第29話
僕達は文乃が加わった新曲の「月草」を皮切りに次々に曲を作っている、という訳では無かった。
と言うのも肝心要の愛歌先輩の作曲ペースが落ちていた。加えて夏季休暇前の定期考査の期間も重なった。皆テスト勉強をする為に集まる事が出来なくなった。
僕は昼休みに文乃に呼び出されていつものベンチに座っていた。学校の中庭にあるこの場所は、割りと生徒から目立つので最近は緊張してしまう。
と言うのも、文乃はすっかり人気者、と言うより注目の人になった。ただ前髪を切って伊達メガネを外しただけ、そんなシンプルな事だけでも人の評価はガラリと変わった。
確かに美女ではある、しかしそれまで見向きもされなかった文乃に、皆よくも恥ずかしげもなく掌返しできるものだなと思う。本人は特に気にしていないようだが僕はあまり面白くない。
その事を本人に伝えると「先輩がそう言ってくれるだけでいい」と嬉しそうな顔をしている。僕としてもそれならそれでと納得した。
「先輩!待ちましたか?」
「いや、待ってないよ」
文乃が手を振ってやってくる、本当に明るくなったなと僕は感じていた。
「あれ?文乃何持ってるの?」
手に二つ程包みを抱えているので僕は聞いた。
「ふっふっふ、これはですね。私が丹精込めて作ってきたお弁当です」
そう言って文乃は片方の包みを僕に手渡してきた。
「片方は先輩の分ですよ。お口に合えばいいのですが…」
「おお!本当に?昨日弁当を持ってこなくていいって言われてたけど、こういう事だったんだ」
前日に文乃からメッセージが送られていたので、今日は弁当を持ってこなかった。お礼をさせて欲しいと書いてあったので、何か購買で奢ってくれるのかなと思っていたから、嬉しい誤算だ。
「サプライズしたくって黙ってたんです」
「開けてみてもいい?」
「どうぞ、先輩の為に作ったんで」
僕は包みを開いて弁当箱の蓋を開けた。
中は二層になっていて、下の弁当箱には詰め込まれたご飯の真ん中に梅干しが一つ置かれている。上の箱にはこれでもかと言わんばかりに、唐揚げや卵焼き、アスパラのベーコン巻きが詰め込まれ、タコ型に切り込みを入れられたウインナーとプチトマトが赤い彩りを添えている。
「こりゃ凄いな、文乃が全部作ったの?」
「流石にお母さんに手伝ってもらいました。料理が出来ない訳じゃないですけど、人に食べてもらう物なので…」
だとしても、僕の為に作ってくれたのが伝わってきて嬉しかった。おかずの類いも、推測するに飢えた男子高校生を思ってくれたのだろうと分かる。
「嬉しいよありがとう、一緒に食べよう」
「はい!いただきます」
僕と文乃は手を合わせて食べ始めた。唐揚げは冷めても美味しいようにしっかりと味付けされていて止まらない、卵焼きは僕の好きな甘い味付けだ。ベーコンの塩気と油はアスパラとの相性が抜群に良くて、ウインナーは見た目も可愛らしい、プチトマトの甘酸っぱさは口の中をスッキリとリセットしてくれる。
味の濃い物が多くて単純に嬉しいが、それに加えて米がシンプルなのも肝だ。ふりかけのかかったご飯でもいいが、余計な味がしない分、よりご飯が進んでいく、梅干しも実にいいアクセントだ。
僕はあまりの美味しさにあっという間に弁当をたいらげた。一息ついていると、文乃が水筒を取り出してコップにお茶を注いで渡してくれた。
「ありがとう、それにごちそうさま!凄く美味しかった」
「よかったです。先輩には色々とお世話になったから、そのお礼です」
お茶を飲んでまどろんでいると、廊下の向こうに先輩の姿が見えた。
「あ、愛歌先輩だ」
「本当だ。愛歌さん気づくかな?」
僕と文乃が手を振ると、先輩はこちらに気がついたようで近づいてきてくれた。
「こんにちは先輩」
「ああ、二人共こんにちは。今日は二人でどうしたの?」
「文乃がお礼を込めてお弁当を作ってきてくれたんです。僕手料理を振る舞ってもらう機会なんてないから、すごく嬉しかったですよ」
僕の言葉に、先輩は笑顔ともそうでないとも言える微妙な表情で返した。
何だかまた様子が変な気がする、僕がその事について聞こうとした。
「あの…」
「じゃ、じゃあ私はこれで!二人共仲良くな!」
先輩は慌てて去っていってしまった。取り付く島もなくて、僕はますますおかしいと思った。
「ねえ文乃、最近愛歌先輩様子がおかしくない?」
