14 スプモーニ

 脩斗が多くの客の対応に追われた翌日の土曜日。今夜は達己だけがオープンからラストまで立つ日だった。初めてのお客は、開店してから二時間後に現れた。吸血鬼だ。


「こんばんは。今夜は達己一人?」


 アカリは上目遣いでそう聞いた。達己は背が高い方では無かったが、アカリがかなり低いので、それなりに身長差はあった。


「そうだよ、アカリちゃん。そちらは……」


 達己はアカリの後ろに立つ男性を見上げた。


「うん、パートナーの弘治」

「初めまして、弘治です」


 一目で弘治が自分よりも年上だと感じ取った達己は、態度をあまり崩さないようにしようと決めた。


「うちの店に弘治さんが来るのって、初めてですよね?」

「うん、そうだよ。それでね、今夜はあたし、特別な一杯は頼まないから。普通のカクテルか何かちょうだい」

「そっか、それは残念」


 アカリに自分の血を飲んで貰うことが好きな達己にとって、それは寂しいことだったが、お客さまの要望とあらば仕方がない。

 少しの間、ずらりと壁に並んだボトルを眺めていた弘治だったが、決めきれずにこう言った。


「おれはとりあえずビール貰おうかな」

「かしこまりました。アカリちゃん、どうする? カンパリベースとか好きだったよね?」

「うん、あの赤いやつね?」

「そうそう。スプモーニでも作るよ」


 達己はまず氷をグラスに入れてバー・スプーンでかき混ぜた後、グレープフルーツを絞った。それからトニックウォーターを入れた後、軽くステアした。そしてビールサーバーからビールを注ぎ、余分な泡をスプーンで取り除いた。

 そうした一連の動作を、弘治は興味深げに見つめていた。彼は酒は好きだが、居酒屋に行くことしかなく、こうしたショットバーへ来たのは初めてのことだった。


「お待たせいたしました」


 酒が運ばれてきて、二人は乾杯をした。スプモーニの酸味がアカリの舌をはしゃがせた。たまには酔血でなく、普通の酒を味わうのも楽しい。そう思いながらアカリは弘治の方を見た。普段の居酒屋とは比べ物にならないほど、まろやかな泡をしたビールに、心底感嘆している様子だった。


「達己、リース出さないの?」

「シュウさんがクリスマス気分になるまでは出さないよ。だからもう少し先かな?」

「アカリ、そのリースってもしかして」

「うん。あたしが作ったやつだよ、弘治」


 手先が器用なアカリは、去年クリスマスリースを作ってこの店にプレゼントしていた。それと同じ物が弘治の家にもあった。


「うちはもう出したよ」

「アカリったら、いつまでも子供っぽいんだから。サンタなんて来ないのに、クリスマスが来るのを今から楽しみにしてるんだよ?」


 弘治はアカリの腕を肘で小突いた。


「弘治があたしのサンタなんでしょう? プレゼント、期待してるから」

「はいよ」


 二人の仲むつまじい様子に、達己はすっかり妬けてきた。だからこんな意地悪を言った。


「この間の喧嘩はもういいの?」


 それを聞いた弘治はバツの悪そうな顔をした。


「もう他の女の子とは会わないから」

「別に、会うなって言ってるわけじゃないよ? 事前に連絡しろって言っただけ」


 アカリはタバコを取り出した。つられて弘治も自分の分をポケットから出した。達己は灰皿を二つ置いた。弘治の銘柄は、達己とは違うものだった。


「そういえば、タバコの種類によって血の味が変わったりとかするわけ?」


 達己が聞くと、アカリは悩み出した。


「うーん、分かんない。弘治はずっとラッキーストライクだからね。そんなこと聞いてどうするの?」

「いや、タバコ変えて血の味が変わったらダメかなぁって思っただけ」

「達己、タバコもコロコロ変えてるの?」


 アカリは足を組んだ。


「いいや、俺はタバコだけはずっと同じの」

「ふぅん、タバコだけは、ね」


 弘治はアカリから達己のことをいくつかすでに聞いていた。決まった相手がおらず、遊び歩いているということも。


「達己くん、男のおれから見てもシュッとしててカッコいいからね。相当モテるんでしょう?」


 弘治は達己を見上げ、目を細めた。


「アプリでは顔より紹介文やメッセージが大事っすからね。そんなに釣れないっすよ?」


 達己は弘治に対抗心を燃やし始めてしまっていた。それでこんなことを言った。


「弘治さんもカッコいいっすよ。アカリちゃんのパートナーとしてぴったりって感じで」

「そんなことないよ」


 二人の男が互いを褒め合うのを、アカリは可笑しそうに眺めていた。今夜は特別な一杯を頼まないと言ってしまったが、それで良かったのだと彼女は思った。


「弘治さん、スナックでもつまみます?」

「いいの? じゃあちょうだい」


 達己は、輸入菓子を扱う店で購入したトウモロコシのスナック菓子を、小さな皿に出して弘治に差し出した。


「これ、旨いね」

「うん。ビールに合うでしょう?」

「そうだ。達己も何か飲みなよ」

「じゃあ、アカリちゃんから一杯いただきまーす」


 達己はハイボールを作り、三人で乾杯した。

 その日アカリたちは、一杯だけで店を出た。残された達己は、カウンターを拭きながら、弘治のくっきりとした目鼻立ちを思い返していた。それから、自分の顔をそっと撫でた。


「アカリちゃんはああいうのがタイプかぁ……」


 思わず出た独り言に、達己は驚いた。一体自分は何をしているんだろう。彼はふるふると首を振り、後片付けの続きをした。

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