第24話
飛び出した柴崎を追って僕は走る。
出遅れた分もあるが、柴崎の足は意外と速い、僕は置いていかれながらも必死に食らいついて行く。
下駄箱も校門も、どんどん遅れていく、まともに靴も履き替える前に急いで飛び出して兎に角見失わないようにする。
「待って、待ってくれ柴崎」
僕は脇腹を抑えながら走る、体力がついたお陰で息切れはしないが、足の速さは如何ともし難い。
「柴崎…!」
僕は自分の行動を悔やんでいた。柴崎は詩が書けずに悩んでいたのを知ったのは、文芸部の部室が初めてだった。彼女のお陰でこんなに素適な音楽が出来たんだと伝えたら、喜んでもらえると思っていたのが浅はかだった。
もっと柴崎と話をしていたら、悩みを聞けたかもしれない。それを僕は浮かれて疎かにした。作詞の問題が解決したと、どこか油断してしまった。
柴崎は勇気を出して協力を申し出てくれたのに、僕がもっと気を使わなければいけなかったんだ。
後悔は尽きないが、今は兎に角柴崎に追いつかなければ、僕は柴崎の名前を叫んで走った。
「柴崎!!待って!待ってくれえ!!」
聞こえているのか聞こえていないのか分からないが、柴崎は止まらない。僕は追いつかなければと足を強く踏み出した。
「あっ!」
その瞬間思いっきり足がもつれてバランスを崩した。運動できない癖に無理したからな、そんな風に何故か冷静に考えていた。
ドシャッ!!と大きな音を立てて僕は転んだ。勢いのままゴロゴロと体が転がり、そこら中を擦りむいて地面に大の字になって止まる。
こんな事している場合じゃない、柴崎を追わなければ。僕は体を手で支えて立ち上がろうとする、顔を下に向けた途端にぼたぼたと大量に血が垂れてきた。
どうやら鼻を強く打ったみたいで、大量の鼻血が溢れ出した。構うもんかと僕は体が痛むのを無視して手で鼻を押さえると、立ち上がった。
そうしたら目の前に柴崎が立っていた。息を乱して肩を上下させている。
「よかった止まってくれたんだ柴崎」
「よくないですよ!先輩、凄く血が出てるじゃないですか!」
「大丈夫大丈夫、これくらい何とも」
僕がそう言った瞬間、手の隙間から血がぼたぼたと地面に落ちた。
「いいから来てください!手当しないと」
柴崎は僕の手を掴むと近くの公園に連れて行った。
空いていたベンチに座りハンカチを渡される。
「下むいてこれで鼻を押さえてください」
「ごめんね、弁償するから」
「そんな事気にしないで、先輩が転んだのは私のせい何ですから」
僕は言われた通り鼻を押さえる、擦りむいた所は血が出て制服が破けている、これは母に怒鳴られるなと僕は後の事を思い震えた。
「あ、私少しだけど絆創膏持ってます。いや、まずは傷を綺麗にしないと駄目か、水道ありますから鼻血が止まったらあそこで洗いましょう」
柴崎の甲斐甲斐しい世話のお陰で、鼻血も止まり傷口も洗う事が出来た。擦り傷も血が出ている所は絆創膏を貼り付けてくれて処置してくれた。
「ありがとう柴崎、助かったよ」
転んだ時の打ち身で全身は痛かったが、それでもさっきよりマシになった。
「いえ、私、ごめんなさい」
柴崎はうつむいて言う。
「何で?すごく助かったよ?」
「そっちもですけど、そっちじゃないです」
僕は真剣になって柴崎に聞いた。
「聞いてもいいかな?柴崎」
柴崎は黙って頷いた。僕は緊張で血まみれのハンカチを握りしめた。
「私、実は最近詩が上手く書けてなかったんです。理由は分からないんですけど、文集に寄せるって話が部活で出てからかもしれません」
柴崎はゆっくりと語り始めた。
「部長に何が書きたいか聞かれて、私すぐ詩を書きたいって言いました。それしか取り柄が無かったし、それしか書けないから」
「でも、他の部員の方が書き上げていく中、私はいつまでも書けなかった。元々部室でも浮いていたんですけど、それがもっと浮き彫りになって。私はもっと焦りました」
僕はあの時の部室の様子を見たから、その様子も想像がついた。柴崎は自分から声をかけていけるタイプじゃないし、過剰なまでの臆病さは少し近寄りがたく感じてしまう。
「何とか書こう書こうと原稿用紙に向かっても、言葉が浮かばなくて、それでまた焦って言葉が出てこなくて、私って何だろうって」
「そんな時先輩から声をかけてもらったんです。私、先輩と話している時は何故か言葉が浮かんできて、アドバイスもスラスラ出てきました。だからもしかしたら何か切っ掛けになるかもと思って、失礼は承知で先輩の事を利用させてもらったんです」
急に協力を申し出てきた時は確かにどうしたのかとは思ったが、そんな事情があったとは知らなかった。
「そんな、利用してくれていいんだよ?僕達も散々柴崎の力を借りたんだからお互い様」
「ありがとうございます。でも私、先輩ならそう言ってくれるだろうとも思っていました。先輩の優しさを利用したんです」
