03 荒田達己
「どーも。アカリちゃん、久しぶり」
入ってきた達己は、アカリの姿が目に入るなり真っ先に声をかけた。
「達己、髪伸びたね?」
アカリがそう言うと、達己は修斗の顔を上目遣いで覗き込んだ。脩斗は背が高いので、自然とそういう格好になるのだ。
「シュウさん、そろそろ切った方がいい?」
達己の黒髪は、シャツの襟にかかるほどの長さになっていた。
「いえ、いいですよ。そのくらいの方が達己には似合います」
「そっか。しばらくこのままでいくわ」
雇い主とアルバイトという関係ではあるが、達己は修斗に対して敬語を使わなかった。それは、彼がまだこの店の客だった頃からの口調だった。修斗はそれを許していたし、彼は誰に対しても丁寧語を使う癖があるため、二人の間のやり取りはこんな風であった。
そして、達己ももちろん、「酔血持ち」だった。
「アカリちゃん、シュウさんのは何杯飲んだ?」
「二杯だよ」
「じゃあ、俺のも最低二杯な?」
「わかってるって」
達己はカウンターに立つと、赤ワインを注ぎ始めた。彼はアカリに自分の血を飲んでもらうことが好きだった。久しぶりに会う彼女に、本当はもっと話しかけたい気分だったが、まずは自分の一杯を味わってもらおうと、真剣な目付きで「特別な一杯」を作った。
「どうぞ」
「ありがとう」
アカリはワイングラスを手に取ると、まずは香りを確かめた。これは吸血鬼にしか判らないことだが、喫煙者である達己の血は、多少ピリッとした感覚がある。味もまた、刺激があるもので、修斗のものとは全く違う。彼女はそんな二人の血の違いをよく理解していた。
「どうせ他のお客さんも来なさそうだしさ、愚痴っていい?」
「いいよ、アカリちゃん」
そう達己が言うと、アカリはパートナーである
「弘治がさ、他の女と二人で飲んできたんだよ。それ自体は別に良いんだ。あたしに前もって言わなかったのがムカついて、言い合いになっちゃった」
「そうでしたか」
修斗は空になったワイングラスを洗いながら、アカリの話に相槌を打った。
「もうあんたの血なんか飲まない、って言っちゃってさ」
「それ、とっとと仲直りした方がいいやつじゃねぇの?」
「わかってるよ、達己。でもあたしからは謝りたくないの」
吸血鬼とはいえ、人間と同じような悩みを持つことも多い。今回は単なる痴話喧嘩、そう長引かせるようなものではないだろうと達己は考えていた。
「俺だったら、今度からは事前に言えって約束させて、終わりにするけどな」
「約束ならとっくにしてた。今回はそれを破ったの」
この愚痴は長くなりそうだ、と修斗は思った。アカリは頑固なところがある。達己の一言や二言で考えを曲げるような性格では無い。しかし、アカリの言った通り、他の客は誰も来なさそうだった。雨は弱くはなったがまだ降り続いていた。今夜はとことん愚痴を聞いてやろう、と優しい
「達己、あんたの二杯目ちょうだい。しばらく弘治のは飲まないから」
「はいはい」
喧嘩の結果とはいえ、こうして店に来てくれることを達己は喜んでいた。アカリに弘治というパートナーが出来てから、彼女の来店回数はめっきり減っていたからだ。多数の吸血鬼に自分の血を提供している彼であったが、やはり飲んでもらえて嬉しい相手というのは居る。
「そもそも、他の女性と二人で会っていたと何故分かったんです?」
修斗が聞いた。
「匂い。吸血鬼はそういうの敏感なんだよ」
「うわっ、こえぇ」
達己は身をのけ反らせた。
「達己、今さらこわいとか言う? こんな仕事しといて」
「いやいや、付き合ってるのが普通の人間の女だけで良かったって思っただけ」
「あんた、今何人居るの?」
「最近はセーブしてるよ? 定期的に会ってるのは一人だけ」
決まった恋人を作らないのが達己の主義で、それはこの店の常連ならよく知っていたことだった。アカリはそれを内心良くは思っていないが、ただの客とバーテンダーの仲である。あまり苦言を呈さないようには気を付けていた。しかし、今夜は酔血が回ったのか、口うるさくなってしまっていた。
「達己も気をつけなさいよ? あまり色々手をつけるようだったら、いつか刺されるかもね」
「生き血を抜かれるよりはマシかな?」
「あんたねぇ」
それからアカリは、ひとしきり弘治の愚痴を言った後、清々しい気分で店を出た。
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