10 ヒカル

 笠松研究機関からの物騒な来客があってから一週間後。夕方から雨が降り始め、脩斗は渋い顔をした。あんな店名をつけておきながら、彼は雨が好きではない。スマホで天気予報を確認すると、今日は夜通し雨が続くとのことだった。

 達己は今日は休みだった。何人かの人間のお客を送り出した夜十時頃、吸血鬼が顔を見せた。ハノンだった。そして、もう一人、脩斗の知らない金髪でショートヘアーの女性が店に入ってきた。


「こんばんは、脩斗。今日は新しいお客さん連れてきたよ」


 その女性の髪型に、脩斗は覚えがあった。烏原から見せられた、風俗嬢によく似ていた。


「その方も、吸血鬼ですね?」

「そうだよ。ヒカルっていうの。ヒカル、この人が脩斗。みんな、シュウさんって呼んでる」

「初めまして、シュウさん。ヒカルです」


 ヒカルは黒いパーカーに淡い色のデニムをはいていた。ハノンはというと、いつものスーツ姿だ。二人は奥の方の席に腰かけた。


「脩斗、ボクたちに特別な一杯を。とりあえず君のやつだけにしとくね」

「かしこまりました」


 修斗が小瓶を取り出すのを、ヒカルはしげしげと眺めていた。この中に、彼の血が入っているのだ。彼女はようやく酔血を飲めることに心臓を高鳴らせた。しかし、ショットバーという場に彼女は慣れていない。そわそわとする彼女の様子を、ハノンは暖かく見守っていた。


「どうぞ」

「い、いただきます」


 ヒカルは震える手でワイングラスを掴むと、一口飲み、目を丸くした。こんなにも美味しい血を味わったのは本当に久しぶりだった。


「すっごく美味しいです……!」

「でしょう? 修斗の血は格別なんだ。今夜はボクが奢るから、気にしないで飲んでよ」


 修斗は早めにあの話題を出しておいた方が良いだろう、とハノンに向かってこう切り出した。


「最近、笠松研究所の方がいらっしゃいましたよ。金髪の女性の吸血鬼をお探しでした」

「それって……」


 ヒカルはきゅっと身を縮めた。


「ええ、ヒカルさんのことだと思います」


 ヒカルは笠松研究所のことを全く知らなかった。それだけではない。吸血鬼として人間社会で生きる流儀を彼女はまだ兼ね揃えていなかった。


「ねえ、ハノンさん。その、研究所って、何?」


 怯えた目をしながらヒカルが聞いた。


「吸血鬼を狩る奴らのことだよ。ヒカル、やっぱりあんたマークされてたみたいだね」


 それから修斗は、事の次第をハノンとヒカルの両方から聞いた。ヒカルは風俗嬢として客と二人きりになり、その最中に血を抜き取って生活していたというのだ。


「たまたま、道ですれ違ってね。同族だって気付いたわけ。それで声をかけたら、デリヘルの客の血を吸ってるなんて言うもんだから、説教してからここへ連れてきたってわけ」

「そうでしたか」


 人間には、吸血鬼かどうかの見分けはつかないが、同族同士だと勘のようなものが働くらしい。高齢な吸血鬼であるハノンが、そうして若い吸血鬼の世話を焼くのも、これが初めてではなく、何度かこういったことがあった。


「ハノンさんに先に保護してもらっていて良かったです。危ないところでしたね?」

「そうだね、修斗。ヒカル、酔血を飲めば一週間は身体が持つ。だからもう、普通の人間を無差別に吸うようなことはしちゃダメだよ?」

「はい、わかりました」


 しゅんとするヒカルの肩を、ハノンは軽く叩いた。


「親は誰だって言ってたっけ?」

「ヒロコさんです」

「ボクの知らない吸血鬼なんだよね。もし出くわしたら、そいつにも説教するよ」


 ハノンは、こんな風に「娘」を放り出した「親」の吸血鬼にも憤っていた。風俗嬢である立場を利用して、多数の男の生き血をすするような真似をすれば、たちまち笠松研究所から目をつけられる。だから、パートナーを決めて、その一人からのみ血を分け与えてもらえというのが彼のやり方だった。実際、彼やアカリがそうしているように。


「ヒカルさん。ここは、午後七時から翌二時まで開いています。火曜日が定休日です。それ以外の日でしたら、いつでもお立ち寄りください」

「ありがとうございます……」


 ヒカルはもう一口、赤ワインを飲み込んだ。まろやかな感触が口の中に広がっていった。お金を払うだけで、これだけの血を頂けるのなら、願ってもいないことだ、と彼女は思った。


「あと、ヒカル。もしよかったら、しばらくうちに来る? 今はホテル暮らしなんでしょう?」

「えっ、良いんですか? ハノンさん」


 ヒカルは身を乗り出した。


「もちろん。スマートなやり方で、君が暮らしていけるようサポートはしてあげる。まあ、もちろん冬馬の血は飲ませないけどね? あれはボクだけの酔血だ」

「はい、ありがとう、ございます……」


 涙ぐむヒカルの背を、ハノンは優しくさすってやった。「親」から放り出されて、こんな風に路頭に迷う若い吸血鬼たちの姿を、彼はいくつも目にしてきた。そして、笠松研究所がすでに動き出していることに考えを巡らせた。それは修斗も同じだった。


「研究所の方々には、しばらくヒカルさんのことは伏せておきますからね」

「助かるよ、修斗」


 ヒカルは二人のはからいに、心底感謝していた。そして、身の上を語り始めた。

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