15 笠松研究所

 新米吸血鬼のヒカルが冬馬の家に厄介になってから一週間後。修斗の店に、ハノンとヒカルがやってきた。時刻は夜九時になったところだった。他の客が居たため、ハノンは目配せをして、こっそりと「特別な一杯」を頼んだ。


「ありがとうね、修斗」

「今夜もいただきます」

「ええ、ゆっくりしていってくださいね、ハノンさん、ヒカルさん」


 修斗はハノンとヒカルに話したいことがあったのだが、人間のお客が去ってからでないとできないことだった。しばらくの間、二人は普通の人間のように、赤ワインを楽しんだ。


「ありがとうございます。おやすみなさい」


 夜十時過ぎ、人間のお客を見送った後、修斗は真面目な顔付きでハノンに言った。


「ハノンさん。笠松研究所とは、どうしましょうか?」

「それなんだよねぇ。ボクはあいつらと会うのは御免だし、やっぱり修斗に立ち会ってもらって、この店で話をするのがいいんじゃないかなぁ?」

「やはり、そうしましょうか」


 ヒカルは不安な面持ちで二人のやり取りを見守っていた。自分が一体何をどうすればいいのか、彼女にはまるで分からなかったのである。


「ハノンさん。その研究所の人たちって、こわい人たちなんですか?」

「昔はね。ボクも色々とやりあったよ」


 古い時代、笠松研究所は吸血鬼の討伐を第一として動いていた組織だった。吸血鬼を討伐するには、銀でできた武器を使う必要がある。銀の弾を込めた拳銃や、銀の小刀なんかが、彼らの武器であった。それを心臓に突き立て、吸血鬼を殺していたのである。

 ハノンはそういった歴史をヒカルに聞かせた。


「まあ、今は至って穏健派になってくれたみたいだね。とはいえ、ボクはあいつらとは会いたくないんだ。ヒカル、君が一人で彼らと話をして、存在を認めてもらうんだよ?」


 ハノンはヒカルの肩を軽く叩いた。


「そんなこと、できるでしょうか……」

「まあ、ヒカルさん。僕も同じ場に居てサポートしますから」


 修斗は二人の空になったグラスをさげ、人差し指を立てて言った。


「もう一杯、いかがです?」

「じゃあ、ブレンドで」

「アタシもそうします」


 そして話は、ヒカルの就職先のことになった。


「とりあえず、スナックとか受けてみることにします。水商売なら、吸血鬼のライフスタイルにも合わせやすいですし」


 ハノンはうんうんと頷いた。


「いいと思うよ、ヒカル。ボクはその辺詳しくないけど、応援はしてあげる」

「ありがとうございます。あとは、固形物が食べられないのをどう誤魔化すかですね……」


 ヒカルは宙に視線を泳がせた。


「それなんだよねぇ。ひとまずはダイエットしてるからっていう理由でいけると思うけど、逃げ切れる手じゃないからね」


 ぷらぷらと足を揺らしながらハノンが言った。


「やはり、吸血鬼の方がどこかに就職するのは難しいんですね」

「そうだよ、修斗。だからボクは、誰かパートナーを見つけて専業シュフをやるのが一番だと思ってるってわけ」


 そこでヒカルはポン、と手を叩いた。


「あのう、シュウさん。シュウさんと達己ってパートナーは居るんですか?」

「二人とも居ませんよ。この店での決めごとでしてね。多数の吸血鬼にこうして血を提供する間は、誰のパートナーにもならないことにしているんですよ」

「なんだぁ……」


 目論見の外れたヒカルは、がっくりと肩を落とした。


「パートナーって、どう見つけたらいいですかね?」

「難しい質問だね。ボクと冬馬だって、偶然の出会いだった。酔血持ち自体が珍しいからね。そうやすやすと見つかるもんじゃないよ」

「そうですか……」


 ヒカルは自分の短い髪を右手でいじり始めた。


「まあまあヒカル。しばらくはボクと冬馬がついてるからさ。この店だってあるし。とにかくどこかに落ち着いて、それからゆっくり探せばいいよ」


 次に話題に上ったのは、ヒカルの住居についてだった。


「ヒカルの身分証上での年齢は二十八歳。まだ誤魔化せる。だから、冬馬に保証人になってもらって、どこか部屋を借りることにしてるんだ」


 ヒカルが吸血鬼になったのは五年前だ。住民票は元の所に置いたままだったが、郵送で転出届けを出してやり取りすれば、書類上問題は無さそうだった。若い吸血鬼には、こういう手段がまだ使えるのである。


「しかし、ずっと使える手では無いんですよね?」


 修斗が聞いた。


「そうなんだ。外見が変わらないのを怪しまれたら終わり。その間にパートナーを見つけて、何とかしなくちゃいけない。まあ、その辺アカリとかは上手くやってきたからね」

「アカリさんって、ハノンさんの娘さんですよね?」

「うん。そうだ、またアカリと三人でこの店来ようか?」

「ええ、ぜひ!」


 嬉しそうなヒカルの様子に水をさすようだったが、それでもハノンは言うべきことを言った。


「でも、まずは研究所の奴らを何とかしてからだ。修斗、手配してくれる?」

「はい、お任せください」


 修斗は自分の胸に右手を当て、一礼した。

 その日の営業が終わり、翌日の昼過ぎになってから、修斗は烏原に連絡を入れた。三日後に、店を貸し切り状態にして、ヒカルと笠松研究所との話し合いが持たれることになった。

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