第3話


 パーティーから一月後。


 リリアはハクを初めて外の世界へと連れて行ってくれた。


 こざっぱりとした水色のワンピースドレスを着せられて、馬車に乗る。

 馬車はバルコニーからいつも見ていた田園を越えると、その先には大きな町が広がっていた。


 小さな家がいくつも並び、それに沿ってリリアと同じエルフ達が大勢出歩いていた。

 馬車の窓から街を覗けば、家の前に店を開いてスープを売っている店が見えた。

 それだけじゃない。

 魚や美味しい果実も大量に並んで売られている。

 色とりどりの布や籠や、ハクが見た事も無いような工芸品を売っている店もあった。


 なんて楽しそうな場所なんだろう。

 そして今からどの家に行くのだろう。

 何が貰えるのだろうか。


 ハクは楽しみを堪えきれず、窓に張り付いていると、


『ハク、着いたわよ』


 とリリアはハクの腕を引っ張った。

 そこは、ハクが期待したどの店でも無かった。


 真っ白な壁の家だった。


 何やら看板が掛けられているが、ハクには分からない。


『さ、ハク。入りましょう』


 リリアが肩を押す。

 なんだか嫌な予感がした。


 ハクは本能でこの白い家に入りたくなかった。

 思わず足に力を入れる。


『……大丈夫、すぐに終わるわ』


 ハクは何度も首を振った。

 そして向こうに見える果実の店を指さした。

 あっちへ行きたい、と。


『苺が食べたいのね。終わったら、帰りにたくさん買ってあげるね』


 ハクは首を振り、その場にしゃがみ込んだ。

 全く進もうとしないハクに、リリアは馬車の御者に目配せした。

 すると御者は頷いて、ハクを抱き上げようとする。


「!!」


 とっさに御者の手から離れる。

 背中が建物の壁に当たって鈍い痛みが左肩に響く。

 するとリリアは不安げな表情を浮かべながらも口では優しいことを歌う。


『――ハク、林檎も葡萄も買いましょうね、お人形も買ってあげる。そうだ! お揃いのドレスも買いましょう、だから……』


 ハクは首を振った。

 御者は再びハクの手を掴もうとするが、避けてその場から駆け出した。


『ハク!!』

『待て!!』


 御者が追ってくる。

 どこへ逃げたらいいのかなんて考えてなかった。

 とにかく、御者から離れることだけを考えて逃げた。


『誰か! その人間を捕まえてくれ!!』


 御者が背後から叫ぶ。

 周りはみんなリリアと同じ耳の尖った人ばかり。

 ハクは驚くエルフを掻き分け、すり抜けて、人混みの中を必死と逃げた。


 しかし、あまりにも人混みが多すぎてうまく前に進めない。ハクは人気ひとけの無い路地を曲がった。


 曲がって後悔する。

 そこは行き止まりだった。

 暗く光の無い建物に阻まれた狭い空間。


 背後から御者の声がする。

 ハクは左右前後、上下を見回し、どうにかして逃げられる場所を探した。


『見つけた!』


 御者の声にハクの肩が震える。

 振り向けば、息を切らした御者がじりじりとハクに近づいてきた。


『さあ、大人しく「処置」を受けるんだ!』


 捕まる! とハクが目を閉じた時、


『ぐえっ!』と御者の醜い声がした。

 目を開くと、そこには倒れた御者が居た。

 そしてその御者の上には少年が立っていた。


 ザンバラの黒髪を持つ、黒目の少年。だが片目は黒髪に覆われている。

 意志の強そうな真一文字に結ばれた口。しなやかな身体つき。

 身に纏うものはボロボロの白いシャツに黒ズボン。


 その片目の少年の鋭い眼光がハクを見つめた。

 そして、叫んだ。


「来い!」


 手首を掴まれて、ハクは少年と共に路地を出る。

 再び人混みの多い商店街へと出ると、リリアの居る建物とは反対に走り出す少年。

 誰ともぶつかる事なく人混みを抜けると、狭い路地を何度も右へ左へと曲がり、やがて、建っているのが不思議なくらい傾いた瓦礫に近い石造りの家へと入った。


 中は薄暗く、瓦礫の隙間から入るわずかな光しかない。

 隅にはベッドが一つ。その傍に椅子が一つあるだけの空間。

 その椅子には一冊の本が置いてある。


 少年はハクの手首を離すと、その手でハクの銀色の髪に触れた。

 びっくりして、思わず後ずさりする。


「やっぱり、人間だ」


 その時、気が付いた。

 この少年の言葉、ハクでも理解が出来る。

 リリアの言葉は全く分からないのに……。


「あなた、は、誰?」

「君と同じ、人間だよ」


 少年は黒髪をたくし上げて、丸い耳を見せてくれた。


 隠れていた片目は、何かに傷つけられて潰れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る