第31話
愛歌先輩の作曲の調子が戻ってきていた。本調子とまではいかなそうだが、それでも出来上がりは素晴らしいものだ。
文乃も吉沢もそれぞれの力を発揮して、僕達の音楽はどんどん本格的なものになっていった。
時たま校内ですれ違う人が、ネットに上がっている僕達の曲について話しているのを聞く事まであった。正直嬉しかった。
評価される事はそれだけ自信にも繋がった。僕は相変わらず歌う事しか出来ないけれど、立花先生は僕の歌声はとても洗練されていると褒めてくれた。
調子に乗らないようにと自戒するが、嬉しいものは嬉しい。その気持ちに嘘はつけないから、偶に僕は誰かに自慢したくなってしまう。
でもそんな勇気はない、改めて自分を振り返れば結局僕は人からの貰い物だけで成り立っている。自分の力ではない、身の程を弁えなければただのうつけものだ。
それに、動画の面では兄の力を頼りっぱなしだ。今の所は誰も何も言わず協力を申し出てくれるけれど、これ以上無償で協力を頼むのも心苦しい。
が、しかし、兄にその事を伝えると。
「そんな事誰も気にしていない、寧ろどんどん曲を作ってきてくれってさ。評判いいよ実際、動画制作だけじゃなくて単純にファンになる人も多い」
そう言って曲の催促までしてきた。兄の知り合いの人達は本当にバイタリティ溢れるというか、趣味人の情熱は凄いなと僕は思った。
僕はいつもの教室に入った。手には自販機で買ってきたそれぞれのジュースがある。
「罰ゲームご苦労さま、お前本当に大富豪弱いな」
吉沢に炭酸飲料を手渡す。
「うるさいな、逆に皆が強すぎるんだ」
「先輩は顔によく出ますから、勝負手を出す時ににやにやしすぎなんですよ」
文乃にはいつものミルクティーを渡した。
「そんなに顔に出てる?」
「気がついていないのかい?今度は鏡に用意しなくちゃな」
「勘弁してくださいよ先輩」
先輩にブラックコーヒーを渡してから、僕は席についた。
僕はお茶のペットボトルの蓋を空けて一口飲むと、止まっていた相談事を再開させた。
「それで、夏休みに入ったらどうしますか?」
これから夏季休暇に入る、そうなれば活動をどうするかを考えなければならない。今までは学校での生活の延長線で活動を行ってきたが、部活という形を取っている訳でもなく、学校に届け出た集まりという訳でもない。
あくまでも立花先生が監督していて、教室を貸出て集まっている形を取っている。吹奏楽部や他の部活が活動を行う時には、教室を利用する事は出来ない。
夏季休暇となれば部活動の練習も活発になるだろうし、先生も忙しいだろう。こちらに時間を割いてもらうのも悪いと思っているのが、全員の総意である。
僕達は趣味の集まりのようなもので、立場として曖昧だ。
「やはり先程も言ったが、活動自体はそれぞれの家でも可能だ。葦正君だけは少し難しいが」
「そうですね、あまり大声出すのは近所迷惑ですから」
僕が同意すると、吉沢が意見を出した。
「だけど、何も大声を出す事だけがボイストレーニングにはならない。基礎を大切にして体力作りを重視すれば、そこまで問題ないんじゃないか?」
「それに集まらないのも問題あると思います。バラバラでも作業は出来ますが、私としてはこの空気感から着想を得ているので」
文乃の意見にも一理あると僕は思った。皆で話し合いながら作業を進めると、何倍も早くいいものが出来る。
「となると場所の問題だな…」
先輩がそう言って口に手を置いて悩む。
「俺としては提案した通り、俺の家のスタジオに集まればいいと思いますが」
「だけど吉沢君のご家族にもご都合というものがあるだろう、収録に使わせてもらっているだけでも申し訳ないのに」
僕も先輩と同意見だった。あまり甘えすぎては、あの時吉沢に迷惑をかけていた軽音部の連中と変わらなくなってしまう。
「でしたら、定期的に集まるというのはどうですか?」
文乃の提案に僕達は耳を傾けた。
「連日押しかけるのは迷惑ですが、日にちと時間を決めてそれを遵守する。この決まりを吉沢先輩のご家族に説明して、納得してもらえないでしょうか?」
「柴崎の意見に賛成です。俺からもきちんと頼みます。それに加えて皆のちゃんとした計画があれば文句ないと思います」
吉沢がそう強く推すので、僕達の意見は決まった。
それから僕達は、夏季休暇のうち自分達との予定とすり合わせて、いつどう使わせて貰うかの計画書を作った。
自分達の家庭の都合もあるので、そこまで機会は多くないが何日かまとまった時間が取れた。それに合わせて日程を調整した計画書を完成させた。
「どうします?俺一人でこれ渡して説明してもいいんですが」
「いや、ご都合がよければ皆で説明しにいこう。皆もそれでいいか?」
僕達に異存はない、先輩の提案に頷いて賛成した。
吉沢が電話で家の人と連絡を取っている、話の様子を聞いていると問題なさそうだった。
「親父は居ませんが、母が話しを聞いてくれるそうです。今から行きますか?」
「ああ、早い方がいいだろう。行こうか」
こうして僕達四人は吉沢の家に向かう事になった。
吉沢の家へは、スタジオを使わせてもらう関係で何度もお邪魔している。
吉沢のお母さんとも何度か顔を合わせて挨拶はしているが、こうして向かい合ってゆっくり話し合うのは初めてかもしれない。
