第10話
いよいよ先輩と作り上げた歌を完成させる時が来た。
収録する為の機材は立花先生が伝手を使って貸し出してくれた。場所は学校の教室で、細かい雑音等が入ってしまうだろうが、まずはやってみなければ始まらないと、愛歌先輩と先生と僕は話し合って決めた。
先輩が今回作曲したタイトルは「約束」だった。
曲の始まりは少しだけゆっくりと暗く重い曲調で、しかし曲の盛り上がりにかけて段々とポップな高まりを見せていく、最高潮に達すると冷水を浴びせるようにまた始まりに戻される、そして今度はサビまでどんどん勢いを加速させて盛り上がりきって終わる。
メロディーは何度も聞いて頭の中に叩き込んだ。先生の指導のお陰で、段々と声量も大きくなってきた。
先輩の曲は素晴らしかった。単体でもいいと思える程に、しかし今の僕はそう思わない、ここに歌声を重ねる。そうしてやっとこの曲は完成すると思っていた。
先輩と先生が機材をセットしている間、僕は何度も歌詞を確認した。唇を震わせるリップロールも長続きするようになってきた。
「準備は大丈夫そうだね」
いつの間にかセットの終わった先輩が僕に話しかけてきた。
「ええ、いつでもいけます」
「こっちもいつでも大丈夫だ。一発で決めようと思うな、失敗してもいいと大きく構えてな」
先輩の励ましの言葉で、僕は更にやる気が湧いてきた。
「頑張ります。任せてください」
先輩は僕の言葉に笑顔で頷くと、隣に座って話し始めた。
「この曲は、葦正君と私の始まりを想って作った。自画自賛になってしまうが、納得のいく出来のものだと思う、だが今のままでは画竜点睛を欠いている。君が命を吹き込んでくれ」
僕の肩を叩くと先輩は機材の方に戻った。僕は気合を入れ直すとマイクの前に立った。
ヘッドホンを装着して先輩の合図を待つ、先輩は僕の様子を伺って、問題ないと確認するとゴーサインを出した。
流れてくる曲は心地よく頭の中に響いてきた。このままうっとりと聞き入ってしまいそうな程だ。
でも僕は、先輩の描いた竜に瞳を入れて飛び上がらせねばならない、その為に準備と練習を重ねたのだから。
僕は歌い始めた。
全身が震え脳が痺れるようだった。緊張で手と足が汗でびちょびちょなのが分かる。
でも声を出す程に何だか言いしれない快感が、僕の体を走る気もした。夢中で歌っている内に、曲と声と歌が僕と一体化していく様な、そんな不思議な感覚。
途中から音が外れているかとか、メロディーがどうかだとか、そんなものはどうでも良くなってきた。ただこの楽しい時間が終わって欲しくない、音の中で自由に泳ぐそんな時間がただ続いていて欲しい。
そんな事を思っていたら、僕はもう次に歌うメロディーがないことに気がついた。ハッとして目を開くと、先輩が両手で大きな丸を作ってこっちを見ていた。
「愛歌先輩、立花先生、どうでしたか?」
僕は録音を終えてすぐ二人の元へ駆け寄った。すると先輩は突然僕に抱きついてきた。
「な、な、ななな、何を!?」
「葦正君!最高だった!!」
先輩は僕に抱きつきながらぴょんぴょんと飛び跳ねる、困っている僕を見かねて、先生が僕から先輩を剥がしてくれた。
「ほらほら三上さん、高森君が困っているよ」
「え?ああ、すまない葦正君。でも本当に良かったよ、見事に瞳を足してくれたな」
先輩が拳を突き出すので、僕もそれに応えて拳を作って差し出す。それをコツンとぶつけると何だか嬉しくなって二人共笑った。
「僕も聞いていたけど、本当に良かったよ。こうして完成に立ち会えた事をお礼したいくらいだ」
「本当ですか!?」
先輩に褒めてもらうのも嬉しかったが、先生からお墨付きを貰えたのは格別に嬉しかった。僕が何度も上手くいかない時に諦めずに指導してくれた。それが実った気がして余計に嬉しく思えた。
「後は録音した歌と曲を合わせて完成だね」
「はい、ここまで出来れば後は私が」
「出来そうかい?僕は流石にそこからはちょっと分からないんだけど」
「まあ何とかやってみます」
先輩と先生が相談をしている、僕は全然話に入れないので買ってきたお茶で喉を潤した。
終わった。そう思うとどっと体に疲労がのしかかる。歌を歌うというのは結構体力を使うものだ、もっと体力をつけないと駄目かもしれないなとそんな事を思っていた。
