第32話

 夏休みが始まった。思っていた通り皆が顔を合わせる機会はぐっと減った。皆に会えない事に僕は予想以上の寂しさを感じていた。


 愛歌先輩とは通話をしながら曲や歌の相談をしていた。通話越しではあるが会話をするとほっとする。会って話がしたいと思うけど、それを伝える度胸は僕にはない。


 吉沢とは通話等はしない、だけど頻繁にメッセージのやり取りを繰り返して技術的なアドバイスを貰っていた。吉沢は先輩や文乃からも相談を受けているようで、すっかり音楽の専門家のようになっていた。勉強が追いつかないと言っていたが、頑張れと一言返しておいた。


 文乃は文芸部での執筆活動と平行して作詞も順調に行っていた。先輩と頻回に連絡を取り合っているようで、作曲が出来るとすぐに文乃に伝わり、文乃はそこから着想を得て作詞を行っているようだ。


 僕は僕で立花先生から予め貰っていた。自宅でも出来るボイストレーニングに付いて書かれているプリントを使って練習をしていた。先生に頼むつもりではいたが、その前に先生が用意した物をくれた。仕事の出来る大人って感じがして先生は格好いい。


 それぞれの活動をしながら、僕達は計画した通りの日に吉沢の家に集まった。


 学校ではなく別の場所で集まるので、少しだけ緊張する。僕はいつも通り早めに着いてしまった。


 インターホンを鳴らすと、吉沢が門を開けてくれた。中に入って大きな玄関の扉を開けると、吉沢が待ち構えていた。


「お前こんな時でも早いのな」

「もう癖みたいなものでして、都合悪かった?」

「いいよ別に、上がって待ってろよ」


 僕が家にお邪魔させてもらうと、奥から吉沢のお母さんがぱたぱたと足音をさせて出てきた。


「こんにちは葦正君。今日も暑いわね」

「こんにちは弓子さん。何か最高気温更新って今日のニュースで言ってましたよ」


 僕が弓子さんに挨拶をしていると、吉沢が訝しげに僕を見た。


「お前、いつの間に母さんとそんなに仲良くなったんだ?」

「え?ああ、まあ色々とね」

「葦正君本当に丁寧でいい子よ、海人も見習いなさないな」


 吉沢が鬱陶しそうに首を振るので、僕は肩に手を置いて言った。


「そうだよ海人君、僕は人間関係を大切にするんだ。見習った方がいいんじゃないかい?」

「ええい、やかましい!馴れ馴れしくするな!」


 僕達のやり取りを見て弓子さんは微笑ましそうに笑っていた。


 そうしている内にインターホンが鳴った。吉沢と一緒にモニターを見に行くと、先輩と文乃が二人で立っていた。


「門開けますんで入ってください」

「ありがとう、お邪魔します」


 吉沢と共に先輩たちを招き入れる。


 私服の先輩は一度みた事があるが、文乃の方は初めてだ。先輩の方は白いノースリーブのブラウスにショートパンツと、ラフながら持ち前の美貌で上品に見える。


 文乃は薄緑色のサマードレス姿で、大きめのハットを被っている。こちらもまた涼しげで可愛らしい。


 改めてこの集まりの中で僕が圧倒的に容姿で劣るのを感じる、吉沢は背も高いし顔も整っている。僕は本当に何の特徴もなくて正直居心地はあまりよくない。だけどそんな事は気にならない程にもう皆との絆は深い。


 僕達は弓子さんへの挨拶もそこそこに、スタジオで一緒に作業を始めた。




 それぞれに作業を進めていたので、それを統合させるように調整していく。先輩の作曲を聞いて文乃は歌詞を詰めていく、吉沢と先輩は相談を交わして改善点を探った。


 僕は先輩の作った曲を何度も聞いて、メロディーを記憶して歌う時の為に備える。今回の曲はジャズ調と言ったらいいのだろうか、軽快なメロディーが折り重なって重厚さを醸し出す。先輩の曲の幅は本当に広いなと思って、僕は感心する。


