第16話

 放課後、僕はいつものように空き教室に向かった。


 愛歌先輩はすでに居て、ノートパソコンで何やら作業をしていた。僕はノックをして教室に入る。


「おや葦正君、ごめんね気が付かなくて」

「いえ、そんな。何かありましたか?」


 先輩は難しそうな顔でパソコンの画面と睨めっこをしていた。絶対作曲中ではない事は分かる。


 作曲中の先輩は実に楽しそうだ。体を弾ませ唇を尖らせ、歌うように踊るようにしている。難しそうに顔を顰めている事は絶対にない。


「それがね、動画のコメントにこんなものがついていてね」


 先輩は画面をこちらに向ける、僕がそれを覗くとこんな事が書かれていた。


「曲はいいかもしれないが、録音環境が悪いのか雑音が気になる。折角の歌声も台無しだな」


 僕はそれを読んで先輩の顔を見た。


「悔しいが私もその通りだと思う、出来うる限りの手は尽くしているのだが、環境はどうしたって悪い。機材だって決して良い物ではないし」


 結局は今も録音は教室で続けている、なるべく人が居ない時を見計らっていても、学校内だけでなく外からの雑音だって入ってくる。


 僕には分からないが、ミックス作業を行っている先輩としては悩みのタネであったのだろう、どうしても技術的な事では僕では力になれない。


「すみません先輩、僕はこういった事ではあまり力になれそうにないです…」

「いや葦正君だけじゃない、これは私にもどうする事が出来ない事だ。だからそんなに気に病まないでくれ」


 先輩はそう言って苦笑する、確かに今の僕達にはどうする事もできなさそうだ。今ある物で何とかやっていくしかないだろう。


 折角人気も出てきた所なのに、少し水を差されたような気分だ。それに映像で協力してくれている人達にも申し訳ない、あれから兄は色々な人たちを集めてくれてバリエーションも豊富になった。


