第28話

 柴崎はそのあまりの変貌ぶりに、一躍時の人になった。


 今まで目立たなかった女子が、一晩で大変身を遂げたのだから無理もない話だが。男子達は色めき立ち、女子達は柴崎を取り囲んで黄色い声を上げた。


 すっかり性格も明るめになった。というより元来の性格に戻ったとも言えるが、それも相まってあっという間に人気者になってしまった。


 周りの人の清々しいまでの掌返しもどうかと思うが、柴崎はあまり気にしていないようだった。


 気軽に会うことが出来なくなってしまったので、僕はスマホで柴崎にメッセージを送った。


「柴崎、何だか大変なことになっちゃったね」

「ええちょっと反省しました。知らない人がばんばん声をかけてきたなと思っていたら、同級生でした」


「酷い話ですよね、私が如何に周りの人を見ていなかった事が分かりました」


 僕も同じ様なものだったから気持ちは分かる。だけど柴崎とは状況は大きく異なるが。


「まあそれに気がつけただけでも前進したと思おうよ、しかし中々顔を合わせにくくなっちゃったね」

「え?何でですか?」

「そりゃ僕となんか会ってたら色々言われちゃうだろうし」


 突然スマホに通話通知が入ってきた。画面を見ると柴崎と出ている。


「もしもし?どうした柴崎?」

「先輩は馬鹿です。ばーか」


 突然何事かと驚いていると、柴崎が話を続けた。


「私が先輩と一緒にいて何か言ってくる人が居ても気になりません。それは私が先輩と一緒に居たいからです。文句なんて言わせません」


 柴崎があんまりにもきっぱりと断言するものだから、僕は少し照れくさくなった。


「そっか、柴崎がそう言うなら安心だね」

「先輩私の下の名前は?」


 突然の質問に戸惑いながら答える。


「文乃でしょ?」

「そうです。今度からはそう呼んでくださいね先輩!」

「はい?」


 柴崎はそのまま電話を切ってしまった。一体どうしたのかと聞く前に、さっさと自分の言いたい事だけ言って切ってしまったので真意は分からない。


 ただまあ柴崎が元気になったのなら良かったのかもしれない、僕はスマホを仕舞うと一つため息をついた。




 いつもの教室にいつもの四人が集まった。愛歌先輩と柴崎もとい文乃は楽しそうに会話をしている。


「文乃、作詞はもう出来たのか?」

「はい愛歌さん。確認してもらえますか?」


 二人が親しげにしていると、心なしか少し眩く見える。先輩は言わずもがな、文乃もすっかり学校の有名美人だ。


「おい高森、ボケッとしてるなよ。お前が音を合わせたいって言ったんだろうが」


 吉沢に叱られて僕も我に返る。


「ごめんごめん、今どこだっけ?」

「こことここな、お前は高音は問題ないけど低めになると外しがちになるから気をつけろ」


 僕も吉沢と一緒に歌の練習を進めた。今度の曲は僕の録音コーラスじゃなくて、先輩と文乃のコーラスが入る。二人に遅れを取らないようにしないと。


 メンバーが四人になった時、僕は何かパズルのピースがピタッとハマったような気がした。それを裏付けるように作業は今までよりスムーズに進んでいく、引っ掛かりが無くなったようなそんな空気感だ。


 楽しい。僕はこの空間がとても楽しくなっていた。以前はこんなに歌を歌う事に積極的な気持ちでは無かった。


 別に嫌々だった訳じゃない、僕もちゃんと楽しんでいたし、先輩の期待にも応えられるように努力した。


 だけど今は歌うことが楽しい、ちゃんと楽しいんだ。僕は声が特殊だから先輩に選ばれたと思う、でもそんな事はもうどうだっていいと思っている。


 近所の中谷さんの花畑、兄の映像や研究に対する熱意、僕にも同じように熱中できる何かを見つける事が出来た。それがたまらなく嬉しいのだ。


「葦正君、どうしたんだい?何だか楽しそうね」


 作業の合間に先輩が話しかけてきてくれた。


「僕そんな感じでした?」

「うん、そんな感じだった」


 先輩は僕の隣に座る。


「それで何か良いことでもあった?」

「僕は今まで、何かに熱中出来る事って無かったんです。この歌も先輩の力になれればと思って始めました」


「だけど今、僕は歌う事を楽しんでいます。あっ今までが楽しくなかった訳じゃないんですよ!」


 僕の慌てた否定に先輩は微笑んだ。


「大丈夫、分かっているさ」

「良かった」


 先輩の言葉に僕は頷いて続けた。


「先輩、僕の事を見つけてくれてありがとうございます」

「え?」

「偶然だったけど、あの時の屋上での出来事は僕の今を大きく変えてくれました。こんな事になるとは思っていなかったけど、でも僕は好きなものを見つける事が出来た。先輩がいたからです」


