第11話

 兄から聞き取った動画の投稿方法を聞いて、急いで愛歌先輩にメッセージを送る。


 その様子を見ていた兄は不可解な面持ちで僕の顔を覗いて言った。


「なあ、何しようとしてるか分からんが、投稿するにしても色々と注意しろよ?個人情報とかさ、ネットリテラシーとか大丈夫か?」


 兄はハラハラとしながら僕の周りをうろつく。


「流石に授業とかで習ったことあるから大丈夫だよ、それよりもし話が進められるようだったら兄ちゃんにも聞いて欲しいものがあるんだけど。また忙しくなる?」

「あ、そうだな。まあ葦正が俺に頼み事するなんて珍しいからな、連絡くれたら都合つけてやるよ。その代わり面白いんだろうなそれ」


 面白いか、それについては自信がないが、確実に言える事が一つある。


「聞いたら兄ちゃんは絶対に驚く、それだけは確かだよ」


 先輩の曲を聞いて驚かない人はいない、僕は自信をもってそう言える。




 メッセージを見た先輩が電話をしたいと送ってきたので、僕は自室に戻って連絡を取った。


「もしもし先輩?」

「ああ、それでどういう事なんだ?君の提案を直接聞きたい」


 確かに文だけでは伝わらないだろう、僕は兄から聞いた事を掻い摘んで説明する。


「僕の兄は大学で映像について研究しているらしいんです。僕には内容はよく分かりませんが、弟から見てもすごい熱意です」

「ほう、それは素晴らしいな。一度ご挨拶に伺いたいものだ」


 それはちょっと遠慮したいと、僕は言いかけた言葉を飲んで続ける。


「それで今日偶々兄が作った映像を見せてくれたんです。大学の課題等では無く、仲間内で趣味で制作した物らしいのですが、贔屓目でなくとても出来が良かったんです」

「実に興味深い、見せてほしいな。お兄様に頼めないだろうか?」

「それは…また頼んでみます。それで、その映像は課題でも何でもないのでお蔵入りなのだそうです。だけど勿体ないから動画配信サイトに投稿する事にしたそうです」


「そこは兄が言うには趣味と好奇心の坩堝だそうです。自由に発想出来る場所だそうです」


「先輩の曲は全部先輩のオリジナルですよね、そして僕の歌が付け足された物はもっと新しいオリジナルになる、発表する場としてはうってつけじゃないですか?」


 僕は思いついた事を全部吐き出した。提案しておいて厚かましいが、正直僕は不安で、断って欲しいという気持ちもあった。


 だがそれ以上にドキドキもしている、何か未知の場所に踏み出す一歩前のような、小さな時分に好きな駄菓子の袋を開ける時のような、そんな高揚感も確かに感じていた。


 きっと面白い事になる筈、そう思っていた。先輩からの返事をドキドキしながら待つ、電話の向こうでどんな表情をしているだろう、どんな行動を取っている、そんな事を考えながら待つ。


「葦正君…」

「はいっ!」


 先輩が僕の名前を呼んだ。


「いいじゃないか!私には思いもつかなかった事だ!やってみよう!」


 僕は小さくガッツポーズをして答えた。


「やりましょう!先輩!」




 いつも通り放課後は空き教室に集まっていた。先輩は収録した僕の歌と曲を合わせる作業をしていて、僕はいつものボイストレーニングを続けている。


 作業の邪魔にならないかと先輩に聞いたが、むしろ発想と作業が捗ると言われて、その言葉に甘える事にした。


 その言葉を裏付けるように、先輩は作業しながら時たま僕にアドバイスをしてくれたり、オーバーワーク気味になると止めに入ってくれたりする。


 耳にイヤホンを付けて曲と歌のミックスをしつつ、僕の練習も聞きながら、どれくらい練習しているかの時間まで把握していた。


 僕は一度休憩の為に高校内に設置されている飲み物の自販機に向かった。炭酸系は避けてスポーツドリンクを買う、喉を酷使するのでなるべく傷つけないように注意していた。


 ベンチに座ってぼんやりと空を眺める、そして何となく先輩の事を考え始めた。


 先輩は兎に角集中力が高い、そして好きな事や興味のある事に対しては並々ならぬ能力を発揮する。しかしその分他の事は疎かになりがちで、人間関係が円滑に進まないのも、自分には出来る事が相手に出来ない事に理解が及ばないからだ。


