二人の現状

 結局、昨夜は寝付くことができなかった。

 頭は痛いし、脳裏に焼き付いたモリコのお尻や胸の谷間が、ずっと離れてくれなかったのだ。


 等身大の気持ちを表すのなら、僕だって男だから、エロいことは好きだ。


 これが画面越しに見ていた二次元(3Dを含む)なら、『完全に空想の産物』だから、遠慮なく趣味として楽しむことができただろう。


 ところがモリコの場合、好きな子と同じ姿をした『現実の女』である。

 現実となれば、エロい目では見ても、遠慮なく色々な物を発散とはいかない。


 罪悪感が半端ないのだ。


 しかも、自分のやったことに対して、そのまま反応があるだろう。


 この明確な違いが、僕を悶々もんもんとさせていた。

 そして、これは『現実の女』という定義が曖昧になるけど、触れる事ができない。


「う、うぅ……」


 きつかった。

 別にエロい事に限らず、ただ手を握る事ができたら、純粋な気持ちは満たされる。

 だが、それさえできない。


 同じ現実なのに、存在している次元が別。

 何とも言えない矛盾を前に、僕は頭を抱えた。


「一人になれる場所にいこ」


 昼食を取らずに、教室を出た。

 階段の踊り場なら、頭を冷やせるかもしれない。


 そう思った僕は、モリコの艶めかしい姿にりつかれながら、廊下を歩く。


 いっそ、屋上に行こうか。


 なんて事を考えながら、踊り場の角に差し掛かる。


「は? 知らないんだけど」


 刺すような鋭い声が角の向こう側から聞こえた。

 反射的に隠れた僕は、角から頭半分を出して、様子をうかがう。


 彩香さんだ。


 イライラした様子で、壁に寄りかかっていた。

 腕を組んで、何もない所を睨みつけており、片方の耳にはイヤホン。


 誰かと通話をしているようだ。


「つか、アンタ終わりだよ。何、無理やりしちゃってんの? は? 知らないっつうの。学校中に流れてたんだから」


 もしかして、これ警察とか動いたら、病院に警官が来るんだろうか。

 まだ、被害届とか出されてないのかな。

 どのみち、時間の問題だろうけど。


「見舞いなんて行かないけど」


 彩香さんが髪を掻き上げる。

 学校に漂う湿ったコンクリートの臭いに混じって、ふわりとシャンプーの香りがこっちに運ばれてきた。


 その瞬間、さらにモリコと生きる世界の違いを突きつけられ、僕は無性に悲しくなった。


 生きる世界の明確な違いは、『におい』である。


「別れるって決めてんだけど。最後に? へえ。言い訳聞きに行かないといけないんだ」


 太一くんと彩香さんのカップルは、もう終わりを迎えていた。


「……なに、脅し?」


 彩香さんが眉間に皺を寄せ、こっちを振り返った。

 間抜けな僕は目と目が合ったのに、しどろもどろになるだけ。


「わかったから。……後で」


 首のリングの側面を押し、通話を切る。

 すると、彩香さんが腕を組んで睨みつけてくる。


「……なに?」

「あ、や、……太一くんと通話してるのかな、って」

「そうだけど?」

「へえ。あー、そっか」


 その場から動けず、じっとしてしまう。


「用ないなら、行くけど」


 用なんてない。

 だから、行かせてしまえばいい。


 本当なら、それで済んだはずだけど、僕はなぜか会話を長引かせようとしてしまい、「あのぉ」と言葉を続けてしまう。


「見舞いに行くなら、……僕も行っていいかな?」


 不快感に表情が歪み、彩香さんが「はぁ?」と声を上げた。


「行く理由ないでしょ」

「いやぁ、まあ、なんていうか。クラスメイトだし」

「キモいから無理」


 一蹴いっしゅうして、彩香さんは脇を通り過ぎていく。


「だよね」


 肺に溜めこんだ空気を吐き出し、かゆくない頭を掻いた。


『気になるの?』


 全ての会話を聞いていたモリコが、聞いてくる。


「まあ、どうなってるのかな、って」

『んじゃ、放課後、尾けちゃおっか』

「彩香さん達に悪くない?」


 すると、モリコが言った。


『……遠慮してるの?』


 いつもと変わらない声なのに、一瞬だけ背筋が冷たくなる。


『今日は、病院まで散歩しようよ。ね?』

「うん」


 たまに、モリコがとても怖くなるんだ。

 何で、怖いのか、僕自身分からないんだけど。


 こうして、放課後に病院へお見舞いに行く事になった。

 正確には、尾行だけど。

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