大嫌いで、大好きな世界へ

兄さん

「行ってきます」


 玄関からリビングに向かって挨拶すると、兄さんが入り口の所から頭を出してきた。


「おう。気を付けてこいよ」

「うん」

「あと、俺、今日用事あるから、ちょっと遅くなるかもしれない」


 だとしたら、今日は一人で晩御飯か。


「分かった。そっちこそ、気を付けてね」

「ああ。モリコ、翔太をよろしくな」


 モリコの名前を呼んで、そんな事を言う。

 兄さんなりの軽い冗談だろう。


 手を振って、僕は玄関を出た。

 薄く笑みを浮かべた兄さんの姿が、玄関の扉に隠れていく。


 家の前は、昨日のパレードは夢だったかのように、静かで穏やかなものだった。


 *


 皆は電車やバスを使うけど、僕の場合は徒歩でも行ける距離にあるので、早めに起きて学校に行く。


 誰もいない朝の畦道あぜみちで、首のリングからモリコが話しかけてくる。


『お兄さんと仲良いね』

「ウチ、両親いないからさ。兄さんに仕送りしてもらって、生活してたんだ」

『ふ~ん』


 本当、僕にはもったいないくらいに、家族思いで良い兄さんだと思う。

 僕が他人に対してハッキリと物を言えない分、代わりに言ってもらう事が多い。


 だから、兄さんにはイジメられてる事を言える訳がなかった。


 余計な心配掛けたくない。

 なんて、セリフはイジメられてる人がよく言うセリフで、その手のニュースやコメントを見ると、他人事なのでいまいちピンとこない。


 でも、自分がその境遇になっている今、気持ちは痛いぐらいに分かっていた。


『そっか、そっか。これからは、頑張らないとね』

「んー、でも、良い所に就けるかなぁ。頭良くないしぃ」

『そういうのは勉強すれば大丈夫だよ』


 勉強、か。

 やる気はないけど、大学は行きたいし、今からしっかりしておこうかな。


『音楽掛ける?』


 周りを見渡し、改めて誰もいない事を確認する。


「お願い」

『おっけ。じゃあ……』


 バン、というドラムの大きな音が突然鳴り響き、驚いて肩が跳ねてしまう。


「ちょ、ちょちょ!」


 続いて、ギターの音とデスボイス。

 はっきり言って、僕の趣味ではない。


 僕はアイドルソングやアニソンが好きだ。


 今、掛かっている音楽はアニメ色のない、ヘビーメタル。

 それが畦道に反響するほどの音量で鳴り響いているのだ。


『いえーいっ!』


 首と腕のリングからモリコのハツラツとした声が発せられる。

 しばらく進んでも音楽は鳴りやまず、結局モリコが音楽を堪能し終えるまで、僕は畦道から出ずに、突っ立っていた。

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