第26話

 教室まで戻る道すがら私は考えていた。


 三上先輩になんて言ったらいいの?酷いことを言ってしまって合わす顔がない、そもそも私は誰に何を伝えたいのだろう。


 ずっとずっと心の中に溜め込んでいる鬱憤がある。私の目の色は他の人と違う、遺伝なのか突然変異なのか理由は何も分からない、だけど皆とは違う。これだけで私は格好の的になった。


 指摘されるだけで嫌だった。からかわれると涙が出た。目を合わせると笑われている気がしてしまう。


 両親に酷い事を言ってしまった事がある。


「どうしてこんな目の色で産まれたの?私は皆と同じが良かった」


 私の言葉を聞いた時、両親は本当に悲しそうな顔をした。子供心に言ってはいけないことだったとすぐに悟った。


 私が泣いて謝ると両親はもっと悲しそうな顔をして私を抱きしめた。そんな顔をさせたくは無かったのに、私は酷く後悔した。


 その後、両親は私に伊達メガネをプレゼントしてくれた。少しでも顔の印象が目から別に向くようにと可愛くて小さな子供用。


 気持ちが嬉しくって私はそれをお守りのように大切にした。レンズを通しても見える世界は変わらなかったけれど、少しだけ勇気が出たのを覚えている。


 それでもやっぱり私はどんどん内向的になっていった。人前に出るとどうしても怯えてしまう、気が焦り震える事もあった。


 そんな私を見かねて、母は私に一冊の本を買ってくれた。何の変哲もないファンタジー小説、母は敢えてそんな物語を選んだ。


「人と上手に話せない事は恥ずかしい事じゃない、でも人を知る事はとっても大切な事。この本は文乃ちゃんの目の代わりをしてくれる、本を通して人を知りなさい」


 最初は言われた事の意味が全く分からなかった。だけど本を読み進めていく内に、段々とその意味が分かるようになってきた。


 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、感情を表す為に多様な表現がなされていた。感じ方は一つだけじゃない、皆それぞれに色々な発想で人の心に触れて表現しているのだと教わった。


 物語を書く人がいて、それをまとめる人がいて、崩したり直したりを繰り返して紡いでいく。本を売る人がいて、買う人がいる。読み終えて感銘を受ける人も居れば、何も感じず投げ捨てる人もいる。


 そんな事を想像しながら本を読んでいると、確かに本が私の目の代わりになった。それで人を理解出来る訳ではないけれど、人を感じる事が出来た。母は私を孤独にしたくなかったのだと思う。


 本のお陰で孤独ではなかったけれど、いつまでも一人ではあった。大好きなお婆ちゃんに相談したら、前髪で目を隠しなさいと言われた。


「一人でもいい、孤独じゃないと知っているのなら。文乃の目の代わりは今は本、だけどその綺麗なお目々を好きになれる時が来る。その時初めて前髪を上げなさい、あなたの透き通るような目で見える景色をいつかお婆ちゃんに教えてちょうだい」


 私はそうして前髪を伸ばした。伊達メガネをかけて前髪で目を隠すと、陰気な性格と相まって人は近づかなくなった。ちょっと寂しかったけれど、ちょっと心が楽にもなった。お婆ちゃんはこれを見越していたのかもしれない。


 私は本を読んで、沢山読んで、今度は誰かに何かを伝えてみたくなって、浮かぶ言葉を詩にしてみた。


 何でそう思ったのか、何で言葉が浮かぶのか、何も分からなくても楽しかった。浮かんだ言葉を繋ぎ合わせて、言葉で遊んで文章を彩る。詩は私そのものになっていった。


 だからこそ書けなくなった時には胸が締め付けられるようだった。存在意義を見失った。何でそうなったの?切っ掛けはなに?私には何も分からなかった。


 そんな時、優しい高森先輩の厚意につけこんだ。私は自分でも驚いていた。そんな人間だったとは思わなかったからだ。


 私は高森先輩なら断らないと知っていた。知っていて利用したのだ。それはまるで物語に出てくる悪役のよう。


 しかも思惑通りに事は運んだ。高森先輩達と一緒にいると言葉が浮かんできた。刺激的だったし、魅力的だった。あの場所は想像力に満ちている。


 特に三上先輩は圧巻の一言だった。変幻自在に音を操り、数多のフレーズにイメージを持たせる、流れるメロディーはどんなに多くの言葉より語りかけてきて、それが高森先輩の歌声と重なると、無辺の景色が広がるようだった。


 私の自己嫌悪は加速した。三上先輩はどうしてああも多くを持ち合わせているの?眩しいくらに美しくて、輝きを見せるよう立ち振る舞う、高森先輩も吉沢先輩も、そんな彼女の事ばかり見ている。


 ずっとずっとずっと、私だってここに居るはずなのに。


 いつしか私は、誰よりも私が嫌いになっていた。そして溜まりに溜まった鬱憤を、汚泥よりもどす黒い激情をぶちまけてしまった。自分で高森先輩を利用しておきながら、利己的で嫌な奴。


