本の秘密と『物語』
ふと気づくと僕は、激流のような感情の奔流と共に目から涙を流していた。
目の前で流れていった光景と感覚、そして『感じた』感情に目眩がする。
「だ、大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んでくる親友に息を整えながらもなんとか頷く。
おかしい。
僕はただ親友が書いたという本を読もうとしていただけのはずだ。
それなのに、章名を読んだあとの記憶がない。
……いや、厳密には記憶はある。
ただ、おおよそ僕のものでは無い記憶だ。
これは――『リリィ』という存在としての記憶か?
例えようが無い感覚。
でも、唯一しっくり来る言葉があるとすれば――
「追体験、とかかな?」
「なっ!?」
まるで僕の心を読んだかのような親友の言葉に、思わず変な声が出る。
「あ、あはは……やっぱり」
「や、やっぱりって――」
一体なにが起きたっていうんだ?
「あー、えっとね?」
戸惑う僕にラブライトは少し苦笑いして話し始める。
「この本は友人から見せてもらった遺物を元に訳して書いた、って話はしたと思うんだけど……」
「ああ、なんか訳ありの友人って言ってたね」
「うん、良い人なんだけどちょっと変わってるの。で、実はこの本自体もその人に貰った物なんだけどね」
と、そこでラブライトは一拍置いてにこりと微笑む。
「その友人が言うにはこの本に書かれた物語は人にリアルな追体験をさせる力を持つらしいの。多分そのせいじゃないかなって」
仮にも世界的な教授である人から出たとは思えない、なんとも現実味が無い話だった。
「いやいや、そんなファンタジーみたいなことが、って普通なら言いたい所なんだけど」
そう、普通ならそうなのだが。
「もしかして、本当の本当にしちゃった……?」
そう聞いてくる親友はまるで子供のようになにかを期待している顔で、僕はやれやれと経験したことを正直に話すことにする。
「リアルな追体験。確かにそれが一番しっくりくるよ。最初の章名を文字として読んだことは覚えているんだ」
「でも、その後は文字を読んだ記憶がほぼない。というか他の人物の経験をそっくりそのまましたような不思議な感じだよ」
「どれぐらいの時間かは分からないけど、僕じゃない『わたし』っていう存在に間違いなくなってた」
白昼夢とも言い難いのは、それがあまりにも色鮮やかに記憶に残っているからだろう。
「ふふっ、やっぱり本当なんだ!」
「あの、自分で話しといて言うのも変だけど、随分あっさり信じるんだね?」
正直、僕自身が自分で体験したことを信じきれていないというのが本音だ。
でもラブライトはそんな僕を見つめながら肯定の笑みを浮かべた。
「うん、本当だったら面白いなって思ってここに真っ先に見せに来たっていうもあったから。もちろん、そうじゃなくても感想は聞きたかったし」
そして少し恥ずかしそうにこう付け加えてくる。
「わ、私の唯一の親友なら何があっても本当のこと言ってくれるかなって……その、あなたのこと信じてるし」
「それはその、ありがとう」
「あ、あはは……」
彼女の言葉に僕まで気恥ずかしくなり、ちょっとだけ変な空気になる。
でも、彼女が小学生の頃から変わらずにそう思ってくれているのは結構嬉しい。
唯一の親友、か……。
そういえば僕が初めてラブライトに合った時も、彼女はファンタジー小説や映画に夢中だったっけ。
夢中になりすぎているせいで、現実と区別がついてないなんて学校や周りからはずっと馬鹿にされてばかりだった彼女。
帰国子女というのもあって、ちょっと変わった目で見られることも多く、当時の彼女は話し相手も殆どいなかったそうだ。
そんな中、親が古書店で本の世界にばかり飛び込んでる僕が彼女と妙に意気投合したのは、ある意味必然だったのかもしれない。
彼女がその夢中さを力に、未知言語や遺物の解読研究家として世界に天才と認められる人物になったのは、僕にとってもとても誇らしかった。
「と、とりあえずこの本を読んでもらうのは今日はここまでかな? 次の章は書き途中だし、この本自体についても色々わかったし」
「結局文章が良いか悪いかの判断は出来てない気がするんだけど、いいの? 僕の不思議体験は置いといて、当初はちゃんと文字を読んだ感想を聞きたいって話だったと思うんだけど」
「良いの良いの。それよりもっといい事が知れたし」
それに、と彼女は笑顔で続ける。
「きっと、追体験出来たってことはちゃんと大切な部分も訳せてるって思うから」
「……そっか」
未だあの経験が現実だったとは信じきれてはいないけれど。
仮に僕の追体験があの本に書かれてある文章そのものなら、きっと上手く書けているんじゃないかと僕も思う。
『はじめに』で書いてあった通り、あれが知られざる古代や他世界の人の生活断片だと言うならなおさらだ。
そう――
間違いなくあのリリィという存在が残したかった想いは僕の中に伝わったのだから。
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