「それで、曲が完成したらどうするんだい?」
「え?」
先生の言葉に僕と先輩は同時に声を上げた。
「まさか考えてなかった?」
先輩が僕の顔を見る、僕は必死に手と首を振って何も考えていないとジェスチャーする。それを見た先輩も苦笑いを浮かべた。
「考えていませんでした」
またしても僕と先輩は同時に声を上げた。
先生が呼ばれて出ていった後の教室で先輩と二人悩んでいた。
「完成させる事に夢中でどうするかまでは考えてなかったな」
「僕もです。いつもはどうしていたんですか?」
「私は曲を完成させて満足していたから、特にその後の事は考えていなかった」
要は作りっぱなしだったのか、あれだけの作品が埋もれているだけだと思うと、すごく勿体ないと思った。
「どうします?今回完成させた曲は?」
「ううん…」
「僕は先輩が満足するのならそのままお蔵入りでも構いませんが」
僕は本心からそう思っていた。それだけ今回の出来事には満足出来たのだ。これ以上何かを望むのは少し高望みにも思える。
「しかしこれは、私だけじゃない葦正君と作り上げたものだ。私の一存で仕舞い込んでしまうのも…」
先輩は頭を捻って悩ませていた。
「取り敢えず考えても答えが出ないなら、完成させてから考えてみませんか?」
僕は唸り声を上げて悩んでいる先輩にそう言ってみた。このまま考えつづけていても仕方がないと思う。
「そうだな、そうしよう。今日は解散しようか、葦正君本当にありがとう。絶対にいいものに仕上げて見せるから」
「楽しみにしています」
先輩と一言二言交わしてから今日は帰路についた。喉の奥にまだ熱さが残っているように感じる、今日の熱気は中々忘れられそうになかった。
帰宅すると、玄関に兄の靴が無造作に置かれていた。
最近また大学に出ずっぱりだったが、今日は早く帰宅したようだ。自分の靴を並べるついでに兄の靴も綺麗に並べる、母がまた怒るからだ。
「ただいまー、兄ちゃん帰ってるの?」
「おーかーえーりー、帰っているぞ弟よ」
リビングの方から声が聞こえる、またソファーで横になっているのだろうか、僕は自分の部屋に戻る前に顔を出すだけでもとリビングを覗いた。
「あれ?何やってるの兄ちゃん」
兄は珍しくだらけもせずに、机に向かってノートパソコンを開いていた。カチカチとクリック音を鳴らし、カタカタとキーボードが弾かれる。
「ちょいと動画の編集をな、遊びと実験を兼ねた一石二鳥の実益ある試みさ」
兄は自慢げに語るが、何が何だか僕には分からない。
「いつもやってる研究とは違うの?」
「その延長だよ、動画撮って編集して配信すんの」
そう言うとノートパソコンの画面を僕の方に向けて、兄は自分と仲間たちで撮影した動画を見せてくれた。
それはクレイアニメだった。一つの小さな粒に、続々と粒が集まってきてくっつき合うと、色々な動物の姿に形を変えながら様々な背景を闊歩する内容だった。素人目に見てもよく出来ている。
「すごいねこれ、本当に兄ちゃん達が作ったの?」
「まあな、最初はノリで誰かが提案したんだが、作っている内に大掛かりになってな、出来が良いけど特に提出の必要もないから、勿体ないってんで編集して動画投稿しようって話になったんだ」
確かにこの出来の良さが埋もれるのは勿体ないと僕も思った。
「まあどれだけ力作でも見向きもされないかもだけどな、結局はマーケティングが上手い奴がより注目されるもんだ」
「ふーん、これだけ出来がいいのに?」
「そんなもんさ、それでもいいんだ。好きでやってる事だからな、元々趣味と好奇心の坩堝みたない場所何だから、自由な発想で好きにやればいい」
兄の言葉で僕は思いついた。趣味を自由に発信できる場所なら、今まさにぴったりなものがあるじゃないか。
「兄ちゃん、それ僕にも出来るかな?ちょっと相談したいことがあるんだけど」
もしかしたらいい方法が見つかったかもしれない、僕は先輩にも事細かに説明できるように鞄からノートとペンを取り出した。
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