それこそ気にする事ないのに、僕はそう言おうと思ったが、柴崎に気を使わせてしまうかもと思い口をつぐんだ。
「先輩達との時間は、とても刺激的でした。あの場所は創作に満ちていて、バラバラのように見えて纏まっているようで、音が皆をつなぎ合わせていたんです」
「それであの詞を書いたのか」
パズルという題は柴崎から見た僕達の姿だったのか、尚更あの詞はよく出来ていたと思えた。それ故に気になる。
「何であんな事言ったの?」
適当に書いたと柴崎は言ったが、僕にはそう思えなかった。衝動のままに書いていると言った方が正しいような気がした。
「私書けて嬉しかった。何も考えずに書いたけど、良い物が書けたと思いました。でも、これは私の問題が解決した訳でなく、先輩の厚意を利用して書いた物で、同時に罪悪感と嫌悪感に襲われました」
「そんな時、三上先輩が私が書いた詞を見つけたんです。私は恥ずかしくなりました。こんな物を良いと言ってくれる事を素直に受け取れなかった」
あの時の過剰な反応は慣れていないといだけでなく、そういった事情があったのか、僕はそう思った。
「私、三上先輩が苦手です。美人で自信に満ちあふれていて、積極的だし、私に持っていないもの全部持っている。私はこんなにも卑怯で卑屈なのに、近くに居るともっと惨めになる」
「優しくされる程、私はもっと惨めな気持ちになりました。三上先輩に親切にされる程、私は勝手に自分の気持ちが深く沈んでいくようでした」
ここに来てようやく吉沢の言っていた事が分かった。愛歌先輩の態度に問題はなくて、逆にそれが柴崎を追い詰めていた。親切にした事が柴崎の心を蝕んでしまった。
「だからあの時、三上先輩から褒められて、私は何か心の中でぷちんと糸が切れたように感じました。そこからは言いたくもない事を、言ってはいけない事を言ってしまいました。それで頭が真っ白になって飛び出したんです」
そして今に至る、そういうことだ。僕は柴崎の話を聞き終えると、スッと立ち上がった。
「柴崎、喉乾かない?僕買ってくるから何がいい?」
僕は近くにあった自販機を指さした。柴崎は戸惑いながらも、いつものがあればと言った。
「分かったミルクティーね」
僕は買ってきた缶を柴崎に手渡して隣に座る。場所こそ違えど、状況はいつもの場所と同じだ。
「柴崎、さっきの話で僕はどうしても訂正したい所がある」
「え?」
「愛歌先輩は自信に満ちあふれてもいないし、そんなに積極的なタイプでもないよ。僕は柴崎が言うほど、二人の間に違う所があるとは思えない」
僕の言葉が信じられないと言いたげに柴崎は僕の顔を見ている。
「言っておくけど、慰める為に言っているとかそういう理由じゃないよ?本当にそう思うから言っているんだ」
「僕から言うのはあまり良くないんだけど、愛歌先輩は友達がいない、僕達以外の誰かと親しくしている所を見たことある?」
柴崎は首を横に振った。
「僕もない、だけど先輩は学校の有名人だ。それは美人だからだって、僕の同級生は言っていた。知ってるかな三上チャレンジって」
「あ、何か聞いたことあります。告白しても全て袖にされるって」
「そうそう、だからついた名前が三上チャレンジ。誰が最初に愛歌先輩を落とせるかって、皆は好き勝手に言っている」
「そのせいで先輩は女子からは疎まれて、男子からは距離を置かれてる。愛歌先輩の事を高嶺の花って言うんだろうけど、花が望んで高く咲いた訳じゃないと思わない?」
話してみると愛歌先輩は普通の人だ。確かに抜きん出た才能があるけど、近づき難い雰囲気もなければ、話しづらい人でもない。独特なペースで戸惑う事もあるが、そんなものは個性の一つであって彼女のすべてではない。
「愛歌先輩は好きな事や興味のある事に一直線なだけで、長所も短所もある同じ人だよ、僕とも柴崎とも何も変わらない」
柴崎は僕の言葉を聞いて俯いた。
「柴崎、一度愛歌先輩と話してみない?」
「え?で、でも」
「大丈夫、さっきの事も僕が一緒に謝るから。話してみないと柴崎の思いは伝わらないよ」
素直な気持ちを話して、自分の事も相手の事も伝え合わなければ始まらない。僕も些細な切っ掛けがなければ先輩と曲作りや歌を歌う事もなかった。吉沢やクラスの人と仲良くなれる事もなかった。
いつだって切っ掛けやチャンスは沢山あるけれど、それを掴めるかどうかは分からない、だけど掴もうとしないと掴めないのは分かる。
それは今までの経験が僕に教えてくれた事だった。
「ね?話してみようよ。柴崎、伝えてみなきゃ分からないよ」
僕は柴崎に手を差し伸べた。柴崎は迷いとためらいを表情に浮かべながらも、おずおずと僕の手を取った。
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