「おかしいと言えばおかしいですが、正常と言えば正常ですよ」
文乃は何かを知っているような口ぶりだった。
「何か理由を知ってるの?僕が何かしちゃったのかな?」
「心当たりはありますけど、先輩には教えません。自分で気がつくか、文乃さんに直接聞いてください」
そう言って文乃はそっぽを向いてしまった。何か怒らせてしまったかと慌てていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「そろそろ戻らないと、あっ弁当箱どうすればいい?」
「大丈夫ですこのまま返してください、それより満足してもらえました?」
「それは勿論!大満足だったよ。美味しかった」
「なら良かったです。私は寄る所があるので、先輩は先に戻ってください」
文乃がそう言うので甘える事にした。僕はもう一度お礼を言って弁当箱を綺麗に片して手渡すと、先に自分の教室に戻ることにした。
先輩の背中が見えなくなった頃、私は緊張で高鳴る胸を抑える為に少し間を空けさせてもらった。
深呼吸をして私も荷物をまとめて教室へと戻る、先輩から何度も美味しいと言って貰えて嬉しかった。お母さんに頼み込んで料理を教えてもらった甲斐があった。
私は浮ついた気持ちで、少しだけ足取りを軽やかにしていた。この短い間で先輩と急速に仲良くなれたと思う。
私は葦正先輩に恋をしている。
先輩は初めて合った時から優しかった。出会いは偶然で、再会も偶然だった。私が大量の提出ノートを抱えていて足元が見えず、転んでしまった時にそれを助けてくれたのが先輩との再会だった。
それだけでも嬉しかったのに、先輩はそれから私を見かけると話しかけてくれるようになって、あの時出会ったベンチで会話をするようになった。
私の悩みについても一切文句も言わず真摯に聞いてくれて、相談に乗ってくれた。瞳の事を綺麗だと言ってもらえた時は心が震えたのを覚えている。
それに加えて、先輩は自分自身の事も話してくれた。悩みも迷いも、色々なことを他人である私に打ち明けて相談に乗って欲しいと頼まれた。
私は先輩を信頼していたけれど、先輩もまた私を信頼してくれた。それがたまらなく嬉しくて、そして自分がしたことが許せなかった。
私は私の利己的な目的の為に先輩の優しさを利用した。表面的には私も乗り越えたように振る舞ってはいるが、心の奥底ではどうしても許せていない。
だけど先輩は、そんな私を追いかけてきてくれた。私のせいで怪我をした時も、大量に鼻血を出していた時も、最初に気遣ったのは私の事だった。
そして先輩は私を許して、愛歌さんと仲直りする切っ掛けをくれた。私は沢山の大切なものを先輩から貰った。そしてこの胸焦がす情熱的な思いが恋だと気づいた。
喜んで貰えると嬉しい、笑いかけてくれると顔がほころぶ、どんな反応をしてくれるかなと考えると楽しかった。この気持ちを恋と呼ばずとして何と呼ぶだろうか。
出来る事なら先輩の心は私が欲しい、先輩にも私を好きになってもらいたい、だけど私はもう一つ気がついている事がある。
愛歌さんも先輩に恋をしている。直接聞いた訳じゃないけれど、最近の態度を見ていれば分かる。
でも愛歌さんはその気持ちが何なのか分かっていないようだった。それに先輩も気がついていないけれど多分…。
私はそれ以上は考えない事にした。考えるだけ無駄な事だし、私はそれに負ける気はない。
だけど愛歌さんは気持ちに気がつくべきだと考えている、そうでないと、私のようにいつか思いが行き詰まって作曲にも影響が出てしまうと思う。
現に愛歌さんの作曲ペースは明らかに落ちた。テスト期間なんて関係ない、愛歌さんは一を聞いて十を知る人だ。だから授業だけで十分だと言い切れる。
愛歌さんに悪影響がなければいいけれど、私はそう思ったが、恋心を自覚させるにはどうすればいいかなんて検討もつかなかった。愛歌さんも先輩も、もう少し察しのいい人達だったらこうはならなかったのかな、そんな事を思いながら私は教室に入った。
相変わらず色々な人が声をかけてきてくれる、それを嬉しくは思うが、ありがたくは思わなかった。私は次に先輩に会った時はなんて声をかけようかなと考えながら、席について授業開始を待つのだった。
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