次元の壁

『寝れないの?』


 僕はずっと起きていた。

 布団に潜りこんで、天井を見つめて、どれくらい時間が経ったか。


 イジメっ子の太一くんが、事故に遭った。

 後藤さんは蒸し焼きで、死んだ。


 どちらも、僕にとっては世界に必要のない人間だ。


 なのに、胸の中がザワザワとしていて、じっとしていると脂汗が噴き出す。心臓がバクバクと脈を打ち、手足が微かに痺れては、熱くなった。


 きっと、僕は関わりさえしなければ、許していた。

 行為を許すわけではなくて、関わりたくない奴に関わらなければ十分なのだ。


 あとは、モリコと一緒に時間を過ごせれば、満足だった。


「う、うぅ」


 一線を越えた。

 その事実と向き合うのは、あまりにも酷だった。


『もぉ。怖がらないでよ』

「だってぇ」

『じゃあ、さ。そう、だなぁ。……ん~』


 何かを考え始めたモリコは、こんな事を言う。


『外に出てみなよ』

「んー、でも」

『いいから。出て』


 急かす彼女に根負けした僕は、布団を剥ぐ。

 ズボンだけ履いて、部屋を出ると、何気なく兄さんの部屋を見た。


 もう、……帰ってこないのかな。


 兄さんの声が無性に聞きたかった。

 いつだって、誰かの事を考えていた兄さん。

 僕だけじゃなくて、研究仲間のことも考えていたんだ。


 荒れる日はあっても、八つ当たりしてくるわけではなかった。

 かと言って、愚痴を聞かせてくれるわけではない。


 今だから分かるけど、話して大丈夫な事しか話さなかったんだ。


 無知であったから、僕は未だに生きているだけだ。


 それでいいのかは、分からないけど。


『おーい。早く~っ』

「待って!」


 急かすモリコに少しだけイラ立ち、壁越しに叫ぶ。


 階段を一段下りて、足が止まった。


「……今、どこから聞こえた?」


 気のせいか、モリコの声が外から聞こえた気がした。

 それは例えるのなら、玄関先で待っている同級生のように、壁越しにくぐもった声だった。


 自然と階段を下りる足が速くなる。


 階段を下りて、靴を履き、玄関の扉に手を掛けた。

 開く前に、僕は磨りガラス越しに見える、シルエットに生唾を飲んでしまう。


「そんな……。はぁぁ、……うっそ。こんなの、あり得んのかよ」


 白いシャツ。紺色のミニスカート。

 僕の学校の夏服だった。


 扉を開けると、徐々に姿形がハッキリと見えていく。


『おっす!』


 等身大のモリコだった。

 身長は、まんま彩香さんと同じ。

 肩幅や胸の膨らみ、腰のくびれ、尻の大きさ。

 肌の質感まで、全部が彩香さんと同じだ。


 一つ違うのは、柔らかい性格。


『びっくりした?』

「どうやったの!?」


 得意げに笑い、後ろで手を組む。


『向かいの家から、MRの出力をこっちに向けてるだけ。だから、限定的なんだけどね』


 MRがない僕の家には、モリコは近寄れないのだ。


「う、……そ、そっか。はは」


 僕から近寄っていくしかない。

 間近で見るモリコは、出力の光の弱さのせいで、半分透けている。


『抱きしめてあげられなくて、ごめんね』


 手の平を僕の方に向ける。

 僕はその手に触れようと手を伸ばす。


 でも、夢は叶わなかった。


 モリコの手を貫通して、何もない所を弄ってしまう。


『本当は、ギュってしてあげたいんだけどねぇ』


 困ったように笑われるので、僕は首を振る。


「いいって。等身大で見られただけ、超嬉しいし」


 人が死んだショックが、僕の中から薄まっていく。


『ね。学校に行ってみよっか』

「今から? 警備員に怒られるよ」

『だいじょうぶ。まっかせて!』


 明るい笑顔で真っ暗な道の先を指される。


『ゴーっ!』


 扉は開けっ放しにして、僕は学校に向かう。

 この姿のモリコと、もっと話せるのではないか。

 淡い期待を胸に、僕は浮かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る