第二章 熊おじさん

 あれからどんなに歩いただろうか。一時間? 十時間? それとも、既に一日が経過してしまったのだろうか。それ程までに、何も無い平原を一人で歩くというのは退屈で仕方がなかった。しかし、その退屈ももう少しで解消されそうだ。


 歩いているうちに、ちいさな洞穴を見つけた。それだけなら今までもいくつか見ている。しかし、その洞穴は他とは決定的に違うところがあった。それは、家具。遠くからでよく見えないが、椅子や机のようなものが置かれていそうだ。ここから分かることは、この世界には文明があるということ。僕らが暮らしていた世界と同じように、思考する生物がいるということだ。しかし、それが単に吉報とは限らない。


 その『思考する生物』が存在するならば、僕は元の世界に帰る手掛かりを掴める可能性はある。しかしそれ以上に、それらが敵対的である可能性が高い。人間なんてそんなもんだ。日本に突然宇宙人が降ってきたらどうするだろうか? 当然撃退するのみだろう。良くて実験体になるだけだ。そして、僕はその例えで言う宇宙人以外の何物でもない。


 物思いにふけりながら、着実に洞穴に近づいていた。もうすぐそこまで迫ったところで、何か鋭い音がした。焦って身体を隠そうとする。しかし、この辺りには一切壁のようなものはなかった。諦めて、恐る恐る洞穴の中に進んでいく。


 するとそこには、人型の何者かがいた。洞穴の少し奥の方にいるので、顔を見ることは出来ない。しかし、僕の直感が告げている。あれは人間だ。


 トンッ…………。洞穴の中に入ろうとした時、後ろから肩に手を置かれた。驚きと焦りでいっぱいになった僕は、声にならない悲鳴をあげてしまった。


「ッッ…………?!!」


 しかし、声が出なかったことにより、奥の人影には僕の存在が気づかれていないようだ。肩にはもう手の感触は無い。幽霊か? ただの風か? それとも……。確かめるべく、僕は勢いよく振り向いた。


 ……そこには、血で染った斧を持っている、二メートル程のおじさんが立っていた。その体型はまさに熊。茶色の毛皮でできた服がその印象をさらに強くしていく。どうすることも出来ない僕を差し置いて、目の前の熊おじさんは口を開いた。


「すまん……! 驚かせるつもりはなかった……」

「なっ…………?!」


 想像とは真逆の優しく口調で謝られ、一気に頭の回転が遅くなった。そして同時に安心したことが二つ。見るからに友好的であることと、…………相手が日本語で話してくれたことだ……。



         *



「とりあえずジュースでも飲め! 」


 熊おじさんは、僕を椅子に座らせ、赤紫色の濁ったジュースを出してくれた。コップはプラスチックのような何か。机と椅子の完成度が高いのも相まって、日本にいる時のような気分になりつつある。しかし、洞穴の奥に向けて手を振る熊おじさんを見ると、ここが自分の知らない世界であると再認識させられる。


「おーーーい! お客さんが来てるぞ! 」


 熊おじさんがそう叫ぶと、奥の人影はゆっくりと坂を登ってきた。少しづつ光に照らされ顔が見えるようになってきた。どうやら女性のようだ。服装は大体熊おじさんと一緒だが、彼女には目の下に赤いペイントが施されている。


「なんだベア? その男は」

「知らん! 困ってそうだから家に入れた! 」


 そう熊おじさんが自信満々に言うと、彼女は呆れた目を向けた。そして、僕の方に視線をずらし、話し始める。


「私の名はアイサ。あんたの名は? 」

「えっと……霧島 恋です……」

「ッ…………!?」


 アイサと名乗る女性と熊おじさんは、名乗った途端に顔を見合せた。


「その名前から推察するに、あんた移世民だね? 」

「移世民……? 」

「この世界にはたまにいるんだよ。別の世界から送られてくる人間がね」


 アイサは椅子に座り、続きを語る。


「その現象について私たちは詳しいわけじゃない。だから、私たちからは有益な情報は渡せない……」

「ぜ……全然! こうやって話をさせてくれているだけで感謝です! 」


 熊おじさんは、奥から二人分のジュースも持ってくる。そして、ドスンと勢いよく椅子に座った。


「俺の名前はベアルだ。皆は俺の事をベアって呼ぶがな」

「そりゃそうだろ? どう見たって熊だ」

「へっ……愛着があっていいじゃねぇか? 」

「私にとって熊は愛着のある生物じゃない。てか初対面だと見た目怖いんだよ……」


 アイサは軽いため息をつく。しかし、そんな彼女を気にせず、ベアは目の前のジュースをがぶ飲みする。それに便乗して僕も少しだけ飲んでみた。甘い……。


「話がそれてすまなかったな。それで、何か聞きたいこととかはあるか? 」

「えぇと……この世界がどんな世界なのかについて教えて欲しいです」

「分かった。ならベアの方が適任だろ」

「よし! 任せとけ」


 そう言うと、ベアは後ろに置いてあった本棚の前に立ち、ぐるぐる巻きにされた紙を持ってきた。そして、それを机の上に開いた。


「これがこの世界の地図だ」

「これが地図って……ほんの少ししか描かれてないじゃないですか」

「ああ……この周りにはとんでもなく危険な『機械』が彷徨いててな。まともに外も出歩けねぇんだ」

「機械? 僕ここに来るまでそんなものひとつも見てないですよ」

「そりゃとてつもなく運が良かったな。どこから歩いてきたのか知らねぇが、神に感謝ってとこだろ」


 神に感謝……か。神とやらがいるなら最初っから石版に近づけさせないようにして欲しかったが。


「その『機械』ってどんな奴なんですか?」

「例えば犬のような形のやつとか、蛇のような形のやつとかがいるよ。見た目は化石みたいな感じだな。骨だけで動いてて、その骨が金属でできてる感じ。そいつらを総称して俺らは斬傀(きかい)って読んでる」

「なるほど……」


 話を聞いていると、アイサが突然洞穴の外を見た。僕らも続いてそっちを見たが、特に何も無かった。しかし、ベアはなにかに気づいたようで、壁にかけてある弓と地面に落ちている矢を拾った。


「近くに斬傀がいるみたいだ。ついでだから討伐の仕方を教えてやるよ! ついてこい」

「は……はい!! 」


 僕は八十パーセントの不安と、残りの好奇心を抱えて、ベアについて行った。

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