第13話
愛歌先輩との駅前の待ち合わせ場所に自転車を漕いで向かうと、制服姿ではない、私服姿で手に紙袋を下げた先輩が待っていた。
学校に居る時は、長い黒髪を後ろに一纏めにしている。だから髪を下ろしている姿を見たのは初めてだ。
更に言えば私服を見るのも勿論初めてだった。深い紺色のニットのトップスに、丈の長い白いスカートをはいている、遠くから見ているだけでも美しく目立つ。
スッと背筋の伸びた立ち姿も、まるで雑誌に出てくるモデルを見ているかのようだ。正直すごく声をかけづらい。
しかし先輩は僕の姿を見つけたようで、手を振ってこっちだと示してくる。無視なんて絶対に出来ない、僕は覚悟を決めて先輩の元へ向かった。
「では行こうか葦正君、ここから遠いのかい?」
「いえ、そこまで遠くないです。ちょっと歩きますが」
駅へ向かう人達の視線が先輩の方を向いているのが分かる、そして僕の方にも。
不釣り合いな二人が並んで歩いているのを見て、恐らくどんな関係性だと訝しんでいるのだろう。僕はさっさと人の居る場所から離れたかった。
僕は自転車を手で引きながら、先輩は僕の隣を歩いた。先輩はまったく気にしていないが、すれ違う人は大体振り返っている。改めて僕は恥ずかしくなった。
「葦正君?」
「え?あ、は、はい何ですか?」
「先程からキョロキョロと忙しないがどうかした?」
僕は不味いと思った。どう説明したものか分からない。
「あ、あの、あのですね。先輩の制服姿しか見たことなかったので、髪を下ろしているのも初めて見ましたし、それで緊張と言いますか、ええと」
我ながらキモいなと思いながらも言葉を必死で探す。嘘は言っていないのだが、説明にもなっていない。
「そういえばそうだね、こうして学校外で制服以外の格好して会うのは互いに初めてだ」
僕はとんでもなく油断していて、ジャージ姿で出てきてしまった。ただでさえ美人の隣に立つような人間でないのに、余計に目立つ。
「こんな格好ですみません…」
「何か問題があるかい?」
先輩は不思議そうな顔をして僕を見た。これは本気で何が問題か分かっていない顔だ。先輩が気にしないのならいいか、僕はそう思って割り切った。
「問題ないです」
「だろう?しかし少し恥ずかしいとは思うね」
やばい問題ありか?僕は額にぶわっと冷や汗をかいた。
「私はどこか変な所はないだろうか?こうして友人に私服を披露する事はあまり無いんだ。髪も特に何かしている訳ではないし」
そっちか、僕は一気に安心した。
「いえ先輩は素敵ですよ。遠くから見たらモデルかと思いました」
「え?」
「え?」
思わずとんでもない事を口走ったような気がする、引いた冷や汗が再度吹き出す。
「そ、そ、そうかい?そう言われると照れるな、あ、ありがとう」
「あ、あ、あ、いやそのどういたしまして」
もう僕はこの空気感に耐えられなくなってきた。先輩はうつむいて髪をいじっている、一刻も早く家につきたい、僕はガチガチになりながら歩き続けた。
家について玄関の扉を開く、ただ帰宅するだけなのにとてつもなく疲れた。
「どうぞ先輩、上がってください」
「お邪魔します」
先輩を招き入れてスリッパを用意する。客人にスリッパを出すのは初めてだな、そんな無駄な事を思っていたら兄が二階から下りてきた。
「おうい葦正、連れてきたか?」
「葦正君のお兄様ですか?」
兄は先輩の姿を見て目を見開いて固まった。今だけ僕は兄の気持ちがよく分かる。
「初めまして、私葦正君の通っている学校の三年生で、三上愛歌と申します。いつも葦正君にはお世話になっています。こちらよろしかったらご家族で召し上がってください」
「これはご丁寧にどうも、兄の昭忠です」
先輩は丁寧な挨拶をして持ってきた紙袋を兄に差し出す。固まっていた兄は再始動してそれを受け取り、先輩を家に上げた。
リビングに通して椅子に座ってもらう、兄は何故か僕の首をがっと掴んだ。
「三上さん、ごめんちょっと葦正借りてくね。ちょっと待ってて」
僕は兄に引きずられて廊下に連れ出された。
「お前どういう事だよ!あんな美人連れてきやがって!馬鹿野郎!」