 それでも高森先輩は私を追いかけてきた。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。貴方に引き止められる価値なんて私にはない、心配されると心が痛む、胸の奥が締め付けられるのだ。


 だから私は全力で逃げた。脇目も振らず走った。


 高森先輩はそれでも追いかけてきて、ついにとんでもない勢いで転んだ。私が慌てて近づくと、高森先輩はよかったと言って笑った。


 大量の鼻血を流して、体中擦り傷まみれになっているのに、高森先輩は私を気遣うのをやめない。私の酷い罪の告白も真剣に聞いてくれた。


 そして三上先輩の事も教えてくれた。私の勘違いしていた彼女の事を。


 三上先輩は勝手に人からレッテルを貼られている、ただ美しくあるだけで、そんな事があるなんて知らなかった。三上先輩は何も悪くないのに、そんな酷い話はないと思った。


 だけどそれは、私も同じことをしていた事だった。三上先輩が何でも持ち合わせていて、美しくて自信に満ちあふれていると、私は勝手にそう思いこんでいた。


 これではレッテルを貼っている他の人と何も変わらない、私はいつの間にかとても酷いことをしてしまっていた。


 三上先輩だって私と同じように悩みを抱えている、他人から与えられた印象を背負わされていた。私は、三上先輩に謝らなければいけない。


 言わなければならない事なんて一つだけだ。きちんと謝って話をしなければいけない、私は心を決めると教室の扉を開いた。


「やっぱり来てくれたね柴崎さん。入ってくれる?」

「はい、失礼します」




 三上先輩は私を待ってくれていたようだ。私を席に案内すると、そのまま向かいに座った。


「あの先輩!」


 私が謝ろうとした時、三上先輩は手を前にして言葉を遮った。


「ちょっと待ってほしい柴崎さん。私もあなたも言いたい事が沢山あるよね?だけど私は言葉選びが上手じゃない、だから私なりの方法でやらせてもらうよ」


 三上先輩はノートパソコンを操作して曲を再生させた。


 繋いであるスピーカーから音楽が流れ出す。今まで聞いた事のない曲だった。


 優しく揺蕩う旋律が私の周りを取り囲む、ゆっくりと流れる美しい川の辺りでまどろんでいると、川から音が粒となって流れてくる。


 優しくて綺麗な曲だ。でも何処か寂しくて落ち着きなさも感じる。秘めた想いがまだ底にあるのではと、深く深く聞き入ってしまう。


 もっと知りたい、もっと触れたい、そんな事を思わせてくれる曲だ。ピタッと途中で止まってしまって、私は目を開いた。


「すまない、時間が足りなくてまだ未完成なんだ。どうだったかな?」


 三上先輩の問いに私は答える。


「素晴らしい曲だと思いました。どんどん先を知りたくなるような、まだ先があるんじゃないかと思わせてくれる。そんな興味をそそられるような曲」


 私がそう言うと、三上先輩は笑顔で頷いた。


「ありがとう、そう言って貰えると嬉しい。この曲は柴崎さんをイメージして作った曲なんだ」

「そうなんですか?」

「ああ、私を一番表現できるものは作曲だからね。聞いてもらえたら、何かが伝わるんじゃないかと思ったんだ」


「だけど駄目だね、柴崎さんの事を考えていた筈なのに、途中から私の気持ちも入り込んでしまった。私が柴崎さんを知りたいと強く思ったから曲にも出てきちゃったみたいだ」


 三上先輩はそう言って照れくさそうに笑った。私は気持ちが心の奥底からこみ上げてきて思わず立ち上がる。


「三上先輩ごめんなさい!私とても酷いことを言いました!それに、あなたの事を知りもしないで勝手に嫉妬したんです!」


 私はばっと頭を下げた。三上先輩がこうして自分を伝えようとしてくれているのに、私はなんて情けないんだろう。


「柴崎さん、この曲一緒に完成させない?」

「え?」


 私は顔を上げて聞き返した。


「この曲に作詞して欲しいんだ。それと今回は私達がコーラスを入れようと思う。いつもは葦正君がすべてやってくれているけど、私はこの曲には二人の気持ちも取り入れたいと思ったんだ」


「どうだろう柴崎さん?私にあなたを教えてくれない?そしてあなたに私の事を知ってほしい」


 三上先輩はそう言って右手を差し出してきた。私は気持ちがぐちゃぐちゃで、涙がこぼれて止まらなかったけど、それを敢えて拭うことなく手を取って握り返した。


「お願いします先輩。私ももっと知りたいし知ってほしいです」


 私は感極まって号泣してしまった。子供のように声を上げて泣く私を、三上先輩は優しく抱きしめてくれた。私はそのまま、こんなに泣いたのはいつ以来だろうと思う程に泣きに泣いて、その間三上先輩の温もりを感じていた。

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