 僕の言葉に先輩は目を丸くした。


「そ、そんな、急にどうしたんだい?」

「言いたいことは言いたいうちにと思いまして!さあ先輩、曲の完成を急ぎましょう!」


 少し照れくさくなって僕は席を立った。僕には似合わない事を言ったかもしれない、だけど素直な気持ちを伝えたくなったんだ。




 私は葦正君の言葉に言い表せない感情を抱いていた。


 あの時確かに私達の出会いは偶然だった。そして私は強引に葦正君を私の事情に巻き込んだ。


 だけど彼はそんな私の気持ちに応えたいと言ってくれた。上手くいかない時は何度も練習を重ねて、立花先生に何度も質問をして、葦正君は私の曲に真摯に向き合ってくれた。


 お礼を言わなければいけないのは私の方だ。彼の献身的な行動や優しさに触れて、私の方が沢山の大切なものを受け取ったんだ。


 吉沢君が力を貸してくれるようになったのも、文乃が心を開き本当の自分を見つける事が出来たのも、私はただ葦正君に手を引かれて進んだだけだ。


 こうして私が私の表現を追い求める事が出来ているのも、彼が居てくれたからだ。そんな彼からの「見つけてくれてありがとう」との言葉を私はどう受け止めていいのか分からなかった。


 胸の奥が締め付けられるように痛む、この気持ちは一体何だろうか。私は言葉に出来ない感情を曲に込めてきた筈だ。


 でも今は何も浮かんでこない、私はこの気持ちの答えを見つける事が出来ないでいる、今はまだその時じゃないのかもしれない。私は一旦この迷いを心に収める事にした。いつか見つかる事を願って。




 新曲の「月草」が完成した。


 吉沢の家に集まってレコーディングを行う、今回スタジオには僕だけでなく先輩と文乃も居る。


「何か結構緊張しますね先輩」

「僕も最初はそうだったよ、文乃も気負う事なく楽しんでみたらいいよ」


 僕が文乃と呼んだ時、先輩が不思議そうな顔で僕達を見た。


「あれ?葦正君、いつの間に文乃を名前で呼ぶようになったの?」

「私が頼んだんです。先輩には名前で呼んでもらいたくって」


 僕が答える前に文乃が答えた。


「まあ何か成り行きで、文乃からも頼まれた事なので」

「です!私が頼みました」


 文乃は嬉しそうに言う、何がそんなに楽しいんだかと僕は思うが、嬉しそうならそれでいいかと思った。


「そ、そうなのか、仲良き事はいいことだね、うん」

「先輩?どうかしましたか?」


 何だか少し先輩様子がおかしいと僕が声をかけたら、吉沢の声が聞こえてきた。


「準備出来たから始めるぞ、先輩、高森、柴崎そっちは準備いいか?」


 僕達は吉沢の合図で慌てて位置についた。先輩の様子は少し気になったが、ちらりと見たらもう元の先輩に戻っていた。


 どうしたんだろうと思いはしたが、今は曲に集中しなければならない。二人の顔を見て僕は吉沢に合図を送った。


 新曲の「月草」が流れ始めた。


 この曲は優しく流れる小川のような清らかな曲調から、一転して深く海に沈んでいくような重苦しさを持ち、煌めく音の粒に導かれて変わりゆく感情の波を辿っていく。


 歌詞に込められた思いは、迷いと希望を繰り返して、いつか大切なものを見つける為に作られた。


 この曲を聞いた人はどんな事を思うのだろうか、きっと何かを感じ取ってくれるに違いない。だけど今は僕が僕なりの思いを、歌声にして音楽の海へと放った。自由に泳いでもっと表現を広げてくれ、僕達の声が届くように。

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