第18話(ライラSide)
カーク様に、昨日どうして馬車から降りたくないと言ったのかと尋ねられ、そのまま主不在の執務室でお話をすることになった。
思い返せば昨日は上手くいかないことばかりだったのだ。
わたくしは一刻も早くマリエル様にお会いしたくて、とにかく先を急ごうとしていた。
だって、いつおじい様にバレて連れ戻されるかとヒヤヒヤしていたんですもの。
それなのにメイドのアニーが、休憩しましょうだの忘れ物をしましただの、麓の街まで到着するのにやたらと時間がかかってしまった。
すんなりいけば昨日の朝には到着して午前中にここまで来ていたはずなのに!
麓の街の手前の宿場でアニーが喉が渇いて仕方ないとゴネるものだから、これが最後の休憩よと念押ししてカフェに入った。
そこでなんとアニーが粗相をしてティーカップをひっくり返してしまったのだ。
お互い火傷はせずに済んだものの、わたくしのドレスは紅茶のシミが残る悲惨な状態になった。
お姉様の嫁ぎ先には「ちょっとお出かけしてきます」というすぐに戻るようなテイで話して少量の荷物で出てきたため、ドレスはこの一着しか持っていなかった。
「申し訳ございません。麓の街には服飾店があるようですから、そこで新しいドレスを買いましょう」
アニーにそう言われて渋々許したものの、お日様がもう西に傾きかけていたことにため息をつかずにはいられなかった。
街に到着してみると、マリエル様から連絡が行っていたようで騎馬隊の隊員が護衛してくださることになった。
そのお気遣いが嬉しくて舞い上がっていたわたくしとは対照的に、アニーは落ち着かない様子で
「レディーの着替えを覗くような真似はなさいませんように。服飾店の正面でお待ちください」
と隊員たちに何度も言っていた。
そのパール服飾店に着いてみれば、どういうわけかお店は警備隊に囲まれて物々しい雰囲気になっていたのだ。
何でも、店主が逮捕されたとか。
当然ドレスを買えるような状況ではなく、これに取り乱したのはアニーだった。
それならドレスが買える街まで引き返しましょう! と仕切りに言われたけれど、そうなると今日中にモンザーク邸に到着できなくなる。
すぐ目の前まで来ているのに。
大体、今日のアニーはひとりでドタバタして一体どうしたんだろうと不思議に思いながら
「このままモンザーク家に向かいましょう」
と指示したのだった。
その道中、アニーが今度は
「そんなシミのついたドレスのままではみっともない」
「グラーツィ伯爵令嬢がそのような汚れたドレスで人前にでるのはいかがなものか」
と、紅茶をこぼした張本人が何を言っているのかと正気を疑うようなことをしつこく言い出したのだ。
しかしそれも一理ある。
「それもそうよね……」
その一言でアニーは活気づき、止める間もなく勝手にわたしが馬車を降りたくないと言っている、マリエル様には会えないと告げてしまったのだ。
「アニー! 何言ってるのよ! わたくしはマリエル様に会えるのを楽しみにして……」
慌てて馬車を降りようとするわたくしをアニーがものすごい力で引き留めた。
「お嬢様。それなら尚更、綺麗なドレス姿を披露すべきです。それに、これぐらいもったいぶるのも男女の駆け引きのひとつですよ」
恋愛らしい恋愛を経験したことのないわたくしには男女の駆け引きの機微というものがよくわからないし、いつもその手の相談はアニーに乗ってもらっていた。
だから彼女のその言葉に反論ができなかった。
その間に、出迎えに来てくれていたマリエル様は引き返してしまわれたという。
「ほら、ごらんなさい。あっさり引き下がるような失礼で粗野な田舎者の男にライラ様のご尊顔を拝ませる必要はないんです!」
客室に通されるとアニーは何やらマリエル様へ文句を言い始めた。
待って。それちっとも駆け引きになってなくない?
わたくしはさっぱり訳が分からないまま、客室に運ばれてきた夕食を食べた。
モンザーク家のメイドに、恥ずかしながら着替えの持ち合わせがないことを伝えると新品の肌着と夜着をすぐに用意してくれた。
明日のドレスに関しては、ダイアナ様のお下がりでよければ用意できるとのことで、それを了承し、紅茶で汚れたドレスを洗濯してもらうことにしたのだった。
手の込んだ美味しい料理に使用人たちの行き届いた配慮。
モンザーク辺境伯家のことをアニーは田舎者だなんだと罵倒しているけれど、ちっともそんなことはない。
アニーへの疑念が膨らんでいき、就寝前についにわたくしの堪忍袋の緒が切れた。
「アニー。あなたの主人は誰?」
低い声で問うとアニーは目を泳がせ、やや間があって答えた。
「もちろん、ライラ様です」
「とてもそうだとは思えないわね。あなたの今日の振る舞いはおかしかったもの。ずっと味方だと思っていたのに残念だわ。あなたに裏切られたわたくしがいま、どんな気持ちかわかる?」
申し開きをしようとするアニーを手をあげて制した。
「言い訳は結構よ。これからあなたは、わたくしの前で『はい』以外の言葉を発することを禁じます。わたくしが主人だと言うのなら従えるわよね?」
アニーは泣きそうな顔で「はい」と答え、頭を下げたのだった。
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