第5話

 僕は皆が入り終わった風呂にようやく浸かって先程の事を思い返していた。


 愛歌先輩は僕の声を特別だと言ってくれた。それがとても嬉しかった。力になれるか不安であったが、やれるだけやってみたいとも思う。


 しかし歌を歌うなんてどうすればいいのだろうか、突拍子もない事でどうにもイメージが湧かないでいる。


 それに加えて先輩の曲はとても出来が良い、僕の声が混ざっても大丈夫なのだろうか?そもそも人の声を追加するように出来ているだろうか。


 そんな不安が浮き沈みするが、深く考えても無駄かと思い、熱くなった体をぬるま湯で冷ますように肩まで深く浸かった。




 後日、いつものように朝早く登校して席についていると、教室の扉が開かれた。


「葦正君、おはよう」

「愛歌先輩!お、おはようございます」


 先輩はまるで自分の教室に入るかのように僕の席までやってきた。


「来ているかと思ったが、やっぱり来ていたな。葦正君は朝早いのか?」

「あ、はい、あのあまり人と会わずに済むので」


 前の空いている席に座って先輩は話す。


「私も似たような理由で朝は早い、昨日は電話くれてありがとう」

「いえ、僕も話を聞いてくれて嬉しかったです」


 笑顔を浮かべる愛歌先輩を僕は直視できず少し目をそらした。


「そのことについてなのだが、今後の事を相談したい、でも君はこの教室では都合は悪いだろう?」


 昨日の話を聞いた先輩は僕の事を気遣ってくれているのだろう、朝早く来てくれたのもきっとそういう事だ。


「出来ればあまり目立ちたくないです」

「だと思った。そこで少し考えがある、今日の放課後時間が空いたら私に連絡をくれ、何処か目立たない所で落ち合おう」


 先輩はそれだけ言うと手を振って去っていった。何処までもマイペースな人だが、嬉しそうに笑う姿は可愛らしい、ちょっと役得だなと思った。


 教室でスマホをいじりながら、歌う為のコツ等が書かれたサイトを巡る、役に立つかは分からないが、出来ることをやろうと思った。


 腹式呼吸や発声、体力もいる。他にも専門的な事が書かれているのを見ると少し不安になった。体力も並、筋力も並、大丈夫だろうか。


 僕がスマホにかじりついていると、いつの間にか時間が経っていたらしく他の生徒がもうすでに教室に来ていた。


 気のせいかもしれないが、僕の方を見てヒソヒソと話しているように見える。何だか居心地が悪いなと思っていると、クラスにいても禄に話したこともない男子生徒が僕に話しかけてきた。


