第4話

 愛歌先輩の応答を持っている間、僕は勢いのまま電話をしてしまった事にドキドキしていた。


 思えば同年代の女子に電話をする機会なんてそうない、むしろ初めてかもしれない、今更ながら気恥ずかしさに身悶える。


「もしもし、葦正君?」


 先輩が僕の電話に出たようだ、僕は慌てて正座して通話に臨む。


「もしもし先輩ですか?今大丈夫でしょうか?」


 最悪だ、声がとんでもなく上ずった。


「ああ私だよ、ちょっと待っててくれ今自室に移るから」


 とんとんと階段を上がる音が小さく聞こえてくる、だからどうだというのに緊張して姿勢を正した。


「よしいいぞ、連絡をくれたと言う事は曲を聞いてくれたって事だよね?」


 そう言えば本題はそれだった。


「そうです。聞きました」

「感想は?」


 僕は少し迷ったけれど素直に思ったことを伝えた。


「先輩はあの曲が本命だと言っていましたが、僕には最初に聞かせてくれた曲の方がいいと思いました」


 気分を害してしまわないかと思ったが、ここはハッキリと伝える事にした。適当に誤魔化すのは失礼だと思ったからだ。


 しかし先輩から返ってきた反応は意外なものだった。


「そうだろう!分かるか葦正君!」


 愛歌先輩は明らかにテンションが上がっていた。嬉しそうな声色が伝わってくる。


「分かるって、先輩も分かってて聞かせたんですか?」

「そうだよ、私はあの曲が本命だと言ったが、出来が良いとは言っていないだろう?」


 それはそうだ。


「じゃあ何故あの曲が本命だと?」

「そこが私が君に話したい事に繋がってくるんだ。私はあの曲を完成させたい、そしてその為には足りないものばかりだ」

「先輩は空の完成にこだわっているということですか?」

「その通り」


 だからこその本命か、何となく話が繋がってきた。


「私が作曲を始めた切っ掛けは、両親に連れられて登山した頂上で見た空なんだ」


 景色が切っ掛け、そう言われても全然違う分野に思える。


「その二つが中々結びつかない気がするのですが」

「私の夢はね葦正君、あの曲を聞いた人達すべての人に同じ空を思い起こさせる、そんな音楽を作りたいんだ」


 空を思い起こさせる音楽、先輩の曲を聞く前の僕だったら、そんなものは無理だと断言していただろう。しかし今の僕には先輩ならもしかしたらという気持ちがある。


「では先輩はそれをイメージして空を作ったんですね」

「そうなんだ。しかし、あの曲は酷く散らかっているだろう?私は懸命にイメージを膨らませて作曲をしたのだが、他の曲と違ってどうしても空だけは上手く表現出来ないんだ」


 だからこそあの出来だったのか、僕はやっと得心がいった。


「先輩は僕の声が必要だって言いましたよね?」

「うん」

「それはこの曲の為にという事ですか?」


 僕はそれでもやっぱり先輩に協力することを渋っていた。我ながら捻くれていると思うが、声だけならば僕の声質に似た人は探せば居ると思う、何も僕で無くてもいいと思った。


「それはそうだが、それだけではないぞ」


 先輩の声色は更に明るくなっていた。


「君の声を聞いた時、叫びを聞いた時、私に足りないものはこれだと衝撃が走ったよ。君の声、そして私の曲があればどんな事も出来る予感がしたんだ。どうかな?その無二の才能を私にくれないか?」


 僕は胸の奥がかあっと熱くなるのを感じた。愛歌先輩の情熱が、僕にも伝わってくるようだった。


 返答に困った僕は先輩に自分の悩みを打ち明ける事にした。


「少し自分の話になってしまいますがいいですか?」

「勿論だとも、聞かせてほしい」


 二つ返事か、真っ直ぐな人だなと僕は思った。


「僕は僕の声が嫌いです。元々甲高い声でしたが、変声期を経ても僕の声はあまり変化がなかった。そのせいで喋れば目立つし、からかいの対象になった。僕の声色を馬鹿にして遊ぶんです。僕はそれが嫌いだ、出来ることなら皆と同じ様な声になりたかった」


