30話「トシゾウ」
僕らは使うことになった家に戻らずに、研究所と書かれた白塗りの家屋に案内された。
「やっと戻ったか! トシゾウ!」
白髪のお爺さんが奥から現れ僕らに声をかけた。
トシゾウ? 誰だそれ?
「誰がトシゾウよぉぉぉ!!!」
「お前じゃろうが! 俊れるに三で、トシゾウじゃろうが」
そのやり取りを見ていた王騎君が、雷亜所長、いや俊三所長を見て言った。
「おい、トシゾウ」
「いやああああああ!!! ワタシをトシゾウと呼ばないで!」
お爺さんはつかつかと王騎君の方へ歩いてきて言った。
「お主見込みがあるのう」
「爺さんは何者だ?」
王騎君がお爺さんに尋ねた。
「ワシは源の三と書いて、ゲンゾウ。この研究所の会長じゃ」
「所長より上なんですか?」
「本来所長が一番トップじゃが、ワシは引退して会長として研究の日々に明け暮れとる」
源三会長は、こいつは息子の俊三じゃ、と所長に指を指す。
「だ、れ、が、トシゾウよぉぉぉ!!!???」
ブチ切れた所長さんが会長さんに思いっきり殴りかかる。それを会長さんは指一本で止めてみせた。
「す、凄い!!!」
僕らは会長さんの凄さに目を輝かせた。
「はっはっは、指の骨が折れたわい」
ガクりと僕らはコケた。だがそれでも凄い。会長さんはエリクシルを飲みながら、椅子についた。
「小型のケルベロスを保護しとるな?」
虎太郎を見てどうやら興味が湧いたらしい。
「研究心をくすぐるのう。よく見せてくれんか?」
瞳ちゃんは虎太郎を撫でながら、会長さんに渡す。
「トシゾウは、DNA鑑定だけでもと言っていたが……」
話を遮り、所長さんが王騎君に掴みかかる。
「ぶっとばすわよ? オウキちゃん」
「何がだ? トシゾウ」
その言葉に手を離した所長は、ふぅーーーっと長く息を吐き言った。
「武器なしで一対一、ワタシと勝負しなさい。ワタシが勝ったら今後、ワタシの事をちゃんとライアと呼ぶこと!」
それに頷いた王騎君は聞く。
「俺が勝ったら?」
「ワタシの権限で出来る範囲なら願いを一つ叶えてあげる」
それを聞いた王騎君は瞳ちゃんの方を向いた。瞳ちゃんは頷く。
「なら、虎太郎を研究した後は、ヒトミに世話を任せること。どうだ?」
ふふふ、と会長さんが笑う。
「どうやら、相当このワンちゃんを気に入っとるらしいな。いいじゃろう。ある程度研究が進んだらお主らに任せよう。お前さんがトシゾウに勝ったらな」
所長さんが会長さんを睨みつける。会長さんはニヤニヤ笑っていた。
所長さんと王騎君が距離を置いて対峙する。
「どこからでもかかってきなさい」
所長さんには余裕が見えた。王騎君は思いっきり後ろ回し蹴りを所長の頭部に当てる。だが所長は微動だにしなかった。
「今度はワタシの番ね」
構えた王騎君の腕を掴み、背負い投げの形から高くジャンプした所長は王騎君ごとグルグル縦に回転し、王騎君を床に叩きつけた。
「がはっ!」
「一本ね」
所長さんが高笑いする。だが、王騎君は起き上がり言った。
「まだまだ!!」
「あら? まだやるつもりかしら?」
当然だ! と意気込み、王騎君は構えた。
「確かにこれは格闘技ではなく喧嘩だものねぇ」
「そうだ。この一撃受けられるものなら受けてみろ」
ふふふ、と笑った所長は構え直す。王騎君は再び後ろ回し蹴りをする構えをとった。
「芸がないわよ」
「そうでもない」
王騎君は、とんと軸足で跳び距離を詰めて、蹴りあげた。
「がっ!? あっ!?」
金的。そこは鍛えることの出来ない領域。男の急所だ。
「これは格闘技ではないからな?」
「う……、ぐっ、こ、これしき!」
所長さんは倒れなかった。だが、それも王騎君の想定内。二発目の蹴り上げをする。
「誰も交互に攻防するとは言ってないしな」
つま先で蹴りあげた二発目はかなり効いたようだ。だがそれでも黒目が上瞼につきそうになって震えているが耐えている。
「隙だらけだぞ。トドメの一発だ」