 聞いている内に僕は自然とメロディーを口ずさんでいた。楽しげな音の連なりはそれだけで気分が高揚する。


 歌が重なるとどうなるんだろう、僕はこの瞬間が一番好きだ。今までの積み重ねが実るような、そんな達成感がある。


「書けました。どうですか?」


 文乃が声を上げた。僕らは近寄って歌詞を確認する。


「いいと思うな」

「俺も同意見、先輩これで行きましょう」

「分かった私は、これを元にもう少し調整しよう」


 文乃の作詞は大体一発で通る、別に適当に審査している訳でなく、文乃は曲から特徴を拾い上げるのが上手いのだ。


 皆が思いつかないようなフレーズをぽんぽんと思いつくので、あまり意見する所がない、差し戻される時は大体曲との兼ね合いだ。


 先輩がノートパソコンに向かって調整をしている時に、スタジオの扉を開けて弓子さんが入ってきた。お菓子とジュースの乗ったお盆を手に持って、机の上に置いてくれた。


「皆頑張ってるわね」

「ありがとうございます。お気遣いすみません」


 僕はお礼を言うと、もう一つ断った。


「あの、愛歌先輩は一度集中してしまうとずっとあの調子で、すみません」


 先輩はパソコンに齧り付いて作業している。耳にイヤホンをしているし、一通り作業が終わらないと誰の声も入らない。


「いいの、いいの。うちの人もそんな物よ。きっと愛歌さんも自分の世界があるのね」


 弓子さんは優しい眼差しを先輩に向けた。そう言えば吉沢のお父さんはミュージシャンだと聞いていた。似たような光景を目にするのだろうか。


「…で、母さん。何で座ってるの?」

「何でって、海人のお友達を母さんに紹介してよ。私まだ名前くらいしか聞いていないわ」


 吉沢は面倒くさそうに頭を抱えた。文乃は改まって弓子さんに挨拶をした。


「私、後輩の柴崎文乃です。このメンバーの中では作詞を担当しています。一番加入が遅かったのですが、吉沢先輩にはよくしてもらっています」

「文乃さんは作詞をしていたのね、それまではどうしていたの?」

「私が高森先輩にアドバイスする形で、間接的に関わっていました。だから本格的に関わったのはパズルという曲が初めてです」


 文乃はそれから自分の参加した経緯を事細かに説明した。自らの前の姿を写した画像を見せたら、弓子さんはとても驚いた表情をしていた。


「そう、文乃さんも苦労したのね」

「でも今は楽しいです。こうしてコンプレックスだった瞳を出せるようになったのも、前髪を切る事が出来たのも、先輩方のお陰です。凄く感謝しているんです」


 僕と吉沢は顔を見合わせると、恥ずかしげに鼻の頭を掻いた。


「本当に綺麗な瞳の色ね、ご両親のどちらかからの遺伝かしら」

「いえ、両親は普通の色をしているんです。だからもっと遠い親戚か、突然変異か、分からないんですよ」

「そうなのね、でも瞳を出せるようになって本当に良かったわ。こんなに素敵なんですもの、隠していたら勿体ないわ」


 文乃は褒められて照れくさそうにしていた。僕はそれを見て弓子さんのように良かったなと思った。


「先輩は作曲担当です。この集まりが出来たのも、先輩の曲が切っ掛けだったんですよ」

「彼女は本当に凄いわよね、旦那も末恐ろしい才能だって言っていたわ」


 先輩を褒められて僕は少し得意げになる。


「おい高森、何でお前が得意げなんだ」

「う、うるさいな、いいだろ別に」

「ふふ、吉沢先輩、高森先輩は愛歌さんを褒められると自分の事のように嬉しいんですよ」


 僕達のそんな様子を見ていた弓子さんは、思い出したかのように一枚のチラシを取り出してきた。


「そうだそうだ。貴方達にこれを渡そうと思って来たのだった」


 そう言って手渡してくれたのは、近所で開かれる花火大会のお知らせだった。


「貴方達も折角の夏休みに、スタジオに篭り続けるのもよくないでしょ?夏の思い出作りにどうかしら?」

「わあいいですね!先輩皆で行きましょうよ!」


 文乃は真っ先に食いついた。


「私浴衣のレンタルが出来る所を知っているの、着付けは私が出来るから、愛歌さんと文乃さんどうかしら?」

「本当ですか!?是非!」


 すっかり乗り気になってしまった文乃は、弓子さんと一緒に盛り上がり始めてしまった。これは先輩は断れないだろなと僕は苦笑した。


「なあ高森、いいのかあのままで」

「まあいいんじゃない?僕達もこうやって集まるようになっても遊んだりした事なかったろ?いい機会かもしれないよ」

「別に遊びたくて集まってる訳じゃないんだが…」


 ぶつぶつ言う吉沢を僕は宥めすかした。恐らく何だかんだ言っても、吉沢も楽しみにしていると思う。吉沢は素直じゃないから。


「よし!出来たぞ皆!…ってあれ?吉沢君のお母さんいつの間に?」


 先輩が作業を終えて立ち上がった。いつの間にか弓子さんが居て驚いたらしく目を丸くしている。


「愛歌さん!花火大会皆で一緒に行きましょう!ね、ね」


 早速文乃が先輩に飛びついて懇願している。状況が飲み込めないようだったが、結局文乃に押し切られる形で、僕達の夏の予定はまた一つ埋まったのであった。

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