「な、なあ高森」


 声をかけてきたのは山口と佐藤だった。名前しか知らない。


「な、何?山口君、佐藤君」


 何か気に障るような事をしてしまっただろうか?僕は少し身構えて聞く。


「昨日さ、三上先輩に連れられて出てったじゃん?」

「そうそう、お前って三上先輩と知り合いなの?」


 僕は心の中で頭を抱えた。そう言えば先輩は昨日、僕の事を無理やり教室から連れ出して、その様子をクラス中の人に見られている。


 どうやら先輩はその容姿から人気があるようで、あの時も名前を上げている人がちらほらいた。話題にならない方がおかしい。


「えっと、その、なんというか…」


 なんて言ったらいいんだ?僕は眼の前がぐるぐると回るようだった。


「なあ連絡先とか交換したのか?」

「まさか告白とかじゃないよな?」


 二人がとんでもない事を言い出すので、僕は慌てた。


「そんなんじゃないよ!ただ確かにちょっと話すようになったけど。そんな関係じゃない」


 僕が立ち上がって否定するので、二人は驚いた顔をしている。僕はすごすごと座ると、二人から思いもよらぬ反応が返ってきた。


「すげーじゃん高森!お前まじかよ!」

「ああ、本当にすごいぜ!尊敬する」


 わっと詰め寄ってきた二人に今度は僕が驚いてのけぞった。


「三上先輩って言えばこの学校で一番美人って有名だぜ、下級生から上級生までな」

「そうだぜお前、話しかけても袖にされ、告白すれば断ち切られる、男子生徒の間じゃ先輩と友好を図ろうとするのを、三上チャレンジって呼んでるくらいなんだぜ!」


 三上チャレンジは初めて聞いた。恐らく先輩は特に意図もなく素で接しているだけだと思う。


「まさか同じクラスからチャレンジ成功者が出るとは思わなかった。大したもんだぜ高森!」

「一体どうやったんだ?何か好きな物とか聞けた?」


 騒ぐ山口と佐藤につられて他の人も寄ってきた。意外な事に女子も愛歌先輩の事を聞きたいらしく、僕は質問攻めにあった。


 しかしその空気もがらりと一変する。


 いつも僕に絡み、周りを威圧するあのグループが纏まって教室に入ってきた。


 リーダー格の坂田がずんずんと取り巻きを引き連れて近づいて来る、僕の周りを取り囲んでいた人達は、蜘蛛の子を散らすように去っていった。


「高森、ちょっとツラ貸せよ」


 にやにやと汚い笑みを浮かべながら坂田が言う、いつの間にか取り巻きに囲まれていて動けない。


「あ、はは、はい」


 ここで強く拒否出来ればいいのだが、僕にその度胸はない。僕は取り巻きに囲まれながら外の人目がつかない所まで連れて行かれた。




 僕は囲まれて縮こまる。


「高森、俺ら友達だよなあ?」

「そうそういつも挨拶してやってるもんな?」


 挨拶だって無理やりじゃないか、僕の高い声を聞いてからかうだけなのに、恩着せがましくしやがって。


「お前さ、先輩の連絡先知ってるの?」

「俺達にも教えてくれるよな?」

「俺ら友達だもんな、なんだったらここに呼び出せよ。お前の代わりに仲良くなってやるからよ」


 やっぱり先輩が目当てだったか、こいつら何するつもりだろうか。


「せ、先輩って誰の事ですか?」


 僕の苦し紛れの発言は、坂田達をいたずらに刺激しただけだった。坂田に足を踏みつけられて、僕は痛みに思わずうずくまる。


「そんな見え透いたとぼけが通じると思ってんのか?何があったのか知らないけど調子に乗るなよお前」


 踏みつけるだけでなくグリグリと押しつぶすように足を動かす。


「お前を昨日連れ出した三上愛歌に決まってんだろ?お前何か弱みでも握ってんのか?」

「まさかてめえの女にしたとか?」

「馬鹿かお前、こんな奴にあの女が落ちるかよ。ゲテモノ食いなら分からんがな」


 そう言って坂田達はゲラゲラと下品に笑う、こいつらの事が僕は本気で嫌いだ。僕を馬鹿にするならまだしも、ここにいない愛歌先輩を馬鹿にして笑い者にするのは許せない。


 僕は坂田を睨みつけた。


「その目は何だ高森?俺達に文句でもあるってのか?」

「あんまナメた態度取ってんじゃねえぞ」


 取り巻きの一人が僕の肩を殴る、痛かったが別に大したことはない、もう一度睨みつける。


「テメエいい度胸だよ、女は売らないってか?」


 もう一人に脇腹を蹴られる、染み渡る鈍痛でも僕は怯まなかった。


「何だお前ウザってえ、一度ボコしてやろうか?」


 凄んでくる坂田に向かって、僕は覚悟を決めて言った。


「やってみろよ、どれだけ殴られても僕は絶対に先輩の事は話さない」

「上等だよ!」


 拳を握りしめた坂田がそれを振り下ろす瞬間に、僕は吸えるだけの息を吸って腹に力を溜めた。書いてあった事を思い出せ、歌うよりは簡単な筈だ。


「キャアアアアアア!!」


 絹を裂くような悲鳴を僕は上げた。僕の突然の行動に坂田とグループの連中は泡を食って目を丸くしている。


 僕の悲鳴を聞きつけて周りがざわざわと騒ぎ始めた。ここだと思い畳み掛ける。


「今の叫び声を聞けば皆何事かと思うぞ、きっと誰かがすぐに来る。高い声で良かったよ、ブザーみたいに聞こえたんじゃないか?」

「テメエ!!」


 もう一度殴りかかろうと襟を掴まれても僕は言った。


「お前たちもう何度か手を出しただろ?きっともう痣になっている、学校でリンチしたなんて事になれば大事になるぞ」


 人が集まり始める気配を感じ取ったのか、坂田の取り巻きは一人また一人と逃げる者が出始めた。実際に殴ったのなら兎も角、見ていただけだと言い訳出来るのならこの場から一刻も早く離れたいだろう。


「今なら逃げられるんじゃないか?僕の声は際立つからすぐに人が来るぞ」


 僕の脅しが効いたのか、残りの人も去っていった。僕は緊張が一気に解けてずるずるとその場に座り込んだ。


 声を聞きつけた人が呼んだのか、教師が何人かやってきた。結局大事になってしまったなと少し後悔したが、愛歌先輩の事をあいつらに少しでも漏らさずに済んだのは良かったと僕は心から思った。

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