所長さんの顎を思いっきり両手を組んで殴った。所長さんはガクガクと震え白目になり泡を吹いて倒れた。
「俺の勝ちでいいな?」
王騎君は会長さんに向かって言った。
「ははは、トシゾウも油断したなぁ。死にものぐるいで来る奴への対処を誤ったな。とにかく、オウキ君の勝ちじゃ。約束は守ろう」
そう言うと、会長さんは虎太郎を連れて奥へと行く。
「何をしておる? ついてこんか」
僕らは慌ててついていく。
奥の部屋は広く、大きな試験管や機械が一杯あってごちゃごちゃしていた。診察台の上に虎太郎を乗せた会長は、注射器を持ってきた。
「ヒトミちゃんと言ったかの? 怖がらせんように傍にいてやっておくれ」
「わかった」
瞳ちゃんは虎太郎の傍について三つの頭を撫でていく。
「チクリとするぞー」
会長が注射器を刺しても動じない虎太郎を偉いねと瞳ちゃんは褒める。注射器の中には黒い液体が溜まっていく。
溜まりきった後、針を抜いた会長さんは興味深そうに虎太郎の血を見ていた。
「針が刺さってよかったわい。それほど硬い皮膚をしとらんようじゃな」
そして、研究員の女性にそれを渡すと、机をゴソゴソし始めた。
「あったあった。確かこれじゃな」
会長が手に取ったのは一冊のアルバム。パラパラと捲っていく会長は、ある場所で手を止めた。
「この写真を見てみなさい」
その写真には、一人の女性と柴犬が写っていた。
「虎太郎に似てる」
写真の柴犬を見て瞳ちゃんが言う。そして王騎君が言った。
「ヒトミに似ているな」
写真の女の人が瞳ちゃんに似ているのだ。僕らはこの写真の説明を求めた。
「これは何十年か前の写真でな。その頃の研究員だった女性が、離れ離れになっている自宅の犬を連れてきたいと申請したんじゃ」
その女性は研究員になった後、両親を失った。行き場のなかった飼い犬をここで飼いたいと申し出たらしい。特別に許可され連れてこられた柴犬のムギは、とにかく元気に走り回っていたという。
そして事件が起きた。
青の鍵で降りる際、脱走したムギが中に入ってしまったのだ。面白がった当時の研究員は、このまま連れていこうと言った。飼い主は反対したが、ムギは好奇心旺盛でその場を動こうとしない。
リードを持ってきてもらい飼い主も了承して共に降りたが、あまりに強く引っ張られる飼い主は、ムギを抑えきれなかった。そして、下がる床に出くわし、ムギは下に降りていった。
「その後どうなったんですか?」
僕は尋ねる。会長さんは首を横に振る。
「捜索してもムギは見つからんかった。恐らく死んだであろうと予想されていた」
「そのムギちゃんが虎太郎と同じ犬である可能性を考えているのね?」
鴎ちゃんが聞いた。会長さんはこくりと頷き、水を飲む。
「鑑定してみなければわからんが、ムギのデータも残っておる。もしかすると、ムギが海底ダンジョンで進化した可能性もあるのう」
「ムギちゃんの飼い主は、今は?」
瞳ちゃんが、少しだけ困った様子で聞いた。
「亡くなっておるよ。必死でムギを探し、疲労困憊で亡くなった」
「悲しい話ですね」
僕は、虎太郎を撫でながら言った。噛まれた。
「いてっ!」
ワンワンワンと鳴く虎太郎は嬉しそうに僕に駆け寄り、思いっきり足を噛んだ。
「痛い痛い! 何すんだ!」
僕はクラゲにも刺された方の足を噛まれて、痛みで悶えた。
「あれ?」
虎太郎が噛むのを止めて離れると、クラゲに刺された毒の痛みも引いていた。
「痛くない……」
靴を脱ぐと、腫れが引いている。
「まさか治療してくれたのか?」
僕は虎太郎の頭を撫でてやる。会長は驚いてひっくり返っていた。
「信じられん事象じゃ! これは研究のしがいがあるぞい!」
会長は虎太郎を抱きかかえ、唾液を採取する。
「海底ダンジョンの悪い物質を除去する能力を持っとるかもしれんのう」
すると研究室の入口から所長さんが現れた。怒りに震えている。
「オウキちゃん!!! もう一度勝負しなさい!!!」
それを会長さんが止めた。
