第7話
帰宅した僕は夕飯を殆ど胃に納められずに残した。
「どうしたの?具合悪い?」
「いや、大丈夫。むしろ残してごめんなさい」
「それはいいけど、具合悪いなら早めに言いなさいよ?」
心配する母に謝罪して、僕は部屋に戻った。
愛歌先輩が連れて行ってくれたのは、行きつけらしい雰囲気のいい喫茶店だった。しかしそこで出てきた物が想定外だった。
僕はコーヒーの一杯でも奢ってくれるのかなと思っていたら、想定外のデカさの器にこれでもかと盛り込まれた豪勢なパフェであった。
僕は呆気にとられていたが、先輩はもう一回り大きい物を頼んでぺろりと食べていた。奢ってもらった手前残すのも悪いと思い僕も何とかそれをすべて食べきった。
味は素晴らしくても量は凄まじい、先輩の細い体の何処にあれだけの量のパフェが入ったのだろうか、今は不思議で仕方がない。
ベッドに横たわって苦しい腹を抑える、そして天井を見上げて今日起きたことを思い出した。
我ながら勢いもあったとは言え大胆な事をしたものだ。もう二度と同じ様な事は出来ないのだろうなと僕は思った。
必死だったのもあるが、やはり今まで僕は鬱憤を溜めていたのだろう。それはそうか、別に僕は好きでこの声でいるわけでもないのに、勝手な理由でからかいの対象にされて馬鹿にされていた。
僕はそれをただ甘んじて受け入れていた。ただ波風立てるのが嫌だという理由だけでだ。そんな事バカバカしいじゃないか。
これ以上何かしてくる様なら僕も我慢はしない、特に愛歌先輩が絡んでくるのならもっとだ。僕のせいで先輩が笑い者にされた時は許せなかった。
存外僕は正義感の強い人間だったのだろうか、それとも何か別の理由があるのか、よく分からない。
でもハッキリとした事もある、僕の声が今日役に立った事だ。
別に野太い声の悲鳴でも助けは来ただろう、しかし甲高い声で悲鳴を上げた時のあいつらの間抜けな顔はスカッとした。
僕がそんな事をするような人間と思っていなかったのだろう、悲鳴を上げれば女性の声にも聞こえる高い声だ、それを恥じてきた僕には何も出来ないと思っていた筈だ。
だけどもう僕は恥じる事はない、先輩が特別だと言ってくれた。必要だと言ってくれた。何より自分がこの声を少しだけ受け入れる事が出来た。
あいつらなんてもう怖くない、僕はそう強く確信した。
しかしクラスでは浮いてしまうかもしれないな、思い入れがある訳ではないが、居心地は悪そうだ。まあそれも我慢すればいいことだ、今までいびりに耐えてきた僕にしてみればどうという事もない。
何だかちょっとだけ先輩との音楽作りが楽しみになってきた。僕がもし本当に表現者になれるのなら、このスカッとした気分を他の誰かに伝えてみたい、先輩が言ってくれた。一緒なら何でも出来る気がする。その言葉が嘘じゃないって思えた。
先輩との音楽活動の前に僕の学校生活で大きく変わった事があった。
それはあの時声をかけてくれた山口と佐藤が続けて声をかけてくれるようになった。よそよそしさはまだあるものの、僕は素直に嬉しかった。
話すことはそもそも嫌いではないし、二人は僕の声について特に言及してこない。というよりそれが円滑な人間関係にとって当たり前の事だろう、人の身体的特徴について意見するのは、よほど親しい人でもやらない事だ。
そしてさらに大きな変化は、坂田を中心としていたグループが自然と瓦解した事だ。どいつもこいつももう一緒にいる所を見なくなった。
どうやらあの一件で先生方にそうとう絞られたらしく、加えて話の中で誰が誰を売ったか等疑心暗鬼が広まったらしい、クラスの事情に詳しい佐藤が教えてくれた。
元々繋がりもいじる対象がいてこそだったから、その分心離れも早かったのだろう、坂田自身威張り散らすだけで魅力らしいものは感じられない、彼らの集まりは砂上の楼閣だったのだ。
大きく見せていただけの小物達が、バラバラになれば今度は鼻つまみ者にされる。好かれていなかったのもあって皆がその人達を避けるようになった。その中にはあの吉沢も混ざっている、半端者は真っ先に嫌われてしまうようだった。
群衆の手のひら返しはかくも残酷かと思うが、僕に何か出来る訳もなく、何かしてやろうとも思わない、別にそれで僕の立場が上がった訳でもない。
僕は今まで通り、人を避けてきたツケのせいで、クラスのはみ出し者だ。居ても居なくても変わらない内の一人だ。
だからこれで良かったと思う事にした。むしろこんなに僕にとって都合よく転がってしまって戸惑う程だ。彼らは彼らで大変だろうが、僕と同じ様な思いをした人が多く居たと言う証なのかもしれない、もう僕の出る幕はないだろう。
これで一連の事はおしまい、僕は気持ちを切り替えて、今は愛歌先輩と一緒になって曲作りの方を頑張る事にした。