 先輩の興味の幅は限られている、そしてそれに当てはまらない人や事象にはとことん疎い、それは三上愛歌という人間だった。


 暫く一緒に過ごしていて僕が知った先輩像だった。本人にも伝えたが中々に的を得ているらしい。


「葦正君は人をよく観察出来ているな、それは凄いことだ」


 こう伝えられて褒められた。先輩にも自覚があるらしい、だけどどうしても変えられない根っこでもあると言っていた。


 僕もそれは変える必要がないと思う、これは先輩の個性で唯一無二だ。誰が何と言おうとも、僕はその方が先輩らしいと思う。


 ちょっとずつでも、先輩と僕の仲は近づいて来ている気がした。僕の自惚れかもしれないが、それでも出会った当初よりスムーズに話が出来ている。


 僕の歌声が先輩の役に立てばいいなと思い、休憩を終えて立ち上がろうとした。すると座った時には気が付かなかったが、ベンチの上に本が置かれていた事に気がついた。


 誰かの落とし物だろうか、リボンの端の様な物がページの間に挟まれている。恐らく栞だろう、読んでいる途中で置いてい忘れてしまったのか。


 ブックカバーは着けられていない、手にとって見てみるも、バーコードやラベルが貼り付けられていない、どうやら学校の図書館の物でもなさそうだ。


 望み薄ではあるが、名前が書かれていないか表紙を開いて確認する。やはりその類の物は書き込まれていなかった。


 人の持ち物をこれ以上勝手に見るのは忍びない、取り敢えず遺失物届けに持ち込もうと立ち上がり移動しようとしたら、背後から声をかけられた。


「あ、あの!すみません!それ!」

「え?」


 語気は強めだが随分控えめな声量だった。振り返ると一年生を表す色のリボンタイをした女子が居た。


 身長が低く、髪は短めのボブだが目を隠すように前髪が長い、眼鏡をかけているので余計に目を隠しているように見えた。


「その本!わた、私のです。か、かえ、返していただけないでしょうか?」


 下級生にしたって随分遜った物言いをする子だ。でも持ち主がすぐに見つかって良かった。


「勿論返すよ、持ち去ろうとしたように見えたのならごめん。落とし物かと思って届けようかとしていたんだ」


 僕の言葉を聞いて、目の前の子はわなわなと震え始めた。何事かと思っていると、突然勢いよく頭を下げて声を張り上げた。


「あ、あ、あ、あ、あ、そそ、それは失礼しました!親切にしていただこうとしている方に対して何と失礼な態度を!ももも、申し訳ありません!」


 先程の控えめな声量は何処へいったのか、大声を張り上げて何度も頭を下げる様子に、何事かと周囲がざわめき始めた。


「ちょ、ちょっと!落ち着こう!ね?別に怒ったりしてないからさ」

「ででで、で、でもお」

「兎に角謝るのはやめて!ね!お願いだから」


 頭を下げて謝る下級生に、頭を下げて謝るのを止めるように頼む上級生と、何だか訳の分からない構図になってしまった。




 ベンチに一度座らせて落ち着かせる、自販機で甘いココアを買ってきて手渡した。


「あ、あ、あ、ありがとうございましぅ!」


 お礼一つ言うのにも慌てて噛んでいる、相当なあがり症なのだろうか。


「落ち着いた?」

「あ、はい、大分落ち着きました」


 両手でココアの缶を包んで飲み込む、やっと落ち着いてくれたようで一安心した。


「僕は二年生の高森葦正、君は一年生だよね?」

「は、はい、そうです。柴崎文乃しばさきあやのって言いますです」


 柴崎さんは両手で何度も何度も缶を傾けて、回数を分けてココアを飲む。その様子が何だかリスやハムスターの様でちょっと面白い。


「柴崎さんは本が好きなの?」

「え?」

「この本大切な物なんでしょ?何かすごい読み込んであるし」


 本は何度も開かれ閉じられを繰り返されたのか、少し傷んでいた。だから最初図書館の本かと思ったのだが、個人の持ち物であるなら何度も読み返された本は大切な物だと思った。


「そう、ですね、本は好きです。この本は、初めて母から買ってもらった本で、今でも読み返すんです」

「そっか、何かいいね。そういうのって」


 僕は素直にそう思う、先輩の曲に対する情熱や、それを大切に思う気持ち等。僕も最近やっとそれを分かるようになった気がする。


「そ、そうですかね?えへへ」


「あ、あの、私後輩ですから呼び捨てで良いですよ高森先輩」


 僕はおっと思った。後輩から先輩と呼ばれる経験は実は初めてだ。普段愛歌先輩の事を先輩と呼び親しんでいるので、ちょっとむず痒い。


「そっかじゃあ柴崎って呼ばせてもらうね」

「は、はい!へ、へへ」

「ど、どうしたの?」

「あ、わ、私先輩の知り合い出来たの初めてでして、な、なんかちょっと嬉しくって」


 そう言うと柴崎はあたふたと手を動かした。


「し、失礼でしたかね!?」

「いやそんな事ないよ、僕も後輩の知り合いが出来たのは初めてだから嬉しいよ」


 僕たちはお互いにへらへらと笑顔を向けた。少し間抜けな姿だったが、知り合いが増えるのは世界が広がったように感じて嬉しい。


「じゃ、じゃあ、私はこれで!高森先輩!よ、よかったらまたお話しましょうね!」

「あ、ああ分かった。楽しみにしてるよ」


 柴崎は慌てて駆けて行った。途中何度か躓いて危ないなと思いながらも、僕はその姿を見送った。


 そろそろ僕も練習に戻ろう、ペットボトルをゴミ箱に捨てて僕は愛歌先輩の待つ教室に戻っていった。

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