「止めんか! お前は負けたんじゃ! 潔く引かんか!! 往生際が悪いぞい」
所長さんはプルプルと拳を握りしめを涙目で震えている。
「それで、トシゾウ。お前もここに用があるはずだろ?」
所長さんは俯いて、ズカズカと歩いていき、ドサッと採取したサンプルを置いてその後、部屋を出て行こうとする。
「これは何じゃ?」
会長さんが首を傾げる。
「死んでいたケルベロスの血と毛皮よ」
会長さんはびっくりしすぎて声にならない。風に当たってくると言って所長さんは出て行った。
「一体何が起きておる? お主らがなかなか帰ってこなかったのも関係あるのかのう?」
僕らは会長さんに今日あった事を説明した。虎太郎と出会い、十階層まで落ち、死んでいたケルベロスと出会い、黒毛のケルベロスに追いかけられ、ここまで帰ってきたこと。
「実はのう……、虎太郎君に出会ったことは既に聞いていたんじゃ」
もしかしてと思うと、やはり月詠さんが言ったらしい。そのあと月詠さんは、戻ったと思った僕らがまだ帰らないのを聞いて、何かを考えた後、別の降りるトラップから僕達を探しに行ったらしいのだ。
「ツクヨは大丈夫なのか?」
王騎君が心配そうに尋ねる。
「あの子はここのエースじゃから大丈夫じゃろう。ここにいる研究員のほとんどが、お主ら全員よりも遥かに強い。心配は無用じゃ」
それでも月詠さんや所長さんは、今この異常を感じていたように見えた。
「わかるぜ、ミツル。行きたいんだろ? 助けにな。だが、それは間違いだぞ?」
わかってる。だから悔しいんだ。今まで散々鍛えてきた僕ら全員まとめてかかっても敵わない様な人達が、挑む場所。それがこのシークルースクール六階層以降なのだ。
待つしかない。拳を握り唇を噛んだ。
「大丈夫よ。あなた達は強くなるわ。ワタシが保証する」
いつの間にか戻ってきていた所長さんが立っていた。
「トシゾウ」
「オウキちゃん、あなたは特に強くなりそうだわぁぁぁ!」
怒りに溢れていたが、どうにか抑える所長さん。
「あ、あの……」
鴎ちゃんが恐る恐る尋ねる。
「私達はライアさんって、呼んだ方がいいですよね?」
所長さんはニコリと笑って言った。
「別にいいのよぉ? 勝負してみても。絶対手も抜かないし、もう油断もしてあげないけど」
「ウチは最初からライアさんって呼ぶつもりしてました。人の嫌がることはしたくない」
瞳ちゃんがそう言うと、所長は僕を見た。
「ミツルちゃんは?」
「おい、ミツル。お前なら正面突破でも勝てるかもしれん。やってみろよ」
王騎君が割り込む。だが、僕は首を横に振った。
「ライアさん、と呼ばせてもらいますよ」
雷亜さんはニコリと笑って、僕らを抱きしめた。
「あなた達はいい子だわぁ」
「やれやれだな。それよりトシゾウ」
「ふぅーーー、いい加減お尻パンパンしてやりたいところだけど、まぁいいわ。何かしら?」
「一旦虎太郎はお前たちに任せて、俺たちは食事を摂りたいんだが」
確かにお腹が空いている。休息したいところだ。瞳ちゃんは虎太郎を抱きしめ、いい子にしてるんだよ? と言うと離れた。だが研究所をあとにしようとした時、虎太郎も出てきた。
「コラコラ、待たんか! 虎太郎君や」
虎太郎は瞳ちゃんから離れない。雷亜さんは腕を組んで何かを考えた後、こう言った。
「どっちみち、血液や毛は採取したし、世話はあなた達がするんでしょ? また必要になったら、あなた達が虎太郎を連れてくればいいのよ」
それもそうだな、と頷いた王騎君は、虎太郎を抱きかかえ、瞳ちゃんに渡した。瞳ちゃんは優しく撫でる。虎太郎は嬉しそうに鳴いた。
与えられた家に行くと、きちんと足の汚れを綺麗に拭き取り、虎太郎を家の中に入れた。
シークルースクール海上では試練に挑まない大人達、つまり支援者がいっぱいいたが、ここではそうはならないらしい。流石に素材はあるが、料理等は運ばれてこないのだ。食堂もあるらしいが、基本的には自分達で料理をするらしい。
