放心
体育倉庫の一件で、太一くんは彩香さんの機嫌取りに必死。
どうやら、太一くんが『彩香さんのいやらしい動画』を撮っていた事に怒っているようだった。
盗み聞きした会話から察するに、『消したはず』の動画を突きつけられ、キレたらしい。
二人がそんな感じなので、今日は珍しくイジメられる事がなく、下校する事ができた。
校舎から続く緩やかな下り坂。
そこを抜けると、いつも目にするラーメン屋のAIが見える。
「マジでふざけてるよなぁ。クソ。ゲーム延期だって」
「東京の停電だろ?」
「どうせ電力会社がサボったとか、そんなんでしょ」
今日は早めに帰る事ができたので、他の生徒も道の前後にいる。
聞こえてくるのは、東京が停電になった話。
そのせいで、ゲームが延期したとかいう不満。
目を合わせるのが怖いので、僕は歩きながらシャックルを起動。
見ようとも思っていないのに、ネットのブラウザを開いたり、動画サイトを閲覧していれば、ニュースがトピックに上がってくる。
沖縄、四国、大阪の沖では、中国の潜水艦が発見。
北海道、青森ではロシアの潜水艦が発見。
いずれも、動力が急停止して、身動きができない所を自衛隊、海上保安庁が引き揚げ、救助したとのこと。
ニュースなんて見ても、こんなのばかり。
気持ちだけなら、僕は前を歩く男子二人と同じ心情だ。
世界で何が起きてるのか、なんて興味ない。
日本の置かれてる現状なんて誰も興味ない。
僕はこのまま怠惰な日常を送って、ゲームをやって、好きな事をやって生きていけたら、それでよかった。
*
家に着くと、また例のおばさんがいた。
ゴミを置いてるのかな、って思ったら、玄関先で仁王立ち。
声を掛けずに中へ入りたいが、そうもいかないだろう。
「あの、後藤さん」
キッとした目つきで振り返り、開口一番に言われる。
「あのね。アンタらがどんな生活してようが興味ないけどね。うるさいのよ!」
「うるさい、って」
「ドタバタ、ドタバタ。ずっと大きな物音立てて。近所迷惑って言葉知らないの?」
「……物音?」
どう言葉に言い表せばいいのか。
科学的に、論理的に、その感情や体に起こった現象を言い表すのは難しい。けれど、僕は確かにその時、『ざわ』と、背筋の下から上へ這いあがってくるような悪寒が走った。
「ちょっと! 聞いてるの!?」
「すいません。ま、また、今度!」
僕は後藤さんの脇を通り過ぎ、玄関を開けた。
兄さんは外出している。
家を出る前に、鍵は閉めているはずだ。
だが、玄関に鍵は掛かっていなかった。
「おい。……嘘だろ」
変だな、と思って扉を見ると、鍵穴に大きく穴が空いていた。
例えるなら、ドリルでこじ開けたような穴。
「はぁ、……はぁ、……はぁぁ……」
緊張のあまり、呼吸が荒くなっていく。
おかしいくらい、手足が痺れて、指先が震えていた。
「に、兄さん?」
靴を脱いで、家に上がる。
それから、いつも兄さんがいるリビングを覗いた。
「……んだよ、これ」
リビングの中は、荒らされていた。
冷蔵庫は開けっ放し。食器は落ちて、テーブルはひっくり返り、物が散乱していた。
他の部屋も同じで、トイレでさえ棚が開きっぱなしになっている。
「兄さん!」
階段を駆け上がって、兄さんの部屋を覗く。
兄さんの部屋には、難しい本や機械が詰められていて、寝るスペースがない。散らかってるのは、いつもの事だ。
一つ、違う点があるとすれば、『機材がメチャクチャに破壊』されていたことだ。
まさか、とは思いつつ、最後に自分の部屋を開ける。
部屋の扉を開けると、僕はその場に座り込んだ。
棚からゲームや本が落ちていて、クローゼットは開放状態。
まるで、何かを探していたかのような形跡だ。
一番ショックだったのは、パソコンが壊されていたこと。
「も、モリコは……」
立ち上がって、パソコンの周りを見る。
「チップがない。あぁ、嘘だろ。はぁぁ、……マジかよぉ」
泣きそうだった。
誰がこんな事をしたのか、見当もつかない。
「モリコを返せよ! ていうか、兄さんどこ行ったんだよ!」
叫んだ直後、首元のリングからは声が返ってくる。
『どんな感じ?』
「う、わ! びっくりした!」
『家は、どんな状況?』
モリコには何があったか、分からないらしい。
「メチャクチャだよ。きっと、泥棒だ。棚とか開きっぱなしにしてるもん。お金なんてないのに。クソ。誰かが盗みに入ったんだ」
『チップはなかったの?』
「ない! パソコンは壊されてるし! もう、モリコのデータがないよ!」
僕が生きてる中で、唯一の楽しみと言っていい。
モリコの姿を見て、話す事ができないってのは、それだけショックだった。
『……やっぱり、消しといて正解だったね』
「よくないよぉ」
『パソコンなら新しいの買えばいいじゃん』
「お金ないよぉ」
『大丈夫。それより、通報しないと』
僕はシャックルを開いて、110番通報をした。
本当なら非常ベルを押せば、それだけで最寄りの警察官がきてくれるのだが、かなり混乱していたせいで、普通に通報をしてしまう。
それから、警察がくるまでの間、僕は玄関先で抜け殻になっていた。
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