて準備室に入った。椅子に座ると、先生が机からお菓子を数個だして渡してくれた。
「甘い物はいいよ、それだけで元気になれるからね」
先生が率先して包みを開けてお菓子を食べる、私も小袋を割いて中身を取り出した。
クッキーの上にチョコレートがかかったお菓子、さくっとした軽い食感に、甘いミルクチョコレートがかかっている。先生の言う通り甘いだけで少し元気が出た。
「それで、三上さんは何に悩んでいるのかな?」
「え?」
私は特に先生に対して悩んでいるとかを話していない、何故分かったのだろうか。
「何故分かったかって思ってる?」
「先生はエスパーか何かですか?」
私が驚いてそう言うと、先生は笑って答えた。
「あはは、そんな大層なものだったらよかったけどね。残念ながらそうじゃない、ただ経験と勘だね」
そうであっても凄い、私はそう思った。
「悩みと言っていいのか分かりません。だけど、先生に聞いてほしい事があります」
「聞くよ」
「私、これまで大切にしてきたものがありました。それは本当に私には過ぎた特別なもので、触れる事も過ぎたる事で。どうしたらそのまま大切にしていけるかってそればかり考えていました」
「だけど私、自分の手でそれを壊してしまったんです。それも最悪の形で、でもどうしたら良かったのか未だに分からないんです。そして私はその罰として作曲が出来なくなってしまった」
天罰が下ったんだと私は思う、私はいくらでも音のアイデアが出てきたのに、今はその片鱗も感じられない。
「私にはもう、作曲する資格がありません」
私の言葉を聞いて、先生は暫く黙っていた。そして私に意外な提案をしてきた。
「少し休もうか、三上さん」
「作曲する事から離れよう、高森君達には僕から別の課題を与えるから。何か切っ掛けを掴めたら戻ってくるといいよ」
先生はそう言って私に笑顔を向けた。
私は先生が言っている事がいまいち理解出来なかった。だけど、休むというのは魅力的に思えた。今は作曲から、音楽から離れたいと思った。
曲を作り始めてから今までそんな事を思った事はない、だから初めての感情に戸惑いつつも、私は先生に感謝した。
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