目の前で

 エレベーターが一階に下りるまでの間、ずっと彩香さんは僕を犯人扱いしていた。

 太一くんは、相変わらず人の神経を逆なでする笑みを浮かべている。


 つい、この間まで聞き流していたはずの声。

 太一くんの態度や目つき、バカにすることさえ、どこか他人事のように僕は流していたんだ。


 なぜ、こんなにイライラするのか。


 この二人より、妙な知識がついたからというのは、頭では分かっている。

 だけど、言葉ではまだ表せていない所が、ぼんやりと自分の中にあって、その『何か』がずっと自分の嫌な所をグイグイと刺激してくるのだ。


 僕を犯人だと疑うのは結構だ。


 でも、『どうして調べてくれない』んだろう。

 冷静に、具体的に。

 ただ、感情だけをぶつけられても、それは不快でしかなかった。


 まるで、人の形をした、異形が人ではない感情で、唸り声を上げているみたいだ。


 いや、たぶん、変わったのは、僕なのかもしれなかった。


 エレベーターの扉が開いたと同時に、耐え切れずに出て行こうとする。


「何か言い返したら?」


 すぐに腕を掴まれ、扉の前で彩香さんが引き留めてくる。

 太一くんはエレベーターの中で、僕達二人を嗤っている。


 無知な厄介者と傍観者に板挟みにされて、僕は「何もないよ」とだけ言い、立ち去ろうとする。


 僕が疑わしいという理由はあるんだろうけど、怒っている理由は、やはり僕が反抗したことだろう。

 根拠もないのに、しつこいのはそういうことだ。


 少し乱暴に腕を振り、前を向く。


「っと」


 お掃除ロボットが、三台ほど並んでいた。


 どおりで、人がエレベーターに乗らないわけだ。

 僕と彩香さんはロボットを避ける。


「ちょい、ちょい! 俺、乗ってるって」


 太一くんはロボットから奥へ押し込まれていく。


 そして、エレベーターが閉まった。

 のに。


「チッ。何やってんの、あいつ」


 この光景を僕は過去に見たわけじゃないけど、妙なざわつきがあった。

 途端に、イラ立ちが引っ込んでいき、代わりに冷たい汗が背中を伝う。


「なんか、……おかしいな」

「おかしいのはお前だろ」


 彩香さんを無視して、エレベーターの『表示灯』を確認する。


 エレベーターは上へあがっているようだ。


「あー、……チッ。ほんと、腹立つ。お前、マジで覚えておけよ」


 足を蹴られるが、無視。

 僕は表示灯を眺め続けた。


「聞いてんのかよ」

「彩香さん。太一くんって、これ、どこ行ってんの?」

「知らないよ」


 一緒に表示灯を確認する。

 始めはイライラしていた彩香さん。


 5階を過ぎた辺りで、「んん?」と眉間に皺が寄っていた。


 表示灯は切り替わりを続け、確認すること、数分。


 エレベーターは、『R』に変わった。


「あいつ、バカじゃないの。何で屋上にいんのよ」


 気が付けば、後ろには他の患者さんや見舞い人。

 看護師の人が列を作っており、ボタンを押さない僕らの代わりに、上の矢印を押す。


「あらぁ。下りてこないねぇ」


 なんて事を年配の看護師が言った。

 そう。ずっと、下りてこないのだ。


「まだ、中に人がいるんですけど」


 彩香さんは看護師の人に言うと、「いつからです?」なんて聞き返される。


 屋上に着いてから、さらに数分は経過した。


 僕はそのままジッと表示灯を見つめる。

 ふと、Rの文字が消えてしまった。


「えぇ? 故障?」


 他の人達は不満そうに声を上げた。


 周りを見渡し、何となく僕はその場から離れる。

 嫌な予感がした。


 僕が離れると、彩香さんは僕を睨みつけ、首のシャッカルを指で押す。

 通話がきたようだ。


「屋上で何やってんの? は?」


 と、彩香さんが会話をしている一方で、僕はエレベーターの奥から聞こえる異音に耳を澄ませた。


 カチャン、カチャン。という軽い音。


「修理の人くるでしょ。待ってれば?」


 腕を組んで、壁に寄りかかると、不機嫌そうにしながらエレベーターを見守る彩香さん。


 次第に不安げな顔になっていき、「ちょっと、大丈夫?」と、声を掛けていた。


『下に参りま~す』

「は? だれ?」


 モリコの声は僕にも聞こえた。


 次の瞬間だった。


 扉の奥から、ギギギと明らかに普通じゃない異音が聞こえた。


「ねえ。ねえって! 分かんないよ! 落ち着いて!」


 彩香さんが強めに言って、僕の方を振り返る。

 一方で、僕はエレベーターの扉を見つめていた。


 一瞬だけ、縦に明かりが過ぎる。


 中の様子までは分からなかった。


 明かりが通り過ぎた直後、『ゴン』と、とんでもない破壊音が扉の向こうから聞こえた。

 足の裏には、床を伝って小さな振動がやってきた。


「……なに?」


 通話中だった彩香さんは振り返り、呆然とする。

 エレベーターが、落ちたのだ。


 知っている人は知ってるだろうけど、エレベーターなんて、おいそれと簡単に落ちるものではない。


 それが目の前で落ちたのだ。


 *


 後から知ったが、病院のエレベーターは、『機械室きかいしつ』と『制御装置せいぎょそうち』が焦げていたらしい。


 また、本来衝撃を吸収する役目の『緩衝装置かんしょうそうち』がエレベーターの真下にはあるのだが、それが『あり得ない引っ込み方』をしていたとのこと。


 摩擦まさつを抑える『案内装置あんないそうち』は緩んでおり、どうしてこうなったのか、業者にも分からないそうだった。


 ともあれ、太一くんは僕らの目の前で死んだのである。

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