第30話

 定期考査も終わり、またあの教室に集まる日々が戻ってきた。僕のテストの出来はいつものように平均的だったけど、愛歌先輩は常に上位にいるらしい。


 ちなみに吉沢は僕より少し上、文乃は先輩程ではないが上位に位置しているらしい。この中で一番下に位置しているのが僕だ。


 しかしテストも終わったというのに、先輩の曲作りのスピードは上がらなかった。今までが順調すぎたのかもしれない、先輩だって思いつかない時は思いかないだろう。


「先輩、ちょっといいですか?」

「どうしたの?」


 文乃が話しかけてきたので僕はそちらを向いた。


「文芸部、辞めようかとも思ったんですけど、部長が掛け持ちでいいと言ってくれたので在籍してるんです」

「そうなんだ。よかったね、失礼ながら何かあの部長さんを思うと、そういうの許してくれなさそうだけど」


 僕が見た文芸部の部長は中々に情熱的な人物だった。掛け持ちとか、中途半端な事だと切り捨てそうに思ってしまうが。


「私も失礼ながらそう思ってました。でも部長、私の変化を見て何か思う所があったみたいで、柴崎の好きにしていいって言ってくれたんです」


 文芸部の部長は、浮いていた文乃に積極的に話しかけていた唯一の人だと言っていた。もしかしたら、文乃に寄り添いたかったのに出来なかった事を負い目に感じているのかもしれない。


 人を推測だけで語るのはよくないなと思い、取り敢えずは文乃の現状について喜ぶ事にした。


「部長さんが柔軟な人でよかったね」

「ふふ、ですね。私の書く詩も良くなったって褒めてくれるんですよ」


 文乃が楽しげにしているので、僕はそれが嬉しかった。


「それでですね、先輩に私の詩を読んで欲しくって、いいですか?」

「いいけど、僕こういうの良し悪しはよく分からないよ?」

「そんな事考えなくていいんです。読んで欲しいだけですから」


 何かコメントとかを求められたら困るけど、そういうことならと原稿を貰った。


 普段から本もあまり読まない方なので、やっぱり良し悪しは分からない。だけど文乃の書く文章は表現も豊かで、何より言葉の一つ一つが分かりやすかった。あまり飾らず、かと言って埋没せず、素人目にもよく出来ていると思った。


 この才覚が作詞にも生かされているのだろうな、やっぱり文乃が加入してくれた事は大きな力になる。


「面白いね詩って、僕こういうのあまり読んだ事ないけど。文乃の文が面白いのは分かるよ」

「そうですか?ありがとうございます。先輩も書いてみたらどうですか?」


 文乃がとんでもない事を言うので僕は断った。自分の事も上手く表現できないのに、書くことなんて出来やしない。


 僕と文乃が話していると、ノートパソコンに向かって作業をしていた先輩が急に立ち上がった。


「ごめん葦正君。少し文乃を借りてもいいかな?」


 そう言って先輩は文乃の手を引いて教室を出ていってしまった。僕がぽかんとしていると、吉沢が僕の肩を叩いて言った。


「お前、何かやっちまったかもな」


 縁起でもない事言うなと言いたかったが、あの雰囲気を見ているともしかしたらそうかもしれない、顔を青くする僕の肩を吉沢は慰めるようにぽんぽんと叩いた。




 私は自分の行動に驚いていた。仲良く話す二人の姿を見て、思わず文乃の手を取ってしまったが、どうしようかは分かっていなかった。


「愛歌さん、この辺でいいんじゃないですか?」


 文乃の声で私は我に返った。


「あ、ああ、そうだな、突然悪かったな文乃」

「いえ、何となくそろそろ来ると思っていたので」

「来る?」


 私の行動を文乃は予想していたのか?特に動きらしい動きを見せなかったのだが。


「私と高森先輩が仲良く話していたから、何だかいてもたってもいられなくなった。違いますか?」


 どきりと心臓が跳ねた気がした。図星とはこの事を言うのだろう。


「どうして分かったの?」


 文乃は私の顔を見てため息をついた。


「愛歌さん、私はその理由が分かります。だけど、本当に私の口から聞きたいですか?」


 もう一度どきりと心臓が跳ねた。


「ど、どういう事?」

「私は愛歌さんが何故その気持ちから目を背けているのか分かりません。だから指摘するのは簡単ですけど、本当にそれでいいですか?」


 文乃が言っている意味が分からない、いや、分かっている気がするのに、心の奥が痛くて言葉が出てこない。


「む、難しい事を言うな文乃は」


 私は苦し紛れに笑って誤魔化す。それが意味の無い事だと思いながらも。


「何で作曲が進まないのか分かりますか?」

「え?」

「それは愛歌さんが今までと違って心に蓋をしているからです。心のままに感情のままに作曲するのが愛歌さんだった。でも今は見ないふりをしている感情があるから上手くいかない」