 曲だけでなく映像のファンという人もいるだろう、そう考えるとやるせない気持ちになる。


「それより葦正君、君の方こそどうしたんだい?何かあったような顔をしているが」

「え?そうですか?」


 僕は驚いた。先輩は鋭い人だとは思っていたが、僕の何を見たら分かるのだろう。それとも僕は分かりやすい顔をしているのかもしれない。


「先輩、僕って分かりやすいですか?」

「どうだろう?私は葦正君の事しか分からないから何とも言えないな」


 さらっと言われるが、先輩には特別な感情があって言っている訳ではないだろう。僕はただでさえだらしのない顔を、改めて引き締め直して言う。


「実は今日教室でですね…」




 教室であった出来事を先輩にすべて話す。


 少しとは言え先輩も吉沢と面識がある、興味深そうに聞き入っていた。


「ふーむ、あの時の彼がね」

「ええ、それで僕何だか気になっちゃって。このトラブルと合わせて、あの時のコンビニの事もあるじゃないですか」

「うんそうだね、私もそこが気になったよ」


 今日の事も尋常ではなかったが、あの時の事もただ事では無さそうだった。


「別に親しい仲でもないのですが、こう、少しでも関わりを持ってしまった以上何だかこのままってのも気が引けてしまいまして、それが多分引っかかってるんだと思います」


 親しい仲どころか、今まで僕の声の事でからかってきた相手だ。因縁めいた間柄と言ってもいい、だけどあの時の吉沢の顔を見たら、どうしてか放っておけない気がした。


「私としてもあの出来事を目にした手前無視するのもどうかと思うな、お節介は承知の上で少し探ってみようか?」


 先輩はあくまで僕に決めさせてくれるようだ。もしかしたら僕と吉沢の間に何かしらある事を察したのかもしれない。


「そうですね、協力してもらえますか?」

「勿論だとも、まずは情報収集からだね」


 僕と先輩がそう結論を出した所で、立花先生が教室に入ってきた。


「やあ二人共、調子はどうだい?」

「先生、こんにちは」


 挨拶を交わした後、先輩が話を切り出した。


「先生少し聞いてもいいですか?」

「どうかしたかい?」

「実は私達、近くのコンビニでこの学校の生徒が絡まれている所を見たんです。四人組で、更にその人達もこの学校の生徒でした」


 先生の眉がぴくりと動いた。何か知っているのだろうか。


「葦正君と同クラスの生徒でしたので、見過ごすわけにもいかず。その場は穏便な方法で解散させました」

「ちょっ、ちょっと!危ないことはしてないだろうね!?」


 先生が慌てて聞くので、僕も口を挟んだ。


「だ、大丈夫ですよ。先輩がここでたむろしていては人に迷惑がかかるって言っただけです。人の目もありましたし、その場は何事もありませんでした」


 僕の言葉を聞いて先生はため息をついた。


「だとしてもだ、あまり自分達だけで解決しようとしないでくれ。話が通じない程熱くなっている事もある、怪我してからでは遅いんだ。そういう時は大人を呼びなさい」

「それについては申し訳ありません。先生の仰る通りです。今後そのような機会があれば必ずそうします」


 先輩のすらすらと出てくる謝罪に乗っかり僕も謝罪を重ねた。


「まあでも、君たち二人なら無謀な事はしないというのも分かっているよ。しかしそうか、もしかしたら何かもっと深い事情が…」


 先生はぶつぶつと呟いて考え込み始めてしまった。これは何か知っているなと思い先輩に目配せすると、先輩も僕の目を見て頷いた。


「それでですね、今日葦正君のクラスで何やら騒ぎがあったそうで、先程葦正君からその事について聞いていたんです」

「その騒動の当事者が吉沢で、更に言えばコンビニで絡まれていた張本人です」


 僕と先輩は畳み掛けるように言った。


「もしその事が関係しているのなら、私達が目撃者ということになります。詳しい状況を知っていますので、ご協力できる事があれば仰ってください」

「吉沢に絡んでいた生徒は僕と同じ学年のネクタイをしていました。名前は分かりませんが顔は覚えています」


 先生は僕達の勢いに押されるように、仕方がないかと言って少しずつ話し始めた。




「あのな、生徒間での事とは言え個人情報だし、プライベートな事だから他言するんじゃないぞ。僕は二人なら大丈夫だと思うけど釘を刺しておくからね」


 それは勿論だ。僕も先輩も頷いて同意する。


「まあクラスでの出来事はいずれ話が広がるだろう、他の生徒が見ていたからね、先生方が介入しに行ったのも、現場を見ていた生徒からの話だったそうだ」


 それについては先生から聞くまでもないと思う、人間は噂話が好きだし、思春期の口の戸はガバガバだ。


「僕も詳しい所までは知らないが、始めはただの口喧嘩だったそうだ。あまり素行の良くない生徒が絡んでいって、売り言葉に買い言葉さ。それだけなら多感な時期の生徒にはよくある事だが、問題は止めに行った後さ」


 そこからが騒ぎの一番大きくなった所だった。


「先生達の介入でお互い強制的に引き剥がされたのだが、片方の生徒はまだ懲りずに挑発したそうだ。ニヤニヤと笑いながら軽音部のネタを知っているぞって」

「軽音部のネタ?」


 それだけ聞いても何の事だかさっぱり分からない、だが。


「その挑発を聞いた途端に片方が激怒したそうでね、先生達が止めるのを振り切って挑発してきた生徒を殴り飛ばしたそうだ。殴られた方は気絶しちゃって、殴った方は泣き出す始末で、実に混沌としていたそうだよ」


 あの怒声と音、先生の話に佐藤の話、それらを組み合わせて考えると一つの推論が浮かび上がる。


 爪弾きにされた坂田は、残った少数の取り巻きを連れて過去の取り巻き相手にちょっかいをかけていた。


 その取り巻きの中には吉沢が居た。今回坂田の対象になったのは吉沢だった。切っ掛けまでは分からないが、坂田達が挑発して口論に発展する。


 それがヒートアップしてきたので周りの生徒はそこから離れた。ある人はそのまま野次馬になり、ある人は騒ぎを収める為に教師を呼びに行った。


 騒ぎに駆けつけた教師達は熱くなった生徒達を物理的に離した。頭を冷やさせて事情を聞く為だろう、しかし坂田は懲りずに吉沢を挑発した。


「軽音部のネタを知っているぞ」


 これを聞いた吉沢は怒りの限界に達したのだろう、大人の力を振り切ってまで坂田を殴りつけた。よほど腹に据えかねたのだろう、感情の爆発からか吉沢も泣き出してしまった。


 事態の収集に追われた教師達は、兎に角気絶した生徒は保健室に運びだした。


 相手を殴りつけ泣き出す吉沢の様子は明らかに変だ。何か事情があると考えるのが当たり前だろう、そこで担任の遠藤先生が吉沢を連れて行ったのであろう。


 騒動についてはこんな所だろうが、一つ疑問が残る。僕はそれを先生に聞いた。


「軽音部のネタって何ですかね?」


 吉沢が怒り出した原因はそこにある、言わば逆鱗だ。


「そこが問題なんだ。僕がこの話を詳しく聞いている理由でもある」


 そう言えば音楽の教師である立花先生が、ここまで事情に詳しいのはちょっと変だ。後に聞かされたとかなら分かるが、この騒動は先程起きた出来事だ。


「僕は音楽系の部活の殆どを見ている、と言っても指導したり監督する訳じゃない。音を出すって事は無用なトラブルを招く事もあるからね、僕がいるってだけでも役に立つ」


「大体の部活は問題ないんだけど、軽音楽部だけはちょっとね、あまり活動的でもないし、素行もよろしくない。そんな彼らが最近ある人物とよく一緒に居るのが目にされているんだ」


「それが件の吉沢海人くんだ。偶然にしては出来すぎているね」


 先生から吉沢の名前が出た時、僕は心臓がドキリと大きく跳ねた気がした。先輩が先生に聞く。


「先生、軽音楽部の人数は?」

「四人、そして全員二年生だ」


 先輩がそれを聞いた理由は分かる。あの日コンビニで吉沢に絡んでいたのが四人組、そして同学年、更に吉沢が触れられて欲しくない何かがそこで起きたのだろう。


 思っている以上に厄介な事かもしれない、だけど知りすぎてしまった今引くことはない、ここで彼を見捨てる事は僕にはもう出来ない。

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