放課後、愛歌先輩と合流した僕はこれから何をするのかを聞いた。
「まずは私の曲に歌がつけられるようにしなければな」
確かにあれから数曲先輩が聞かせてくれた曲は、どれも歌を入れるような曲ではなかったような気がする。
「それに葦正君も歌えるように練習しないとな」
「ですね、僕本当にずぶの素人ですから」
「そこでだ!私は思いついた訳だ!」
先輩がドヤ顔で胸を張る、よっぽど自身があるんだろうなと僕は苦笑いをした。
「という訳で行くぞ葦正君!」
「は?何処にですか?」
「先方に話はつけてある、私についてこい!」
先輩はそう言うと僕の腕を掴んでずんずん歩き始める。僕は仕方なく引かれるがままに先輩についていった。
「ここだぞ葦正君!」
「ここは…」
連れてこられたのは音楽室、そしてここは音楽教師の居る準備室の前だった。
「先生失礼します」
僕が何か聞く間もなく、先輩は扉をノックして入っていく。僕は慌ててそれに続いた。
「やあ三上さん、待っていたよ。それに高森君も」
音楽の
立花先生は眼鏡をかけていて、いつもこざっぱりとした格好をしている。背が高く、優しい性格で人当たりもよく男女共に人気のある先生だ。
それにしても待っていたとはどういう事だろう、僕は気になって先輩に聞いた。
「立花先生に何か話したんですか?」
「ああ、私の作曲は独学だ。どうやれば歌をつけられるか検討もつかん、知識のある人のアドバイスが欲しいし、君が声を出しても問題ない環境も必要だろう?」
成る程、先輩のそつのなさに僕は素直に感心した。
「と言っても交渉については今からだ。君も援護を頼むぞ」
前言撤回、先輩は体当たりなだけだ。
「それで、僕に何か話があるそうだけど?」
「ええそうです。先生まずはこちらをお聞きいただきたい」
先輩は持っていた鞄からノートパソコンを取り出した。
「あれ?スマホじゃないんですか?」
「どうやって作っているか環境も見せる方が説明しやすいだろう?」
ご尤も、僕は黙って後ろに下がった。
先輩が再生した曲は、明るい雰囲気で音が跳ねて踊るような曲だった。いつもながら見事だなと僕は思う、飽きさせないリズムに体の奥底に響くテンポ、軽やかながら軽すぎない重厚さも時折覗かせる。
聞き終わった先生は驚きの表情で聞く。
「すごいねこの曲は、もしかして二人のどちらかが作ったのかい?それとも二人で?」
「いえ、先輩一人でです」
「そうか、三上さんはどうやってこの曲を?作曲はどうやって学んだんだい?」
先生は興味深そうに先輩と話している、専門的な話を混じえられると僕はさっぱり話についていけない、取り敢えず相槌だけ打って誤魔化しておく。
「じゃあ三上さんは独学でここまでやったのかい!?」
「そうです。音を鳴らすのは頭で出来ますから、後は形にするだけでした」
先生は驚いた顔で頭を掻いている、僕には技術的な事は分からないが先輩がとんでもない人なのは分かる。
「それで、僕に何か聞きたい事と相談したい事があるって言っていたけど何かな?」
先生に聞かれて愛歌先輩は身を乗り出した。
「私の曲作りの相談に乗ってもらいたいんです。そして彼、葦正君に歌を教えて欲しい、彼の声があってこそ私の曲は完成するんです」
先輩に気圧され、戸惑う先生に僕は言う。
「先生、僕の声どう思いますか?」
「声?高森君の?」
僕は頷く。
「そうだね、同年代の子と比べると驚く程高い声をしているね」
「僕は変声期が来ても声にまったく変化が無かったんです。元々高い声だったのですが、そのまま成長したと言いますか…」
「成る程、それは珍しいね」
「ええ、それで僕この声で悩んでいました。からかわれるし目立つし、だけど愛歌先輩はこの声が特別だと言ってくれました」
「僕にはまだそこまでの自信はありませんが、確かにこの声があれば他の人とは一味違う表現が出来るんじゃないかって今は思うんです」
僕の言葉を嬉しそうに聞いていた先輩が続いて言った。
「先生、私達は音楽を作りたいんです。その為の力を貸してはいただけませんか?」
僕はいつの間にか先輩と一緒に身を乗り出して先生に詰め寄っていた。
「分かった分かった。取り敢えず二人共落ち着いて、熱意は伝わったし僕も協力したいからさ」
強引すぎたかなと思い僕は先輩の顔を見たが、先輩は嬉しそうに僕の手を掴んだ。
「やったな葦正君!第一歩めは成功だ!」
握られた手が瞬時に汗ばむ、恥ずかしいから離してほしいとも思ったが、嬉しそうにはしゃぐ先輩の姿を見たらまあいいかと思った。
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