帰宅

 下校した。


 カリキュラムが全て終わって、本来帰る時間は3時だけど、教育指導があったせいで、2時間も遅く下校する羽目になったのだ。


 クドクドと同じことを何度も教えられ、生返事をすれば頭を叩かれる。

 まだ頭部には硬い手の平の感触が残っている。


 誰もいない歩道を歩き、一人ため息を吐く。

 都会と違って、僕の住んでいる場所は田舎だから、落ち込んでいる時に騒音に悩まされないのが不幸中の幸いだ。


 人はいないけど、街の至る所に『大型MR』と『AR』が設置されているので、人を模したアンドロイドが店の宣伝や交通表示を行っている。


 その中には、『戦況:自衛隊死者67名』と簡易ニュースが表示されていた。


 戦時に突入したのは最近で、初めこそテレビやネットでは、ひっきりなしになんて騒いでいた。

 けど、時間が少し経てば、何事もなかったように皆は日常を送ってる。


 僕だってそうだ。


 自衛隊が死のうが、ようが、

 どうやって楽しく過ごすか。

 自分がどうしたら良い思いできるか。


 それしか考えていない。


 だから、僕だって、そんなものどうだっていい。


 ふと、路肩に立ってる広告の女の子を見つめる。

 ラーメン屋の広告で、割烹着かっぽうぎを着た女の子が『とんこつラーメン』の札を持って、笑顔を振りまいていた。


「彼女欲しいなぁ」


 と、僕が言うと、広告の女の子は僕の方に反応して、こっちを振り向く。

 その仕草は、人間そのものである。


「お兄さん! お腹空いてない?」

「え、あ、や……」


 だから、つい反応してしまう。

 普及したといっても、どこからどう見ても可愛い人間の女の子にしか見えないため、僕はこのホログラムに慣れる事ができないでいた。


 何も答えれず、そそくさと逃げる。

 すると、後ろからホログラムが「待ってるからね!」と、声を掛けてきた。


 *


 家に着くと、玄関先にゴミを置く人物を発見した。


「あの、後藤さん」


 後藤ごとう

 近所に住む、大嫌いなオバサンである。


 髪が短く、目がギョロギョロとした、気持ち悪いデブのオバサン。

 何の目的があってかは知らないけど、ある日急に嫌がらせをしてくるようになり、こうやって玄関先にゴミを置いたり、まき散らしたりして、嫌がらせをしてくるのだ。


 一度は通報したけど、その時は注意だけで済んだ。


 けど、行為はエスカレートして、僕が発見しても鼻で嗤って、悪びれもせず近づいてくるのだ。


「ゴミ捨て場に置いちゃ悪いの?」


 一言で言い表すなら、狂ってる。


「あなたの家から異臭がして迷惑してるんだけど」


 唐突に、こうやって言いがかりが始まるのだ。


「もう子供じゃないでしょ! 周りの人の事を考えて行動しなさい!」

「じゃあ、ゴミとか」

「なに? 聞こえないわよ!」


 腸の煮えくり返る思いで、僕は下を向く。

 硬く拳を握りしめ、いっそここでオバサンを殺してやりたいとも思った。


 でも、それができないし、エスカレートしても困るから、悔しくて何もない所を睨んでしまうのだ。


「おい」


 聞き覚えのある声に顔を上げる。


「お前、うるさい」


 兄の蓮司れんじだった。

 ひょろ長い体型に、だらしなく伸ばした髪と髭。

 僕とは違って、男前である。


 シャツの上にベストを着て、下はスラックス。

 こんな何てことない服装まで着こなしているので、兄弟ながらどこで遺伝子を間違えたんだろうと、自己嫌悪するくらいに似ていなかった。


 兄さんは、眼鏡を指で持ち上げる。


「あのねぇ、私は――」


 何か言おうとしたところに、兄さんは苛立ちを隠さずに言う。


「通報するぞ。ていうか、もうしたわ」

「こ、の……っ」

「あのさ。オバサン、相手高校生だよ。少しは言葉と態度を考えて、物言いなよ。大人にしか対応できないことだったら、俺がいる時にきてくれない?」


 スラスラと『当たり前のこと』を口にして、兄さんはオバサンを見下ろす。


 僕の家の前では、赤ランプが点滅しており、ランプの明かりに照らされたオバサンの顔は見る見るうちに怒りで歪んでいく。


「ふんっ」

「警察きたら、事情話せよ」

「うるさい!」


 子供のように喚き、オバサンは自宅に戻っていく。


 その後、約2分経ったか、どうかというくらいの早さで、『警官一人』と『警備用のロボット犬』が点滅ランプの前に停まった。

 ランプは緊急を報せるもので、点滅すると自動でGPS機能が作動し、緊急センターに連絡が行く。


 そして、人間一人とロボット一体のセットで、駆けつけるのだ。


「あー、この家の人ですか?」

「うす。ちと、近所トラブルで、隣の家のオバサンにウチの弟が絡まれたんですよ。で、ほら。ゴミも撒いちゃってるし。厳重に注意してくれませんかね。何なら、被害届出すんで」


 警官の男の人は、「なるほど」と事情を聞いて、隣の家に向かう。

 おそらく、相互の話を聞くために、兄も立ち会わないといけないのだろう。


 兄さんは「先に家入ってろ」と、警官の後を追う。


 ただ家に帰ってきただけなのに、どっと疲れた。

 僕はカバンを持ち直し、隣から聞こえる金切り声を聞き流し、玄関の扉を開けた。

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