僕らは当番制にした。そして、今日は王騎君が作ることになった。冷蔵庫から肉や野菜などを使い、野菜入り肉うどんを作ってくれた。
虎太郎には何を食べさせるべきなのか、僕らは悩む。雷亜さんは、犬が食べていいものを、食べさせてみようとした。だが虎太郎は何も食事をしなかった。ただ、水だけは飲んだ。
「何か考えてみるわ」
海底ダンジョンで生き残ってきた虎太郎は、もしかしたら食事をしなくてもいいかもしれない。だが、それも正しいか分からない。
弱ってからでは遅い。あらゆる手を尽くした。だが虎太郎は水しか飲まなかった。
「海底ダンジョンで取れた物も食べないなら、食事は必要ないかもしれないわ。水はちゃんと飲ませましょう」
雷亜さんはそう言う。そして、あとは好きにしなさいと言って出て行った。家の中を調べたがトレーニングルームなどはない。とにかく休めということだろう。
瞳ちゃんと鴎ちゃんは虎太郎に夢中だ。
「頭が三つもあるから最初は正直ギョッとしたけど、慣れてくると可愛いわね」
鴎ちゃんが言う。
僕と王騎君は、庭で模擬格闘をしていた。
「見ろ……、俺よりお前の方が強い。お前はトシゾウに挑んでみるべきだったと思うぞ」
大の字になりながら王騎君は言う。だが、僕は首を横に振った。
「パワーが違いすぎるよ。僕でも油断してないライアさんには勝てなかったと思う」
「あら、それは間違いだわ」
僕と王騎君は声のした方を向く。月詠さんが立っていた。
「おかえりなさい、ツクヨさん。僕らを追いかけていってくれたらしくて、ありがとうございます」
僕は頭を下げた。月詠さんは首を横に振る。
「新人君達を死なせるわけにはいかないもの。それよりあなた……、パワーが違いすぎるから勝てないと言っていたわね」
「はい。例えば組み合えば確実に勝ち目はありません」
それに対し、ふふふと笑った月詠さんは言う。
「私、所長に何度も勝ったことあるわよ。パワーでは敵わないけど」
「本当か!」
王騎君が目を輝かせて月詠さんに詰寄る。
「柔よく剛を制す、という言葉があるわ」
その言葉は知っている。だが雷亜さんは……。
「勿論所長は柔も備えてるわ。でも剛寄りなのよ。だからこそあなた達は柔を鍛えるべきだと思うわ。勿論パワーも付けなければいけないけどね」
僕らにとって興味深い話だった。僕らは、月詠さんに師事できないか尋ねた。
「私、教えるのは下手なのよ。マサヒロ君ならきっと上手く教えるんでしょうけど」
「可能先生は僕らの先生です」
「それなら基本は教わってるんじゃない? あとは応用するだけよ」
月詠さんはそう言った。彼女の動きは元々、可能先生の動きの応用だという。勿論今では、恐らくだが、可能先生より月詠さんの方がパワーは上だろうという。
それなら力をつけるべきではある。だが、やはり彼女に教わりたかった。彼女が可能先生の恋人だったから、それもあるのだ。
次の日、雷亜さんに頼んでみる。
「いいんじゃない? ワタシも毎回はついていけないし」
雷亜さんはこう続ける。
「どちらにせよ、今の異常事態の原因を突き止めるには人手不足よ。猫の手も借りたいくらいなんだから。月詠ちゃんをお手本にして学べるのなら、きっと強くなるわ」
そうして、月詠さんに色々稽古をつけてもらうことになる。
とはいえ、月詠さんは研究員のエース。忙しい。彼女はもう一度、一人で原因を調べに行きたいと潜って行った。
僕らはついて行こうかと思ったが止められた。
「まだまだ足手まといよ」
そう言う彼女は振り返らず行ったのだった。
「大丈夫。今はまだ海底ダンジョンが大人しい方だから。イレギュラーはあったけどね」
雷亜さんが言う。僕らはもっともっと鍛えなくてはいけない。
そう思い、トレーニングに励もうと僕らがトレーニング場所に向かおうとすると引き止められた。
「ちょっとだけでいいから協力してくれないかしら?」
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