出されたお茶やお菓子、コップ等高価そうで僕は手が震える。変なことしないようになるべく手を出さないようにした。
「それで、お話は何かしら?」
何というか、上品な人だ。貴婦人という言葉を知っていてもピンとこないが、吉沢のお母さんを見ると意味が分かる。年齢を感じさせない美人ではあるが、年相応の落ち着きを払っていて幼さを感じさせない。
「まずは日頃お家の設備を使わせていただきありがとうございます。私達全員感謝しています」
先輩の言葉に合わせて僕達は頭を下げる。
「私達の趣味の延長線である音楽活動に理解を示してもらい、後押ししていただいている事感謝の念に堪えません」
「そんな、いいのよあまり畏まらないで。主人も多忙で、あまり使用していなかったから、有効に活用して頂いてありがたいわ。貴方達は掃除や後片付けも丁寧にしてくれるし」
僕達は軽音部の問題の後に、彼らが残していった物の片付けを手伝った事がある。随分と好き勝手に使っていたのがありありと分かる様で、随分と心労をかけただろうと思った。
「そう言ってもらえると私達も助かります。それで、今日ご相談したい事は夏季休暇での活動の事でして…」
僕達はそれぞれ、作ってきた計画書を手に説明をした。吉沢は特に熱心に説得に力を注いでくれて、力の入れ具合が伝わってきた。
「という事でして、よかったらご賛同いただきたく思います」
「母さん、父さんへの説明は俺がするから」
「ご迷惑はかけないようにします」
先輩と吉沢と文乃が畳み掛けるようにお母さんに迫る、僕は出遅れてしまって小さくお願いしますと続いた。
「こんなに熱心に説得されたら納得しない訳にもいかないわ。ちゃんと筋も通っているし、私としては問題ないわ」
「よかった!ありがとうございます!」
先輩はお母さんと固く握手を交わした。何とか話が纏まってほっとした。
その後は皆で少しだけ歓談して、美味しいお茶とお菓子を頂いた。僕の馬鹿舌では高そうな味がすることしか分からなかったが、美味しかった。
その場で解散となり僕達は帰宅しようとする。その時に僕は吉沢のお母さんに呼び止められた。
「ちょっと高森君に話しがあるのだけれど、いいかしら?」
「僕ですか?」
「ええ、そんなに時間は取らないから。海人はお二人を送って上げなさい」
僕は了承して、二人を連れて吉沢が行くのを見送った。残った僕にお母さんが話しかけてくる。
「ごめんなさいね、呼び止めてしまって」
「いえ、大丈夫ですよ。それで話って?」
少しだけ言いづらそうに下を向いてからお母さんは話し始めた。
「海人がいじめていた子はあなたよね、海人から話は聞いたわ。私から謝られても困るだろうけど、改めて本当にごめんなさい」
そういって頭を下げるお母さんに、僕は慌てて言った。
「そんな、やめてください。僕はもう気にしてないです。それに今は吉沢の気持ちも分かるんです。彼はそうする事で自分の立場を守っていたから、間違っていたとしてもそれは誰にでも起こりうる事だから」
僕だって立場が違えばどうだったか分からない、それは僕だけじゃなく誰だってそうだ。
「そう、そうね。でも私が貴方に謝りたいのはそれだけじゃないの」
「それは?」
「貴方と海人は中学生の時同級生だったでしょ?だから私、貴方と海人が一緒にいた所を見たことがあるの。そしてその時、貴方が海人に絡まれているのを見た。正確には海人を含めた数人に」
同級生であったのだからそういう事もあっただろう、だけどその説明だけじゃ話が見えてこない。
「その時私、違和感を覚えた。彼らの貴方に対する態度は過剰だったから、だけど私、海人がそんな事に加担する訳がないって、そう思って見逃してしまったの。親という色眼鏡で見てしまった事で、貴方を苦しめてしまった」
ここでようやく僕は合点がいった。
「それこそしょうがないと思います。僕の母さんも僕の事を信じてくれると思うから、でも間違っていたら正せばいいと言ってくれると思います。僕は偶然にも救われて、海人君の手助けが出来た。そして今では友達です。それでいいと思うんです」
僕が思った事を伝えると、お母さんはようやく柔和な笑顔を見せてくれた。
「ありがとう、本当に海人は貴方に出会えて良かったわ」
「まあ僕は大層な事はしてませんが」
「そんな事ないわ。私と旦那も、貴方達の音楽を聞いたの。海人が強く勧めるものだから、確かに作曲能力の高さが目立つけれど、私も旦那も貴方の歌声をとても魅力的に感じたの。私はまだしも、旦那はその道のプロだから説得力があるでしょ?」
そう言って笑いかけてくれた。僕はその発言は素直に嬉しかった。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると自信になります」
「ええ、大いに自信を持ってちょうだい。皆を繋いでいるのはきっと貴方だから」
僕は吉沢のお母さんに挨拶して帰路についた。
皆を繋いでいるのが僕、そう言われてもそうかなとしか思えないが、今はただ少しでも過去のわだかまりを解きほぐす事が出来た事を喜ぶことにした。
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