 それで自分がどれ程没個性になろうとも構わない、突出することは残酷だ。異物はコミュニティから排除される。


「先輩が僕を必要だと言ってくれた事は素直に嬉しかったです。でもやっぱり僕では力になれないと思います。すみません」


 僕は電話の向こうにいる愛歌先輩に頭を下げた。見えていないのは分かっていても、ついやってしまう。


 暫く先輩からの応答はなかった。


「愛歌先輩?」


 不安になって僕は先輩の名を呼ぶ、怒らせてしまっただろうか。


「私は…」


 よかったどうやらまだ繋がっている。


「私はな葦正君、友人がいない」

「は?」


 僕は素っ頓狂な声を上げた。


「私はテストの成績がいい、だから勉強法を教えて欲しいと女子に頼まれた事がある」

「はい」


 取り敢えず相槌を打って聞くことにした。


「その時に必要な事はすべて授業でやっている、だから態々家に帰ってまで勉強などしないと答えた」

「それは…」


 さぞ引かれただろうな。


「そうしたら聞いてきた人は何故か怒り出した。いい子ぶるなとか嘘をつくなとか、色々言われた。でも私は嘘などついていない、先生方は分かるように教えてくれるし、テストだって試されている事が分かっていれば自ずと答えが見えてくる」

「それは…確かにそうですね」


 先輩だからでは?と言おうとしてやめた。


「それと私はよく男子に交際を持ちかけられる、手段は様々だがそれはそれは色々な言葉で飾って告白されるよ」


 愛歌先輩は美人だ。眉目秀麗でスタイルもいい、長くて艶のある黒髪も魅力的で、同世代からしたら必ず一度は恋に落ちてしまうだろう。


「しかし私はそれをすべて断っている。何故かとよく告白してきた人に聞かれるが、素直に興味が無いと答えていたらいつの間にか男子は寄り付かなくなった。それでも告白してくる人は何故か減らないが」


 鋭すぎる刃の様な人だが、どれもこれも他人を傷つける気などない本心なのだろうなというのは分かる。


「私はどうも他人と違う感性をしているらしい、それが苦では無いのだが、いつの間にか私の周りからは人がいなくなっていた」

「先輩…」

「私はな、そんな自分が嫌いだ。別に人と馴れ合いたいと思う訳ではない、しかし人を排したい訳でもない。だけど上手くいかないんだ。私は私を変える事が出来ない」


 先輩の声色は真剣だった。


「だからかな、自分を表現出来る方法が欲しかった。そして人を幸せに出来るような、そんな方法はないかと。その時に思い浮かんだのがあの深く青い綺麗な空だった」

「それがあの曲になったんですね」

「そうだ。酷い出来だった。それからも曲を作り続けて探し求めて来たが、空だけは完成しなかった」


 だからあんなに不安定な曲だったのか、先輩の中でもまだ答えが見つかっていないんだ。


「君はその声が嫌いだと言った。だけど私はその声こそ君の特別なものだと思った。試してみて嫌な思いをしたらすぐやめていい、私は君と追い求めてみたいんだ私の特別を」


 僕の心と体は震えた。


 この声を良いと思った事はない、僕は忌々しく思っていた。


 だけど愛歌先輩は、その声こそ僕の特別だと言ってくれた。


「僕、歌は上手くないです。と言うより音楽の授業でしか経験ありません」

「ああ、私もそうだよ」

「だから先輩の求めるものが出来るか分かりません。でも、先輩が僕の声を特別だと言ってくれた。必要だと言ってくれた。協力する理由には十分過ぎるかもしれません」


 僕は一呼吸置いて言った。


「お手伝いさせてください、完成した空を僕も聞いてみたいです」


 全身の血液が沸騰したかのように体中が熱い、吐き出した言葉が頭の中でいつまでも反響しているようだ。


「その言葉が聞けて嬉しい、私も頑張るから君の力を貸してくれ」


 愛歌先輩の嬉しそうな声が聞こえてきて、僕は更に目の奥が熱くなる。


 この日交わした約束が、僕にどんな変化をもたらすのか、期待がどんどんと膨れ上がってくようだった。

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