『昇華の日』

 年月はあっという間に流れていった。


 人間と違い、厳密に寿命という概念が存在しない妖精にとっては数年も数十年もあっという間の出来事。


 シグレというパートナーに対して感じるべきでない愛おしい『想い』も、時間で到底消えるようなものでは無かった。


 シグレのパートナーとして、妖精としてあり続けるために――


 ただ一つ、それだけが気持ちを抑え続けることが出来る理由だった。


 そして。


 残酷なほど唐突にその日は訪れた。


 すっかり年老いたシグレをいつものように起こしに行ったある日の朝。


 彼はいつもと違った様子で起き上がろうともせず静かに声をかけて来る。


「なあ、リリィ。リリィはあの流星群の日の約束を覚えているか?」


「えっ?」


「数十年前の夜、あの丘で――流星群の中で交わした約束さ」


「っ――!」


 そのタイミングになってはじめて、わたしはシグレが人間で言うところの寿命を迎えつつあることを感じ取る。


 鮮やかに蘇ってくるのは、何となくで交わしたあの日の約束。


 わたしにとってはまだ『少し前』のあの夜の会話。


「うん……。覚えているよ」


「なら、先に僕から言おうか」


 嘘偽りのない本当に伝えたい事を伝える――


 それは普通パートナーとなった妖精と人間同士なら、約束などという機会を設けずとも普段からしているはずのこと。


 そう、『パートナー』として互いを心から認め合っているなら、普通のこと。


 わたしは大切で――そして大好きな彼の言葉を漏らさぬようにとすべての神経を集中させる。


「……僕はパートナーというものを超えてリリィのことがあの夜からずっと大好きだった」


「妖精と人間では人間が先に死んでしまうとわかっていた。でも、それでも恋人にしたかった」


「あの夜の質問で、リリィがパートナー以上だと言ってくれることすら期待してしまっていて――」


「ただ、そんな迷惑な想いを持っていた奴だったということを伝えたかった」


 その言葉を聞き、わたしはあの約束に隠された真意を思い知る。


 ああ、そういうことだったんだ、と。


「シグレ……」


 言葉が漏れた。


「わたし、あの夜本当はシグレのことをパートナー以上の存在として認めたかったよ」


「でも、そうしてしまえば優しいシグレは先に死んでしまうことを生涯気にするってわかっていたから……」


 シグレは黙ってそんなわたしの小さな体を両手で包み込んでくれる。


 最初に出会った時から変わることのない彼の温もり。


 その温もりに、わたしは目から熱い液体が溢れるのをもう抑えることは出来なかった。


 彼の手に溜まっていく涙水と同じ様に、約束に従いわたしはありったけの『想い』を言葉に乗せる。


「わたしもシグレのことが――あなたのことが本当はずっとずっと好きだった、恋焦がれてた、愛してたんだよ?」


「妖精失格でも、パートナー失格でもいい。だから迷惑だなんて言わないでよ……」


「今からだって、これからだってわたしはシグレを――」


 その言葉を言い終わらないうちに、わたしの視界が温かい七色の光によって満たされていく。


 それはパートナーとしての期間が終わったことを世界に告げられるということ。


 パートナーが死んだいうことと同義。


 光の中、彼は穏やかな笑みを浮かべると目をゆっくりと閉じていく。


「シグレ――」


 互いがずっと言いたかった言葉を、ずっと伝えたかった気持ちをわたしは声なく胸に抱く。


 パートナーだった人間の想いを受け、その人物を世界に昇華させるのが妖精の最後の『お手伝い』。


 彼を昇華させながらわたしは思い知る。


 彼を悲しませまいと押さえ込んだ気持ちの分だけ、わたし自身が悲しくなるのだと。


 そして、きっとそんなわたしのためにシグレはあんな約束をしてくれたのだと。


 パートナーという縛りを失い、自由な存在として世界へ解き放たれる中、わたしの目は暖かい涙で濡れていく。


 わたしが妖精である以上、次のパートナーに会う前にいつかは涙を止め前に進まなくてはならない。


 そして、次こそはパートナーを悲しませず、わたし自身も笑顔でパートナーを昇華させる、そんな道を歩まなくてはならないのだ。


 けれど、今だけはシグレという亡き人間のためにできるだけたくさんの涙を流したかった。


 次の人間とパートナーになる時、前のパートナーとの記憶は失われてしまうのだから。



 ***



 そう、そんなことがあった。


 それは誰かに伝えたいわたしの記憶。

 それは『伝える』ことが出来なかった、わたしの話。


 ――そう、わたしにとって残したかった想いと時間の一部。



 ***



 これは、ある不出来な妖精がパートナーとして人間に甲斐甲斐しく接する理由。


 不出来が故の悲しみを振り切り、再び笑顔で次のパートナーを求め前に進む理由。


 遺されていた一片の物語。

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