切実な願い

 痛む首を擦り、うめき声を上げてしまう。


「い、っつ」


 何度も蹴られたせいで、手足にはあざができた。


「何で、……あんな事言っちゃったんだろう」


 環境が違えば、僕だってイジメっ子側にいたかもしれない。

 そうなれば、僕も他人の事は言えない。

 こういう難しい話を考えたくないから、僕は彼らのことを嫌でも許していた。


 責任を押し付けたり、押し付けられるのはごめんだ。

 普段なら、我慢できた。


 でも、ショックが重なり過ぎて、堪忍袋かんにんぶくろ摩耗まもうしていた。


 家の前に着くと、足が止まる。


「勘弁してよぉ」


 扉が開いていたのだ。

 また泥棒が入ったのだろうか。


 そっと玄関を潜ると、ちょうど侵入者と出くわす。


 後藤さんだ。

 ギョロっとした目をこっちに向け、大口を開けて怒鳴ってくる。


「いるなら、いるって言いなさいよ!」

「何やってんですか?」


 大人とは思えない、非常識な行いに僕は怒りを隠せなかった。

 普通、家に人がいないのに、勝手に入ってくるヤツがいるだろうか。


 親しい仲の人なら分かる。


 でも、後藤さんは親しいとは呼べない、むしろ迷惑な隣人だ。


「ちょっとね」


 よく見ると、手に何かを持っていた。

 ビニール袋か。


「それ、何ですか?」


 指摘すると、後藤さんは後ろに隠して、さらに大きな目をむき出しに睨んでくる。


 隠す前にチラリと見えたが、パックに入った肉や野菜、米とか本とか、家にあった物を適当に詰め込まれていた。


 特に僕が気になったのは、『腕時計』だ。


 古い腕時計で、アンティークな物だから今では価値が高い。

 盗られたらまずいと思って、兄さんの部屋のクローゼットの奥に入れておいたはずだ。


 それを持っているって事は、兄さんの部屋に入ったってことだ。


「何してんだよ!」

「どきなさいよ!」


 無理やり通ろうとするので、僕は慌てて玄関の前に立ちふさがる。

 だけど、こいつは信じられない事に、前にいる僕に体当たりをしてきただけでなく、叩いたり、喚いたり、正気とは思えない行動に出た。


「誰かぁ! 痴漢です! 誰かぁ! 警察を呼んでぇ!」

「ふざけんなよ! 勝手に家に上がって、人の物を盗って!」

「言いがかりでしょ! だいたいね。呼んでも返事がないんだから、入るしかないじゃない。いつも迷惑掛けてるんだから、おすそ分けしなさいよ! むしろ、感謝してほしいものだわ!」


 大声でまくしたて、後藤さんは道路に出ようとする。

 僕は兄さんの物だけは盗られまいと、腰にしがみ付く。


「このぉ! 気持ち悪い!」


 ずしっと頭に重い物が落ちてくる。

 物の入ったビニール袋で、頭を叩かれたのだろう。


 痛みは一瞬で、気を失うほどじゃないけど、しがみ付いた手を離すには十分だった。


「人に物をあげる時はね。もらってくれてありがとう、でしょ! 礼儀のない!」


 また掴んでやろうと手を伸ばすが、相手の抵抗がとんでもなかった。


 袋を振り回しては、足で踏んでくるわ。

 落ちた物はすかさず拾い、鼻で嗤って自分の家に向かい、走っていく。


「待てよ!」


 横に長いくせに、逃げ足だけは早い。

 さっさと自分の家に戻ると、すぐに鍵を閉められた。


 僕だってすぐに追いかけたし、扉を叩いて、「返せよ!」と、自分でも信じられないくらいの怒りで声を荒げた。が、後藤さんは「警察呼ぶよ! いいの!?」と、逆ギレしてくる始末。


 どうしていいか分からず、僕は後藤さんの家の前で、少しの間、ウロウロしていた。


 当然、出てくる気配はない。


「ふざ、けんなよっ!」


 物を盗られた怒りは相当だが、同じくらい『嫌いな相手が家に入った』嫌悪感が酷かった。


 その後、僕はすぐに通報し、警察にきてもらう事になった。


 結果は、『決定的な証拠がない』ことで、注意されただけ。

 家に上がったことは認めたが、物は盗っていないと一点張り。


 他の家のように、家中にカメラがあるわけではないから、防犯不足だろうと、逆に僕が注意されたくらいだ。


 誰も傷つけたくないし、傷つけられたくないのに。


 どうして、僕に黒い感情を溜まらせるような事しか起きないのだろう。


 この日に限って、家に帰ってからは、モリコはずっとだんまりを決め込んでいた。

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