 やめてくれ。


「愛歌さんは見たもの聞いたもの、想像したことを音楽で表現する事が出来ます。けれどそれは自分の気持ちに素直だったから出来た事、秘める気持ちがなかったから曲は心を打った」


 聞きたくない。


「ここまで言えば分かりますよね?愛歌さんの隠している気持ちは…」

「やめてっ!」


 私は思わず文乃の言葉を拒否した。その先を言われる事が怖くかった。


「分かってる、私は確かに見ないふりをしていた。認めるよ」

「そうですか、私としてはあまり嬉しくないですが」


 文乃はすっと前を向いて私の目を見据えた。水晶のような透き通る瞳が私を捉えて離さない。


「聞きますよ」

「私は葦正君が好きだ」


 言葉にした途端、心の堰が切れたように感情が溢れ出してきた。たった一つの事実を見なかっただけなのに、いつの間にか私の中でこの感情がとても大切なものに変わっていた事を実感した。


「ですね、それ以外考えられませんよ」


 文乃はほっとしたような顔をして笑った。私は恐る恐る聞く。


「でも、あの、文乃もその」

「私も勿論好きですよ、恋愛の方で」


 そう簡単に断言してしまう文乃に私はたじろいだ。


「愛歌さん!シャキッとしてください。同じ人を好きになる事なんて珍しくもないでしょう?私もこの気持ちを譲る気はありませんけど、愛歌さんも譲っちゃ駄目です」

「でも」

「でもじゃないです!いいんですよそれで、私達の感情を決めるのは私達でしょう?」


 文乃の言葉が胸に深く突き刺さった。私は、とんでもない過ちを犯す所だった。


「そうだね、うん。確かにその通りだ。私は危うくこの気持ちを手放す所だった」

「大方私に譲ろうとでも考えていたんでしょう?」

「何でもお見通しだな文乃には」

「これは特別ですよ、私と愛歌さんが同じ気持ちを共有しているからです。でも、そんな事したら私、愛歌さんの事嫌いになりますから」


 そうだろうなと私は苦笑した。それは親切心でも何でもない、向き合うことから逃げただけだ。とても失礼な行為だ。


「文乃、恥ずかしながら私はこういう経験が一切ない。だからどうしていいのか分からないんだ。どうしたらいい?」


 私は恥も外聞も捨て聞いた。


「私も同じですよ、誰かに恋をしたのは初めてです。物語ではよく読んでいましたけど、実際にどうするべきか分かりません」

「私も恋や愛を題材にした曲を聞いてきたけれど、一度もピンと来た事はない。だから混乱して迷っている」


 私達は似た感情をぶつけ合って、それが可笑しくって笑いあった。


「一つ約束をしませんか?」

「約束?」

「はい、私は愛歌さんの恋を応援する、愛歌さんは私の恋を応援してください。諦める訳じゃないですよ?どうなっても味方がいると思っていると、気持ちが少し楽になりませんか?」


 文乃の提案に私は驚いた。確かにそれなら、この言い知れぬ罪悪感を払拭できる気がする。


「それはとてもいい考えだと思う。約束しよう」

「そうでしょ葦正先輩の受け売りなんです」


 そう言って笑う彼女と私は、互いに指切りを交わした。どんな結末でも、互いを尊重し合った事に変わりはない、ならば痛みでもすんなりと受け入れられる。


「じゃあ取り敢えず作曲してください!折角私も加入したんですから、どんどん作詞したいです」

「任せておけ、今ならどんな曲でも作れそうな気がするんだ」


 私たちは他愛のない会話を交わしながら、教室へと戻る。


 初めて恋をして、初めて同性の友人にそれを打ち明ける事ができた。なんだかそれだけでも、他の何よりも特別な出来事だと思える気がした。

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