「一体何に怒ってるんだよ兄ちゃん」
兄の手を払い除けて僕は言う。
「お前が女子連れてくるってだけでも驚きなのに、俺は天地が引っくり返ったような衝撃を受けたぜ。あんな美人とどうやって知り合ったんだよ」
「いや説明が難しいんだけど、兎に角兄ちゃんが思ってるような関係じゃないよ」
「んなこたぁ言われなくても分かってるよ、お前何かやばい事やったりしてないよな?」
まったくもって失敬な兄だ。
「そんな事いいから!取り敢えず話を聞いてくれよ。絶対驚くから」
「これ以上驚く事があんのか…?」
ぶつぶつと呟く兄の背を押して僕はリビングに戻った。戸惑う先輩に何でもないと伝えて、兄を無理やり席につかせた。
僕のスマホにイヤホンを繋げて兄は僕たちが作った曲を聞いていた。
先生と同じように目を閉じ深く聞き入っていた。同時に顎に手を置いて何か考え込んでいる。
曲を聞き終えた兄はイヤホンを外すと先輩に向かって聞いた。
「これを作曲したのが三上さん?」
「はい、そうです」
「それで歌ってるのが葦正?」
「うん、そうだよ」
「成る程こりゃ驚いた。ここ最近で一番の衝撃だ」
兄は僕にスマホを返して言った。
「でしょ?先輩の曲は凄いんだ!」
僕は得意げになって言った。いつの間にか先輩の曲が誰かに認められると僕も嬉しくなっていた。
「確かにそれも驚いたが、俺はどちらかと言うとお前に驚いたんだよ葦正」
「え?僕に?」
やっぱり先輩の曲に比べて僕の歌声は劣って聞こえたのだろうか、僕はちょっと落ち込んで黙る。
「ああ落ち込むな葦正、俺はお前の成長に驚いたんだよ。凄いよお前、三上さんの曲に負けてない歌声だ」
「ですよねお兄様!」
今度は先輩が得意げになって身を乗り出した。
「お前にこんな才能があったなんてな、曲作りに誘ってくれたのは三上さん?」
「はい、私が葦正君の声に惚れ込んだんです」
先輩のまっすぐな物言いに僕は赤面する。
「ははは、三上さんは真っ直ぐで気持ちがいいね。葦正を見つけてくれたのが君でよかったよ。こいつ声の事で昔から悩んでたからさ」
「はい、葦正君から聞きました」
兄は台所に立ってお茶を入れ始めた。
「声なんて自分でどうにか出来るものじゃない、だけど人ってのは残酷でさ、小さな差異でも気に入らなかったり、異物扱いしたりしちまう。葦正に否はないってのに酷い話だよな」
「でもさ、人と違うってことはそれだけで大きな才能にも変わるんだぜ。それに驕らない人ならな、お前の歌声特別だよ、女性声とも男性声とも聞こえるような不思議な歌声、聞き心地の良い誰とも似つかない唯一無二の声だ」
僕は兄の言葉に泣きそうになった。拳を握りしめ膝に強く押し付ける。
「三上さんは作曲はどうやって覚えたの?」
兄が先輩にお茶の入ったマグカップを差し出して聞いた。
「独学です。頭の中で音を鳴らして、パソコンのソフトで形にするんです」
「マジかよ、凄いな本当に。三上さんの曲すごい完成度高いよ、これがオリジナルだなんて信じられない程に」
兄はよしと手を叩いて言った。
「これが埋もれるなんて勿体ない、俺に協力できる事があれば協力させて欲しい、できる限り力になるぜ」
兄の言葉に僕も先輩も喜んだ。心強い味方がまた一人増えた事が喜ばしかった。
「ありがとうございますお兄様」
先輩が立ち上がって頭を下げる、兄は頬を掻いて困ったような顔で言った。
「三上さん、そんな仰々しくしなくていいよ。俺もこんな面白い事に噛ませてもらえるなんて思っても見なかったからさ」
そんなやり取りをしている内に母が帰ってきた。知らない女性の靴が玄関に綺麗に並べてあるのを見て悲鳴を上げた。
「ちょっとちょっと!昭忠と葦正のどっちが連れてきたの!?まあまあまあお母さんこんな日が来るなんて思わなかったわ!」
玄関で喚く母に僕ら兄弟は揃って頭を抱えた。
「賑やかなお母様ですね」
先輩はそう言ってにこやかに笑うが、この後先輩の姿を見て一段と声を張り上げる母を抑えるのに、僕と兄は必死だった。
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